それはまるで山の如し
少し前。
ルカ達がレンリに呼び出された頃のこと。
「やれやれ、毎日大忙しだねぇ。僕らもすっかり堅気らしくなったもんだ。でも疲れすぎて倒れたりしたら大変だし、ここらで余所の街の賭場に遠征してドカッと稼いでくるのはどうかなぁ? ここまでの貯えを全額注ぎ込んでさぁ、それでしばらく遊びながら暮らすとか?」
「そんなこと本気で言う堅気がどこにいるってのよ。それじゃ、次はお肉屋さんね。三つ向こうの通りに取り置き頼んでる店があるから行くわよ」
ルカの兄であるラックと姉のリンが学都の街中を歩いていました。
空からの眺めを楽しめる遊覧飛行は物珍しさも手伝って観光客にも大人気。
日中に空を見上げれば人の乗った魔獣が飛んでいる姿を見かけることも少なくありませんし、この街の新聞社が発行している新聞を読めば宣伝広告もちょくちょく載っています。最近、家事手伝いなど一切せずにゴロゴロ食っちゃ寝している居候のタイムに、広告用のイラストを無料で描かせたりもしました。
まあ細かい事情はさておき、遠方からの旅行者となれば自然と財布の紐も緩みがちになるもの。そういうモノがあると知れば、自分も体験してみたいと考えるのは当然の流れでしょう。一回数十分の娯楽としてはそれなりに良い値段がするのですが、数日先の営業日まで予約で埋まっている人気ぶりです。
とはいえ、本日は鷲獅子のロノを利用した遊覧飛行の仕事はお休み。競合業者など出てくるはずもない独占商売で、飛べば飛ぶだけどんどん儲かるとはいえ、あまりに飛行時間を増やし過ぎて肝心のロノが体調を崩したりしたら元も子もありません。
普段は御者兼観光ガイドとして達者なトーク力を活用しているラックも、たまの休日くらいはのんびりと……したいところだったのですが、毎日働いているのは家事担当のリンも同じ。買い物の荷物持ちとして、こうして連れ出されているという次第です。
「重っ!? もしかして、ロノの食事量また増えた?」
「成長期なんじゃないの? ロノに自分で運んで貰えば楽なんだけど、最近人が多いせいか道路を歩くと馬車とかで渋滞するのよね。ルカも今日はいないし」
肉屋で購入した山羊肉の総重量は軽く五十キロに達するでしょう。
運搬用の台車を使っても決して楽なサイズではありません。
これだけの量でも一食分にしかならないというのですから、ロノの食欲はあのレンリをも上回りそうです。いえ、そもそも大型魔獣の比較対象として成立するレンリがおかしいのですが。
「買い物はこれで最後ね。じゃ、帰るわよ」
「えぇっ、ちょっとそこの店で一服してかない?」
「酒場を指差しながら言うんじゃないっての! 兄さんの場合、一服どころか十服でも済まなくなるでしょ。休憩なら家に着いてからゆっくり……あら?」
「おや、どうしたの……っと、おや?」
不真面目なラックにツッコミを入れていたリン、そしてその視線の動きに釣られたラックは、学都に来る前に付き合いのあった知人の姿を発見しました。
◆◆◆
大きい。
多くの人がその老爺を見てまず最初に感じる印象はそれでしょう。
身長は170㎝に届くかどうか、という数字だけを見るとさほどの長身とは思えないかもしれません。男性ならそのくらいの背丈は珍しくありませんし、女性であってもちょっと探せば簡単に見つかるでしょう。
しかし、それは人間やエルフにとっての話。
ドワーフという、成人の平均身長が人間の子供並みという種族でありながらそれほどの背丈の持ち主というのは、長いドワーフの歴史を紐解いてもそうはいないでしょう。
そして横幅と身体の分厚さといったら人間種の比ではありません。
でっぷりと出た腹に短い手足という普通のドワーフの体格が(常識外れの酒好きという意も込めて)酒樽に例えられることはよくありますが、これほどに巨大な酒樽など滅多にないでしょう。
その重厚感はタルというより、もはや山。
山を構成する土や木や岩を人間大のサイズにまでギュっと押し固めて、そこに手足が生えて動き出したかのような……という比喩ですら過剰とは感じられないほどの圧倒的存在感。
普通の人間が背丈で多少上回っていようと、その人物の前に立てば今にも折れそうな枯れ木ほどに頼りなく見えてしまいます。左の肩から先が無い隻腕である点を考慮しても、弱々しい印象は皆無です。
「…………」
それほどに巨大な老人が学都の街中をのしのしと歩いていました。
着ているのは裾がボロボロになるほど擦り切れた僧服。
体格から考えると間違いなく特注品でしょう。
神殿関係者にとっての制服みたいなものですが、あまりに年季が入りすぎているせいか、そして着ている本人の外見も相まって、今まさに命懸けの荒行を終えてきた修行僧の如き凄みが放散されています。
深い皺が刻まれた顔は長年風雨に晒された巌のような厳めしさ。
体格から来る迫力と相まって、行き会った通行人も、大きな馬車も、いかにも気位が高そうな貴族風の若者ですらも、慌てて端に寄って道を譲ってしまうほどです。
「…………」
異様な、あるいは異形と言っても差し支えないような威容の巨躯には、周囲からの好奇や怯え、少数ながら徳の高い聖職者に向けられるのと同種の畏敬など、様々な感情混じりの視線が注がれています。
が、当の本人はというとそれらに一切気付いていないかのよう。
正確には気付いた上で無反応・無感情を貫いているのでしょうが、そうした何事にも揺るがぬ泰然とした態度もまた不動の山々を思わせます。
「…………」
山のような印象の老人は何かを、もしくは誰か探しているのか、時折小さな目でギョロリと周囲を見渡し……たまたま目が合った通行人が悲鳴を上げたりもしていました。
別に意図して怖がらせるつもりはないのでしょうが、過剰に威圧感がありすぎるがための不可抗力というものです。そんな調子で何時間も歩き続け、無意味に何人もの通行人を怖がらせていた老僧は、
「…………ぬ?」
「ああ、やっぱり。こんなに大きいドワーフなんて見間違えようがないわ」
「やぁやぁ、ご無沙汰してます! こんなところで奇遇だねぇ、首座主教さん」
かつて、ちょっとした付き合いがあった知り合いと再会しました。




