二秒間の逃走劇
お前は怪盗に向いていないからやめろ。
端的に説明するとそのような内容の忠告は、まあ当たり前ですが、すんなりと受け入れられるはずもありません。
「あ」
バーネットがこの場から逃げ出そうとする気配にライムが気付きました。
運動能力の差を考えると普通に走って逃げられる目はありませんが、怪盗には自慢の七つ道具があります。『影潜りの衣』で影の中の異空間に潜り込めば、流石のライムといえど見失ってしまうのは避けられません。
そして、同時にバーネットの姿が透明ではなくなりました。
ここまでのやり取りでライムに透明化能力が通用しないことは理解していましたし、元々、怪盗の魔力量は常人の域を出ない程度。あまり無駄使いをするわけにもいきません。『姿隠しの帯』に回していた分の魔力も影の入口を開けるために使っているのでしょう。
膨大な魔力を有するウルがいないので『影潜りの衣』の使用可能時間は最大でも二分間ほどですが、影のある場所なら自由に出口を設定できるという性質上、そのまま逃走に成功する可能性は十分にあります。
あくまで、影の中に逃げ込めればの話ですが。
身に着けている道具に魔力を通して効果を発動させるまで、約一秒。
足元に開けた影空間への入口から内部に入るまでに、もう一秒。
合計二秒間。
一般的な警備員や衛兵を相手にするのであれば問題になるほどではありませんが、今回のバーネットはライムと、その後ろのキガン氏から逃げる必要があります。
それを考えると、二秒間というのはあまりに長い。
相手からすれば、床の下に開いた空間へと落下する途中で手を伸ばして捕まえるのでもいいし、なんなら一緒に影の中に入り込むのでも構いません。それだけで逃走は失敗。戦闘能力をほぼ持たない怪盗にそこからの逆転の手はありません。
やはり、一瞬の昂りに任せての逃走など易々と成功するはずもなし。
感情的になったのは、ほんの一時。
正直、バーネット自身にも現在の己の行動が悪手だという自覚はありました。本気で逃走を図るのならば、説得に心動かされたフリでもしながら機を窺ったほうがずっと成功率は高かったはずですが、まあ、動き出してしまったものは仕方ありません。今更、「やっぱり今のなし」も通用しないでしょう。
ライム達の目的はあくまで保護と説得。
武力でもって打ち倒したり、逮捕して騎士団に突き出したりといったものでないのだけは不幸中の幸いですが、仮に道具を取り上げられでもしたら、それだけで怪盗を続けられなくなってしまいます。
「あっ、あそこにいるのが怪盗の子だな!」
『ライムさんと先程のお爺さんも一緒ですし、そうみたいですね』
捕まる寸前だったバーネットがこの窮地を脱することができたのは、この場の誰もが予想していなかった闖入者のおかげでした。
「よし、こういうのは掴みが大事だとコスモスも言っていたな。せっかく勇者と聖剣が揃っているんだしアドリブで格好良い技とか出してみるか。ビーム出そう、ビーム。こう、魔力をグイッと溜めてからバァーってやれば出せそうな気がする」
『こらこら。怪我させたり劇場の建物を壊しかねないのはダメですよ……って、おや?』
ユーシャとゴゴが劇場にいるのは怪盗団を止めるため。
より正確には、怪盗団の活躍を盛り上げる相手役をコスモスに頼まれていたからです。
なので彼女達がこの場にいること自体に不思議はないのですが、よりにもよって、このタイミング。元々、この場にいたライム達は完全に虚を突かれた形になりました。
「……あ」
「……ぬ」
『あれ、怪盗の人はどこに行ったんでしょう? さっきまでそこにいたはずですけど』
「そういえば消えているな。もしかしてトイレか? わたしもさっき入ったけど、ここのトイレは広くて綺麗でなかなか良かったぞ」
ゴゴとユーシャは呑気に辺りをキョロキョロ見渡していますが、もちろん見つかるはずもありません。迂闊にも隙を作って取り逃がしてしまったライムとキガン氏は状況を理解して……どちらも言葉や表情が乏しいので外見上の違いはありませんが……内心では気を落としているようです。
バーネットが一瞬早く動けたのは、『心凍の指輪』という冷静さを維持するためのアイテムのおかげでしょう。それを身に着けていれば全く動揺しないというわけではありませんが、動揺した際に素早くフラットな気持ちを取り戻す効果があるのです。
もっとも、彼女自身もこんな事態は予期していませんでした。
人並外れた不運っぷりを指摘された直後に、この奇跡的なタイミングの良さ。あるいは、もしかしたら、この場を逃げ延びられたこと自体が更なる不運の引き金となるのやもしれませんが。
◆◆◆
「……なあ、ゴゴ。何かこれって、わたし達、すごく空気読めてない感じがしないか?」
『奇遇ですね。我も実はそうなんじゃないかと思っていたんですよ』
「でも、まあ大丈夫だろう。さっきの怪盗の子の顔は見たからな。うん、それなら多分、何とかなりそうな気がそこはかとなくしないでもないぞ」
そして、いよいよ此度の舞台は最終幕へ。




