知らなかったのか? おねえさんからは逃げられない
最初、バーネットは自分が転んだのだと思いました。
なにしろ、気付けば床に仰向けに寝る格好で天井を見上げていたのです。
そう勘違いするのも無理はないでしょう。
「……あれ?」
しかし、誤解が解けるまでに時間は要しません。
転んだにしては痛みもなく、衝撃すら感じませんでした。
彼女自身の認識としては、透明になってキガン氏の前から退散しようと駈け出したつもりが、いつの間にか床に寝転んでいたのです。もし仮に意識が何秒か飛ぶほどの勢いで転倒したのなら流石にノーダメージとはいかないはず。下手をすれば入院沙汰です。
まあ言葉にし難い違和感はあるものの、今はこの場を離れるのが優先。
幸い、道具による透明化の効果はまだ切れていません。
キガン氏に捕まる前に素早く立ち上がり……そして駈け出そうとした次の瞬間には再び天井を見上げていました。
やはり肉体へのダメージはありません。
しかし、一度ならまだしも二度。この不可解な現象は単に足を滑らせて転んだだけではないと、バーネットもようやく認識するに至りました。
「ん。大丈夫?」
「あ、どうも……って、見えてる?」
そもそも、彼女を床に転がした人物には特に隠すつもりもありません。
未だ透明化の魔法効果は解けていないにも関わらず、ライムは当然のように倒れた状態のバーネットを起こそうと手を差し出しました。
『姿隠しの帯』がキチンと効力を発揮しているのは間違いないのですが、ライムの視線は真っ直ぐバーネットの顔に向いています。まあ単に魔力で強化した肌感覚で空気の流れや体温を感じ取り、相手の位置や姿形を把握しているだけなのですが。
床に転がした瞬間をバーネットが認識できなかったのも、投げ技があまりに鋭く速過ぎて知覚できなかったから。痛みや衝撃を感じなかったのは、それほどの速度の中でも十分な余裕をもって手加減がされていたからに過ぎません。
「よく見たら、さっきの迷子じゃないっすか」
「違う。迷子じゃない」
ライムの声や表情は普段通りの感情が見えにくいものですが、見る者が見れば、具体的には幼馴染の青年がこの場にいたら、ほんのちょっとだけ不機嫌になっているのが分かったことでしょう。
彼女の外見は、人間よりも肉体的成長がやや遅いエルフ種の同年代と比べても少しだけ、いえ本当はかなり幼め。ヒト種の十代前半であるバーネットが見たら、はっきり年下に思えるくらいです。
相手に悪気がないのは分かるので多少イラっと来ても当たり散らしたりする気はありませんが、それはそうと成熟した大人の女性と見られたいライムとしては、その手の誤解は決して面白くはありません。師匠のことは尊敬していますが、何もそんな部分まで真似したいわけではないのです。
「あれ、よくよく見れば、その耳はエルフの人っすね。ということは、もしかしてそう見えて自分より年上だったり?」
「そう。私は貴女よりずっと年上」
「そいつは失礼したっす。ちなみに本当おいくつくらいで? やっぱりエルフってくらいだし何百歳とかっすかね」
「最近、二十歳になった」
「いや、割と僅差じゃないっすか……」
ちょうど一年近く前、年下の友人であるレンリ達と知り合った頃にも似たようなやり取りをしたものですが、残念ながら当時と比べてもライムの容姿にほとんど差はありません(技の練度や魔力の扱いなど、戦闘能力に関しては大幅に成長しました)。
本人の予定通りなら今頃はボンキュッボンとメリハリのついたセクシー美女になっているはずだったのですが、人生とはままならないもののようです。
さて、本題と関係ない話題は一旦切り上げるとしましょう。そもそもライムが逃げようとするバーネットを引き留めたのには、それなりの理由があったわけでして。
バーネットも逃げるのを止めて姿を現し、素直に話を聞く姿勢を見せています。
そもそも逃げられないのは実証済みですし、事実上、拒否権はないのですけれど。
怪盗にあるまじきことですが、ここ数日間でスペックだけは異常に高い奇人変人に何度も絡まれたせいで、物事への諦めが良くなりすぎているのかもしれません。
「それで、その年上のお姉さんが自分にどんな御用っすか? 初対面っすよね」
「ん。通訳?」
「なんで疑問形なんすか。っていうか、この状況。通訳って……」
少し考えて、バーネットも通訳という言葉にピンと来たようです。
別に外国の知らない言語を話すというわけではありませんが、意思疎通に難があるという意味なら大して変わりません。
「もしかして、そこの頑固ジジイが何考えてるか分かるとか」
「ん。いい?」
「……ぬ。承知」
そして、深いような浅いような、諸々の事情が語られることとなりました。




