スーパー頑張りガール
『ど、どうして……?』
ヒナをかばって身代わりになる形で胸部を刺し貫かれたレンリ。
『どうして、そんな……』
頭上の怪物から伸びてきた黒針は、間違いなく彼女の左胸を貫いていました。ヒナ達のような特殊な体質でもなければ確実に致命傷。
そう、致命傷のはずなのですが……、
「うわー、死んだ! どうせなら、もっと格好いい武器に刺されて死にたかった! 死にたくないけど! ……って、おや?」
ヒナを突き飛ばしたせいで代わりに刺され、そして今もなお左胸の心臓の位置に針が刺さったままだというのに、レンリは割と元気にしていました。
「刺さってるけど、あんまり痛くないし血も出てない? 致命傷で脳内麻薬がドバドバ出て痛みを感じてないだけってわけでもなさそうだし……ははーん、なるほど。さては窮地に陥った時にバトル系絵草子の主人公が隠された能力に覚醒するとか、そういう感じのアレか! まさか私にそんな力が」
『違うわよ! 危ないから、あんまり動かないで!』
心臓を刺されたレンリが無事だった理由は、作中のインフレが激しそうなバトル系絵草子によくある感じのアレではありません。少なくとも覚醒したのはレンリではありません。
「おや、お腹の辺りが何だかシャバシャバして……へえ、面白い。内臓とかどうなってるんだろ?」
『ちゃんと元通りに戻すから、じっとしててってば!』
気合一閃。
ヒナが無造作に放った拳が刺さったままだった黒針を打ち砕きました。続いて、一時的に液体化していたレンリの身体や衣服も元通りに。能力を解除すれば傷ひとつ残っていません。
液状化能力。
液体操作と同じ、ヒナのもう一つの能力。
内臓も、骨格も、筋肉も、神経も、皮膚も、元の性質をそのままに液体に。
そんな状態でありながら、血液の循環は能力の補助によって正常になされています。脳や体内の各器官が酸素不足に陥ることもありません。
相当に繊細な操作が要求されますが、そうやって生きた人間を生きたままに融かしてしまえば、何しろ液体なのだから刺されても切られてもダメージの大部分を素通りさせられるという寸法です。
が、根本的な疑問として迷宮の外では液状化能力は使えないはず。
いつの間にか身体能力のリミッターも外れています。それでレンリが助かったのは確かですが、どうして能力の制限が外れているのかはヒナ自身にも分かりません。
『でも、どうして?』
ヒナ自身も答えを期待していたわけではない呟きに、
『うふふ、どうやら間に合ったようですね』
『あるじさま!?』
しかし、何故だかこの場にいる胡散臭い神様が応えました。
迷宮都市でレンリと会った時のような真っ白い司祭服ではなく動きやすそうな旅装姿ですが、その目立つ白髪は見間違えようもありません。
『能力制限のことなら、さっきの人混みで貴女の頭に触った時にちょいちょいと。いやぁ、この身体も体格が良いわけではありませんから真っ直ぐ進むのも大変で』
「ああ、そういえば。ヒナ君、さっき誰かに頭を撫でられたって言ってたっけ。てっきり特殊な趣味の変態かと思ってたけど」
『えぇ、そんな風に思われてたんですか!?』
こんなのでも神様、かつ迷宮達の創造主。
能力のリミッターを外すことも、まあ出来ても不思議はありません。
『それでですね、聞いてみたいことも多々あるとは思うんですが……ほら、わたくし達このままだと皆まとめてぺしゃんこに潰れてしまいますから。だから、ヒナ。先にアレをなんとかしてもらえます?』
肝心なところを丸投げしてしまうあたり、やはり格好がつきませんが。
◆◆◆
巨大隕石の如く、学都の中心に向かっていた怪生物。
墜落まで残り十秒もないだろうと思われた巨体は、
『重いっ、けど! あああああっ!』
しかし、その寸前でヒナが食い止めました。
正確には、彼女の操る大量の水が。
「ヒナ君の本気って、あんなにすごかったんだ……」
『ええ。すごかったんですよ、あの子』
学都の東を流れる大河。
そこに流れる何百万、何千万トン、もしかしたらそれ以上もの水が(河に棲む生き物の生命維持に必要な分だけを残して)瞬時に宙へと浮かび、そして猛烈な速度の水鉄砲として墜落しつつあった怪物を空中で食い止めているのです。
パニックを起こして視野狭窄に陥っていた人々も、流石にこの光景を前にしては動きを止めざるを得ません。
『まだ足りないっ……もっと! もっと力を!』
打ち上げているのは大河の水だけではありません。
突如、街中の道路が砕けて大量の地下水が噴き出しました。
更には水道管を通る上下水道の水までも。
怪物に向けられる水鉄砲の速度は、音速の優に十倍以上。
更にどんどんと加速を続け、傍目からは水鉄砲というよりも極太の光線のようにも見えます。
膨大な質量の水がそれほどの速度で打ち上げられ、更に直撃した後に空中に散った水も再度上空へと向かっています。仮にこれほどの破壊力を受けたなら、山の一つ二つくらいは軽く消し飛んでしまうかもしれません、が。
『これでも足りないの!?』
すでにヒナは怪物の周囲の大気や雲までも液状化し、落下エネルギーの緩和に用いています。それだけなく、自身の体内の水分を操作することで宙に浮かび、高い位置から何か使えそうがモノがないかと探しています。街を囲む市壁や地面の石畳、大量の土砂までもドロドロに液化して上空の怪物へ叩きつけていますが、いずれも決定打にはなっていません。
怪物があまりに巨大すぎて、一時的に肉体を抉り飛ばしてもすぐに再生されてしまうのです。更に、ヒナがギリギリ持ちこたえている間にもますます大きさを増し、サイズに比例して質量もどんどんと増えています。
じりじり、と。
ほんの少しずつヒナが押されてきました。
元々の墜落の威力の大部分を相殺したとはいえ、これだけの巨体、これだけの重量物が落下したら、やはり街の壊滅は免れません。
『ぐ、うぅ……っ』
ヒナは既に本体の迷宮から引き出せる力を限界まで、いえ限界以上まで使っています。現在の化身の身体は迷宮内でのそれと同じだけの頑強さを有していますが、本来の想定を超える出力に耐え切れずに身体のあちこちがヒビ割れ、骨格も砕けかけていました。
『ああ……うううぅっ』
ここでヒナが力尽きても、彼女自身は迷宮内で復活できるかもしれません。墜落の威力の大部分が減じた今ならば、迷宮や聖杖の崩壊だけは免れられる可能性があります。
けれど今ここでヒナがいなくなったら、今も巨大化を続ける怪物のみならず、大量の水までもが能力の制御下から外れて街に降り注ぐことになってしまいます。もう既に街の全てが水没して余りあるほどの大量の水を操作しているのです。
ここでヒナの身体が砕けたら、街も、住人達の命も全てお終い。
『駄目……駄目、なのにっ』
そんな事情を、そしてヒナの素性や能力を彼らが正確に把握しているわけではありません。異変の発生からここまで、誰かが何かを丁寧に説明してくれる機会などなかったのですから。
「……ん……ばれ」
それでも、分かることはある。
伝わるものは、確かにあった。
「「「頑張れ!」」」
ヒナが彼らを守ろうとしているということだけは、自分の身体が砕けヒビ割れているのになお必死に身を挺している気持ちは伝わりました。
「頼む、頑張ってくれ!」
「さっきより落ちる勢いが落ちてる。もうちょっとだ!」
「行け、お嬢ちゃんなら出来る!」
それで彼ら彼女らに何が出来るかというと、上空のヒナに向けて声援を飛ばすのが精一杯。住人達はただ人任せにして祈っているだけで、具体的に何かしらの戦力が増えたわけではありません。
『え……これ、は?』
ほとんど何の意味もないはず、なのに。
応援が、祈りが、願いが、まるで物理的な圧力を持っているかのようで。
『これは……これなら』
ヒビ割れて砕け散りかけていた身体も、いつの間にか元通りに。
いえ、外見は変わらずとも元以上の力強さを得て回復しています。
「「「頑張れ!」」」
『うん、頑張る! 我は、頑張る!』
ヒナの心の底からこれまでとは比べ物にもならないほどの大きな力が湧き上がり、少しずつ、けれど確実に怪物の巨体を押し返しつつありました。




