勇者と聖剣、活躍の場を欲す
現在の学都は行き過ぎた人口過密状態。
女神像騒ぎに端を発する状態は、恐らくは一時的な熱狂によるもの。
訪問者の大半は一時的な滞在をするだけの旅行者ですし、本格的に移住を検討する者は稀でしょう。この手の集団心理は時間が経てば次第に落ち着いてくるもの……などと言葉で言ってしまうのは簡単ですが、その落ち着くまでが大変です。
古今東西、一つ所に人が集まり過ぎれば様々なトラブルが発生するのが道理。
地域経済の活性化や文化交流などプラスの側面もあるものの、人口過多により生じるマイナス面もまた避け得ない。本来はそのはずです。はず、でした。
しかし、実際にはそうなっていない。
どれほど優れた統治者が治めようと、人が人を治める限りこう上手くはいきません。いつどこで発生するかも分からない事件・事故を完璧に防ぐことなど絶対に不可能だと断言できます。
けれど、人には出来ずとも神なら出来る。
その不可能を可能にしているのが、神の奇跡。
より具体的には、結界型の魔法をイメージすると分かりやすいかもしれません。
魔法による見えない壁が街全体をすっぽり覆い、その中にいる人間の精神に特殊な作用をもたらす。効力としては単純なもので、範囲内にいる人々の集中力や注意力を増して事故が起こりにくくする。加えて、一定以上の感情の昂りを抑えて衝動的な行動を取りにくくさせる。
この程度の効力ならば精神に作用する魔法使いや、魔力を用いない医術や薬術によっても可能。都市内に存在する不特定多数に常時作用し続けるという部分は普通ではないにしろ、神の奇跡などと呼ぶには控えめな内容かもしれません。
とはいえ、人口過多によるトラブルを防ぐには効果バツグン。
完全なゼロとまではいかずとも、大いに効力を発揮していました。
◆◆◆
昼過ぎ。
学都中央近くの飲食店にて。
金髪のチビッ子と薄紫髪の長身美女というアンバランスな二人組が、遅めの昼食を摂りながらヒソヒソと内緒話に興じていました。
『……というのを、レンリさんの提案であるじさまが実行したそうなんですけど、ええ、実際大したものだと思いますよ』
「ふむふむ、そんな風になっていたのか。すごいな!」
ゴゴが自身の担い手であるユーシャに語って聞かせたのは『神の奇跡』にまつわる街の裏事情。一般には知られていない話ですが、仮にも勇者ならば知る資格は十分にあります。
『一連のブームで我々迷宮が成長するエネルギーも順調に集まっていますけど、こんな状況で変な事件でも起こったら今の熱狂に水を差されかねないから……っていうのが、レンリさんの説明した理由だそうですよ』
「そうか、レンリはお利口さんだな!」
『まあ、あるじさまも一理あると認めたから実際に力を行使したんでしょうし、その理由が全部方便だけってわけでもないんでしょうけど……』
「ん、他に理由があるのか?」
『レンリさんもなかなか面倒な性格をしてますから、正直に本心を言うことはないでしょうけれど。そもそも街にこれだけ人が集まるようになった原因もあの人みたいですし。発案者としての責任を感じてるんじゃないですかね。自分のしたことがキッカケで誰かが災難に遭うのは嫌だ、みたいに』
「そうか、レンリは良い奴だな!」
『まあ我の勝手な想像ですけどね』
ゴゴの勝手な想像、とはいえ如何にもありそうな話です。
なにしろレンリは人に感謝されるのが大の苦手というひねくれ者。
表面上は冷徹に利益を追求するためと言いつつも、本心では女神像騒ぎで集まってきた人々や街の住人の身を案じているのかもしれません。本人がそれを認めることは絶対にないでしょうけれど。
『ただ、問題はその方法では対応できない穴があるってことなんですよ』
ゴゴは、街の治安を密かに維持している『奇跡』の欠点に気付いていました。
『奇跡を起こすための信仰も無限ではありませんからね。コストを抑えるには多少なりとも条件設定を緩めないといけないそうで』
現状の『奇跡』では突発的に発生する事件・事故の多くを予防することはできますが、一時の衝動によらない、明確な意思の下に行われる犯罪行為まで防ぎ切ることはできないのです。
『神の奇跡』の内容を変更すれば全ての犯罪を問答無用で起こさせないようにすることも不可能ではないのですが、そこまで隙のない条件を設定すると今度はコストの壁が障害になってきます。
『奇跡』にかかるコストは内容次第で大きく変わってきますが、基本的には願いの内容がより細かく具体的であるほど、また効果を及ぼす範囲が広いほどに高くなる傾向があります。
昨今の騒動でエネルギー源である信仰心はかつてないほどの勢いで溜まりつつありますが、下手に隙のなさすぎる高コストの『奇跡』を治安維持のために用いたら、利益の大幅減少、あるいは赤字にすらなりかねません。それでは本末転倒です。
「なるほど、だから『怪盗』みたいのは止められないんだな」
『ええ、そうです。あれはどう考えても明確な意思を持った確信犯でしょうし。それに、被害者のほうも――』
さて、ここでようやくゴゴは本題を切り出しました。
街で噂になっている怪盗。
犯人どころか被害者の存在すら曖昧で、だからこそ多くの人々は半ば娯楽のように噂を楽しんでいるのですが、ゴゴの見解はやや異なります。
『何故、被害者が名乗り出ないのか。盗まれた物を明らかにしないのか。それは例えば、その盗まれた品自体が所持や取引を禁じられている犯罪の証拠だからでは?』
盗難の被害者もまた何らかの犯罪に関わっていた。
盗まれたという品物自体が、表沙汰にできない類の品であった。
そう考えれば被害者達が公的な捜査機関の手を借りずに怪盗を追っているらしいことにも説明が付きます。
『しかも聞くところによると怪盗が現れたのは一度だけではない、と。仮にその被害者全員が違法な物品を所持していたとすれば、これもまた怪しい』
現在の学都は国内外から様々な人間が出入りする混然とした状況です。
いつどこで、誰が誰と会っているか把握することなど騎士団にも不可能。普段は人目があって接触が難しい要人同士が密かに会うようなことも簡単でしょう。
女神像への参拝という表向きの理由を隠れ蓑に、違法な物品の大規模な取引が行われた。あるいは、これから行われるとしても摘発は困難を極めます。そうした確信犯的な犯行は、件の怪盗と同じく『奇跡』でも防げません。
「ゴゴの考え過ぎじゃないのか?」
『ええ、そうかもしれません。でも、そうじゃないかもしれません』
ゴゴの考えは、推理とも呼べないような思いつき。
それは彼女自身も理解しています。
現時点では根拠に欠ける勘に過ぎません。
『その怪盗にせよ、被害者にせよ、とりあえず調べるだけ調べておこうかと。確認した結果、我の考えが的外れだったなら、それが一番ですし』
しかし同時にその考えが誤りだとする根拠もない。
ならば、確かめるだけ確かめておこうというのがゴゴの方針のようです。街の平和を守るために積極的に動き回るなんて、なんだか「らしく」ないかもしれませんが。
『あとはほら、下手に隠すよりも今正直に白状してしまいますけど。ここらで一つ手柄を立てて、貴女のことで下がった我の株を取り戻しておきたいなぁ、なんて』
「はっはっは、ゴゴは正直者だな! で、わたしはゴゴを手伝えばいいんだな? うん、いいな。そういうのはなんだか勇者っぽい気がする」
『そんなに勇者っぽいですかね?』
事件の性質上、勇者よりも名探偵や名刑事のほうが似合っていそうですが、ワルモノをやっつけるイイモノと考えればどれもこれも似たようなもの。勇者が謎めいた難事件を解決してはいけないという法もありません。
「この街はずっと平和だったからな。本当に悪い奴がいたほうが張り合いが出そうだ」
『ふふ、正直分からないでもないですよ。貴女が勇者っぽいことをしたいのと同じように、我も飾り物の聖剣にはなりたくありませんから』
かくして、消極的な“両親”とは反対に勇者のユーシャは聖剣と共に積極的に怪盗事件へと関わっていく気持ちを固めるのでありました。




