少女と老人のこれまで。そして、これから
同類の気配に気付いたラックは……しかし、特に何をするでもありません。
いえ正しくは、すでに彼がすべきことは終えたと言うべきでしょうか。
もちろん自分や身内が「仕事」のターゲットになりそうなら相応の対処をする必要もありますが、騎士団上層部とのコネを匂わせた時点で、この神官少女が彼らとその周囲の人間に何かしらの悪さをする可能性はほぼ消えたと考えていいでしょう。
一般の商店や飲食店でもよく言われることですが、制服姿の官憲が普段から客として出入りする店は盗難などの被害に遭いにくいもの。そうした肩書きは、ただそこに在るだけで少なからず防犯効果があるのです。
仮にそこまで考えが及ばない程度の小物だとしたら、それこそ警戒に値しません。放っておいても遠からず逮捕されるなりして消えるはず。
つまり、ラックは世間話ひとつで防犯対策を済ませてしまったわけです。
あくまで自分の周辺で悪さをしないようにという対策であり、知らないところで「仕事」をする分には誰が困ろうと知ったことではないというスタンスですが。
今の会話の裏に隠された意図に気付いたのは、ラック本人を除けば身内であるリン、老ドワーフ、そして対象である神官少女のみ。
「あっはっは、まあ仲良くしようじゃないの?」
「……自分、お兄さんみたいな人はタイプじゃないっすねぇ」
他の同行者に関しては、同じく彼の身内であるルカは素直すぎて言葉での駆け引きが不得手ですし、ルグも同様。ひねくれ者の上に頭が回るレンリも咄嗟にそういった裏社会特有の機微にまでは発想が及ばなかったようです。もっとも、これについては思考力というよりも経験の差によるもの。気付かなくとも無理はないでしょう。
◆◆◆
さて、今更ではありますが。
「自分、バーネットっていうっす。ついでに、この頑固ジジイにもキガンって名前があるけど、べつに忘れていいっすよ」
屋敷内の食堂に案内された神官少女はここで初めて名乗りました。
少女の名はバーネット。
年齢は十三歳。
背丈は同年代の平均よりもやや低め。体格は細身の痩せ型。オレンジに近い色素の濃い金髪で、ぼさぼさの癖っ毛を背中の中程まで伸ばしています。
老ドワーフの名はキガン。
正確な年齢はもはや本人にも不明ですが、少なくとも七百歳を超えているのは間違いないとのこと。エルフと同様の長命種族であれば、あり得ない話でもありません。
並外れた巨体に関しては見た通りとして、他の特徴としてはドワーフのトレードマークとも言える豊かな髭に、白髪交じりの黒茶色の短髪。左腕の肩から先がない隻腕ですが、その理由については寡黙すぎる本人に代わって紹介しているバーネットも知らないようです。
紹介を聞いた皆としては、今の名前が彼女達の本名なのかまでは分かりませんが、単なる個人を識別する記号としての偽名であったとしても、名前が分からないままでいるよりは幾分話しやすくなることでしょう。
「で、聞きたいのは自分と師匠の関係についてだったっすか?」
そもそもラック達の屋敷に場所を移したのは、その話をするためでした。
バーネットとしては話す義理も義務もないのですが、かと言って特に隠すほどのことではないと思っているのか。出されたお茶を啜りながら話し始めました。
「べつに聞いて楽しい話でもないっすけど……まあ、まず一年ちょい前くらいに自分のパパとママがいきなり死んじゃって」
初っ端からかなり重めのエピソードが出てきました。
「うちの家族は盗……えっと、広義の行商人みたいな商売をしてて、自分も物心つく前から馬車であちこちの国を行き来してたんすよ」
わざわざ「広義の」と前置きを付けるあたり、恐らく普通の合法的な商品のみを扱う行商とは別物なのでしょう。
十数年前の勇者が活躍した時代。
大規模な違法商品の流通ルートを有する犯罪組織はほとんど壊滅しましたが、組織に属さない小規模の個人業者までは公的な捜査機関の情報網でも全部を把握することは不可能です。
国境を股にかけて常に移動し続けるような相手となれば尚更。
闇市場の類にも出入りせず、顧客と直接売買する形であれば違法行為が明るみに出るリスクは更に少なくなります。そうした規模の小ささと幾らかの幸運もあって、バーネット一家は摘発を免れて商売を続けることができたのでしょう。
「師匠も元々はパパの取引相手だったんすよ。だから自分とも顔見知りではあったんすけど、いつ会っても全然喋らないし何考えてるか分かんないし、べつに仲が良かったとかじゃ全然ないっすから」
キガン氏もアルバトロス一家とばかり取引をしていたわけではありません。
いくつもある秘密のルートのひとつがバーネットの亡き父であり、その縁もあって元々馴染みの薄い顔見知り程度の関係ではあったようです。
そして、そんな二人の関係性が師弟へと変化した契機が約一年前。
「うちの馬車が崖崩れに巻き込まれて、自分は無事だったけどパパとママが……いや、神様の罰が当たったとか言われたら全く反論できないんすけどね」
当の神様が聞いたら半泣きで自分の無実を主張しそうです。
実際には、ただ運が悪かっただけの事故なのでしょう。
「でも本当に大変なのはそこからで。自分も命が助かっただけで足を折ってたし、人里離れた山奥だし、馬も死んじゃってたから移動もできないし、水も食料もお金も全部土砂に埋もれて掘り出せそうにないし……そのまま二日くらい経って、『あ、これは自分も死んじゃいそうだなぁ』って時に師匠が来て」
元々、双方共に取引の現場に向かうところだったのです。
しかし約束の日取りになっても相手が現れない。そこで探しに来たキガン氏によって、哀れな少女は一命を取り留めたというわけです。
「それで自分の治療をしてからパパとママと馬を掘り出してきちんと埋葬してくれて、運んでた荷物はほとんど駄目になってたけど埋まってたお金も回収できて……だからまあ、そこまでは自分もちゃんと感謝してるんすよ?」
バーネットとて命の恩人に感謝する気持ちは持ち合わせています。しかし、その後の流れは当事者である彼女にも何故そうなったのか分かりません。
「近くの街に着いて怪我を治してたら、いつの間にか神官の服なんて仕立ててきて『お前のだ』って。理由を聞いても『来い』としか言わないし」
怪我が治った後は一緒にいる理由も定かでないままの二人旅。
朝は日の出と共に叩き起こされて祈りを捧げ、移動中はひたすら聖句の暗唱を、街や村に着いたら(※大抵、常駐の神官もいないような田舎ばかりを巡っていました)休む間もなく結婚式や葬式の仕事の手伝いをさせられ、本当に見習い神官のようにストイックな生活をしていました。
保護者を失った未成年を憐れんで、自活できるよう教えられる範囲で手に職を付けさせる……にしても、本人の同意がないままというのは宜しくないでしょう。
いくらなんでも寡黙にも程があります。これではバーネットからキガン氏への当たりが強くなるのも無理はないかもしれません。
「主教さん、ちゃんと説明くらいしたほうがいいんじゃない?」
「無用」
呆れたラックが説得を試みるも失敗。
言って改善される程度の頑固さならバーネットもここまでの苦労はしていないでしょう。
ともあれ、こうして老僧と神官少女の経緯は皆の知るところとなったのです。
◆◆◆
かくして役者は揃い踏み。
平和な世には不要な勇者。
令嬢と傭兵。
老僧と神官少女。
そしてもちろんお馴染みの面々も。
これより始まるは、学都を舞台とした『怪盗』事件。
最後に笑うのは正義か悪か?
誰が正義で誰が悪か?
それとも、あるいは、本当に問うべきものは――。




