姿のない怪盗
ところ変わってレンリの部屋。
一時、怪盗のことが話題に上りはしたものの、だからどうするというわけではありません。レンリは先日出会った神官少女と怪盗の名前がそっくりな点にも気付いていますが、その点については隠したまま。
もし本当に名前が似ているだけの人違いなら失礼に当たりますし、仮に本当にあの少女が真犯人だったとしても、現状レンリがすべきことは何もありません。良くも悪くも他人事といったスタンスです。
そんなわけで怪盗についての話題は長く続かず、遊びに来たアンナリーゼとレンリは共にお茶を楽しんだり、ウルが飼っているミニドラゴンのドラ次郎やヌイグルミゴーレムのペン三郎を愛でたり、オススメの本について話したりして過ごしました。
そして早数時間。
もう日もだいぶ傾き、窓の外には家路に着く人々の姿がちらほらと。
「おっと、もうこんな時間か。泊まっていけばと言いたいところだけど、今日は帰らないといけないんだっけ?」
「ええ、残念ですが! 本っ当に残念ですけれど! 大事なお客様にご挨拶をしないといけないもので……ほら、ウトキテ子爵夫人、ご存知ありませんか?」
「ん~……なんだか聞いたことあるようなないような? たしか、絵とか彫刻とか集めるのが趣味の人だっけ?」
「ええ、美術品の収集家として我が国の社交界で有名な方ですわね。どうも、あの方がドリスの従姉妹に当たるそうで……」
レンリとしては同郷の友人を泊めてもいいと考えていたのですが、なおかつアンナリーゼとしても是非そうしたかったのですが、残念ながら本日はこれでお開き。
ただでさえ宿泊できる場所が不足している現在の学都では、由緒正しい貴族階級の人間が滞在できる場所となると大きく限られてしまいます。
格式や警備体制を考慮すると、臨時に倉庫を改装した安宿で雑魚寝というわけにもいきません。そこでお嬢様軍団の親族や個人的な友人などが彼女達の屋敷に目を付けて次々と泊りに来ているのです。実家の面子などもあり、ホスト側としては面倒でもそれなりの応対をしないわけにはいきません。
「それではお姉様、ごきげんよう」
「はいはい、またね。今度は皆で遊びにおいでよ」
そうして後ろ髪を引かれながら、侍従の呼んだ馬車に乗り込んで、アンナリーゼは新市街地区の自宅へと戻ったのですが――。
◆◆◆
「キィエェェイ!」
アンナリーゼの乗った馬車が屋敷の前に到着すると、非常に体格の良い老女が裂帛の気合を込めて愛用のハルバードを振り回していました。
彼女達の武芸の師匠であるマギーは目にも留まらぬ早業で得物を振り回し続け、丁寧に手入れをされた庭木は幹の半ばで一刀両断に、芝生は大きく抉れて下の土が露出しており、分厚い鉄製の門扉は……、
「きゃっ! せ、先生?」
たった今、ガシャンと大きな音を立てて地面に転がりました。
門扉を支える石柱が切り裂かれてしまったようです。
「ええと、先生?」
「ああ、帰ってたのかい。おかえり。今日の晩飯は鶏の香草焼きだってさ。アンタ、あれ好きだったろ?」
「あら、それは楽しみな……じゃなくて! 何をなさっているんでしょうか?」
パッと見だとマギーが力の限り暴れ回っているように見えるかもしれませんが、アンナリーゼにはそうではないと分かります。というか、本当に師匠の頭がおかしくなって全力で暴れていたら、この程度の被害で収まっているはずがありません。
最近、本来の警備仕事やお嬢様達に稽古を付ける合間など、マギーは友人のところにちょくちょく出掛けては自分の修業に精を出していました。
その友人とは先日戦ったライム。迷宮の中なら周辺被害も気にしなくていいので、バトルマニア同士で仲良く楽しく遊んでいるのだとか。
ちなみに現時点での戦績はおよそ五分五分。
おかげで実戦から遠ざかって鈍っていた勘も取り戻し、筋肉の質やら技のキレやらも現役時代の全盛期にだいぶ近付いている……と、アンナリーゼは本人から聞いていました。この街に来た初日に比べても遥かに強くなっているはず。
そんな人物が本当に見境なく暴れたら、この程度の被害で済むはずがありません。屋敷周辺が跡形もなく消し飛んでいても不思議はないのです。
では、マギーは一人で武器を振り回して、いったい何をしていたのか?
「おっと、悪いんだけどまだ庭の外にいておくれ。間違えてぶった斬っちまったら困るからね。晩飯はその後だ」
……いいえ、違います。
姿が一人しか見えないだけで、元々、この場にはもう一人。
「姿が見えなくなる魔法か、何かの道具か。アタシにゃ種も仕掛けも分からないけど、これだけ土埃を立ててやれば効果は半減だろうさ」
「あの倒れた木の前に何か、影が揺らいで……まさか、怪盗?」
よくよく目を凝らすとアンナリーゼにも不自然なシルエットが見えてきました。地面を掘り返して舞い上がった大量の砂や土埃の中に、人間のものらしい輪郭が浮かび上がっていました。
マギーの言葉を信じるならば、何かしらの手段で自身を透明に見せているのでしょう。噂の怪盗は透明人間でもあったというわけです。
「ったく、怪盗だかなんだか知らないけど逃げるばっかりで殴り返してこない、喋りもしないんじゃ面白くもない。あ、こらっ人が話してる時に動くんじゃないよ。首を落としにくいだろうが!」
「あの、先生? お庭を血で汚すのはちょっと……」
何かしらの能力か、アイテムか。
どういった仕組みによるものかはともかく、透明になれる力があれば確かに怪盗として幾多の盗みを成功させることも難しくはないでしょう。
もっとも、その命運はもはや風前の灯火。
ついでに現在の怪盗本人には知る由もありませんが、この場を切り抜けたとしても待っているのはコスモスにウザ絡みされる未来なわけでして。




