修行(良い例)
「おお、よく来たな」
「どうも、お邪魔します」
ライムの訓練で誇張抜きに死にかけた五日後の朝。
ようやく心身が回復したレンリ達は、約束通りに学都方面軍の訓練場にやってきました。
「下手をすれば、あのまま学都から逃げ出すのではと思っていたが」
「ええ、まあ、ちょっとは考えましたけど……」
騎士団長のシモンの言葉に、レンリは歯切れの悪い返事を返しました。この様子だと、冗談抜きで逃げ出したくなったのかもしれません。
雇い主の逃亡疑惑にルグやルカも苦笑していますが、彼らも気持ちはよく理解できるのか、それを責める気は無さそうです。
時刻はまだ日が昇って間もない早朝ですが、訓練場には騎士からヒラの衛兵まで百人近い人数が詰め掛けています。
そんな彼らの前に立ち、シモンは飛び入り参加の三人を紹介しました。
「皆、話は聞いていると思うが、この三人が訓練に混ざるから気にかけてやってくれ」
「どうも、よろしく。お手柔らかに」
「よろしくお願いします!」
「よ、よろしく……です」
当然のことながら、普通であれば軍隊の訓練に民間人が参加することなどありません。今回の三人の参加は例外的なものなのですが、事前に通達でもしてあったのか、特に抵抗もなくすんなり受け入れられました。
「ああ、君達ライムの姐さんにしごかれたんだってな」
「災難だったな」
「まだ若いのに気の毒に……」
「前にあの人が軍の訓練の面倒を見たことがあったんだけど、たったの一日で退職願の山ができたからな……」
「あの時ばかりは本気で軍を抜けようかと思ったぜ……」
どうやら、彼らにも色々と複雑な事情があるようです。
妙に同情的な視線を向けられ、共感されてしまいました。
「こらこら、お喋りは後にしろ。そろそろ始めるぞ」
「「「はっ!」」」
シモンの号令で兵達は一斉に姿勢を正し、レンリ達も見様見真似でそれに倣いました。
ここまでは意外なほどに和気藹々とした雰囲気で幾分緊張も解れましたが、まだ先日のトラウマは完全に癒えていません。
死にかけることはないと保証されてはいるものの、果たしてどんな荒行が待っているのかと内心では心配していたのですが、
「まずは準備体操と柔軟で身体を解すところから」
なんというか、普通でした。
これには身構えていた三人も拍子抜けです。
「急な運動は怪我の元だからな。他の者の真似をしながらやってみるといい」
「え? あ……はい」
戸惑いはしましたが、とりあえずレンリ達も指示に従ってストレッチ運動を始めました。
四肢や体幹を伸ばしたり動かしたり。
子供や老人でもできそうな運動には肩透かし感すらありましたが、文句などあるはずがありません。
「よし、次はランニングだ。訓練場の外壁に沿って十周。終わった者から小休憩に入ってよし」
準備体操が終わったら走り込みです。
これに関してはそれなりに体力を使いますが、
「……命の危険がないって素晴らしいね」
「うん……そう、だね」
少なくとも、準備運動と称して肉食獣に追われながら長距離走をするより百倍マシです。
距離的にも十周合わせて5km程度。
走るのが得意なルグは他の兵にも遅れずに付いていき、二人で最下位争いをしていたレンリとルカにも気分的な余裕があるほどでした。
「汗をかいたら小まめに水分を摂るように。膝や足首に違和感があれば無理せずに休憩を取るのだぞ」
シモンも飛び入り参加の女子二名に併走し、特に気にかけていました。
「そちらはルカ嬢といったか? 走る時には軽く脇を締めてみるといい。上体のブレが減って疲れにくくなるはずだ」
「は、はい……こう、ですか?」
「うむ、上出来だ。その調子なら、すぐにうちの兵にも負けぬ走りが出来るようになろう」
「レンリ嬢は走る時に俯く癖があるようだな。顔を上げて胸を張るようにすると息がしやすくなるぞ」
「……おおっ、確かに!」
普段から兵の指導をしているおかげか、シモンの指導は実に分かりやすく、なおかつやる気を引き出すような話術も心得ているようです。
「うむ、二人ともスジがいいぞ。その調子だ」
「なんだかっ、体力がっ、付いてきた気がするねっ」
「う、うん……っ」
もちろん、こんな短時間で体力が増強するはずもありませんが、二人ともフォームの改善によって随分と楽になったようで、他の兵達に一周遅れとはいえ最後までペースを落とさずにゴールすることができました。
◆◆◆
「うむ、これで十周完走だ。二人とも見事であった。十分後に次の訓練を始める故、それまで休んでおくがよかろう」
走り終えたら小休止です。用意されていた水瓶とコップを受け取った女子二名は、先にゴールしていたルグと合流しました。
「おお、二人ともお疲れ。意外と元気そうだな」
「やあ、ルー君もお疲れ様」
「お疲れ……さま」
数日前には走り込みという名の拷問でグロッキーになっていた三人ですが、今回は全員まだまだ余裕がありそうです。
「走るのが楽しく感じるなんて、生まれて初めてだったよ」
レンリが、基本インドア派の彼女らしからぬ発言をしています。
単純に距離が短く路面が平らで走りやすかったこと。そして命の危険がなく自分のペースで走れた上に、的確な指導による部分も少なからずあるのでしょう。
「ライムさんのは……なんというか、ね」
レンリもライムのことを悪く言いたくはないのか言葉を濁していますが、彼女の言いたいことは他二人にも伝わっていました。
「まあ……あれはちょっとな」
「うん……」
ライムの指導はお世辞にも上手とは言えず、今日のシモンのような細かな指導もまるでありませんでした。彼女が超一流の達人であることに疑いはありませんが、指導力のほうはそうもいかないのでしょう。
「うむ、彼奴にも悪気があるわけではないのだが、昔から人と話すのが苦手でな」
「あ、どうも」
三人の会話が聞こえたのか、シモンが彼らの輪の中に入ってきました。
「彼奴、ライムはなんというか昔から加減が苦手でな……自分の訓練でも放っておくと死ぬ寸前まで自分を追い込むから、あれの師匠にも制限をかけられているのだ」
「それは……凄まじい話ですね」
ライムの訓練は、本人の自主性に任せていたら、それこそ死の淵ギリギリにまで自身を追い込むのが普通。シモンの話によると、彼女の師匠からもそこまでやらないよう厳しく言われているのだとか。
ただ不器用な上に人に教えるのに慣れていないせいか、いざ人に教えようとした際に、つい加減を間違えてしまったのが先日の真相のようです。
「シモンさんは、ライムさんとは随分親しいんですね。武芸の同門とかですか?」
「いや、師は違う。事情があって詳しくは言えないのだが……まあ、幼馴染というやつか。もう十年以上の付き合いになるな」
どうやら、二人は随分と長い付き合いのようです。懐かしい思い出を振り返ってか、シモンは目を細めていました。
「ライムの奴はあれで結構寂しがり屋でな。俺は仕事があってなかなか会いにいけないから、レンリ嬢達が仲良くしてやってくれると助かる」
「へえ、随分ライムさんのことを気にかけて……あ、もしかして恋人同士だったりし」
「ははは、それはない! ……だって、怖いし……」
レンリが質問を言い終わるより前に、断固とした口調で否定しました。
シモンの顔は笑っていますが、目は全然笑っていません。どうやら、彼らの間には一言では言えないような複雑な因縁があるようです。
「……さて、少し早いがそろそろ休憩を切り上げるか。さあ皆、集合! 整列!」
まだ十分は経っていなかったのですが、シモンはわざとらしく大きな声で休憩終了の号令をかけました。その様子は、まるで何かを誤魔化すかのようであったとか。