わくわく! たのしい人体実験
※正確には「人体」ではありませんが
ところで、現在勾留中のヒナの身分は「どこかの国のやんごとなき身分のお嬢様」という風に騎士団の人員には理解、あるいは誤解されているようです。
どこぞの高貴な身分の令嬢が街でトラブルを起こしてしまった。通常ならば傷害事件として処理すべきところだが、政治的なあれこれが関係するゆえに極めてデリケートな対応が求められるのだ……という感じに。
シモンが直接的にそう説明したわけではないのですが、要所要所の説明を省いて言葉を濁しているのを、そういう形に解釈されたという具合でしょうか。毎食の出前物の注文や丁重に扱うようにという指示は通常の容疑者とは明らかに違った対応。事実、今のヒナの状況は、逮捕・勾留というよりも保護と呼ぶのが近いものでした。
また彼の王族という身分も、そうした想像を補強する材料になってる様子。
部下達を信頼してはいるものの、迷宮の運営側の事情についてはシモンとしても易々と明かすわけにはいきません。彼としてもなかなか難しい立場なのです。
これがよく舌の回るレンリや、あるいはあの恐るべきコスモスならば、いとも容易く適当な理屈を捏ね上げて誰しもを納得させられるのでしょうが、誠実な性格のシモンは、誠実であるがゆえに嘘や誤魔化しをするのが不得手なのです。演劇鑑賞と並ぶ彼の数少ない弱点の一つとも言えるかもしれません。
「おお、やっているな。調子はどうだ?」
「ご苦労様です。仕事のほうは大丈夫なんですか?」
「なんとかな。あまり長くは抜けられんが」
そんなシモンが休憩がてらに執務室を抜け出して留置場の様子を見に来たところ、レンリ達はヒナの衝動を抑えるための実験の真っ最中でした。
「ところで、ヒナ君は大丈夫かい? 普通の人間ならもう十回くらい首が折れてそうだけど」
「大丈夫、何も問題はないわ。続けてちょうだい」
ヒナの首には先程装着した首輪。そこから伸びる革製のリードはベッドの足にしっかりと結び付けられていました。これなら暴れだしてもすぐに止まって誰かに危害を加えることはできません。
と、ここまでが実験の下準備。
この状態で牢の外にいるレンリが、
「ええと、それじゃあ続きね……『どうして、おばあさんのお口はそんなに大きいの? それはね、赤ずきん。お前を食べるためさ。正体を現した狼は赤ずきんに襲いかかり』っと」
「……、っ」
異世界の語学の勉強として読んだという童話の内容を暗唱すると、怒りに我を失ったヒナが全速力で駆け出そうとして……直後にピンと張った首のリードによって強制的に動きが止まりました。普通の人間なら勢いで首が折れてしまいそうですが、ヒナ達の場合は首がもげるくらいの損傷を負わない限りは問題なく動けます。
「ふむ、これは何をしているのだ?」
「怒りを抑えるのとは逆に、わざと何度も怒らせてみたら衝動が薄れないものかと。まあ、それについては上手くいったら儲けものくらいのものですけどね」
怒りや悲しみといった負の感情は、抑えつけて隠すことは出来ても、それは根本的に解消したわけではありません。時には感情を顕わにして発散することも、人間には必要なのです。
何度も何度もわざと怒らせることがストレスの解消に、ひいては暴走の抑制に繋がるのではないか、という発想によるものです。もっとも、人間のように見えて人間でない彼女達にその考えが当てはまるかは全くの未知数ですが。
「でも一応、収穫はありましたよ」
「ほう、収穫とな?」
『……ぅん。我が我を失ってる時に強い衝撃を受けると動きが止まるみたい』
わざと怒らせてみる実験の目的は他にもあります。
暴走時の性質の観察や様々な検証。
先日の酒場での事件の際に、ルグの飛び蹴りで動きを止めたこともヒントになって、緊急時にヒナを停止させる手段も見つかりました。
首のリードで猛ダッシュが急停止したり、両足首のロープが邪魔になって顔面から思い切り転んだり、鉄格子に全力で突っ込んだり、そうした衝撃で暴走が止まるようです。
そうして停止した後は数秒から数十分ほど気絶したように動かなくなって、その後に正常な精神状態に復帰する、と。こうした条件が分かれば対処のしようも出てきます。
「ヒナ君がフィクションにも反応するのが分かったから検証が楽でいいね。わざわざ本を犠牲にしなくても、読み上げたり暗唱するのでもちゃんと効果があったし」
『我としては喜んでいいのか複雑な心境だわ……』
また暴走時の行動についても条件があるのが分かりました。
先程、ヒナが自分で本を読んだ時には手元の本をバラバラに。
レンリや他の誰かが口頭で「悪」に該当する話を口にしたら、その誰かに向けて。
先日の酒場でも、店内には喧嘩をしていた者達以外の客や店員がいましたが、喧嘩の当事者やそれを煽るような言動を取っていた者以外は無事でした。
これらの事実から、暴走時にも一応の思考は働いており怒る相手を選択しているということが分かりました。手当たり次第に誰も彼もを攻撃するわけではありません。誰が襲われるのかの把握がしやすくなれば、いざという時に的確な対応が出来る可能性も高まります。
「とりあえず、あと百回くらい試してみようか。それで何か変化があるか見てみよう」
『ひゃ、百回も……?』
「それだけじゃ少ないかな? 繰り返してるうちに慣れて、ヒナ君が自分の意思で衝動を制御できるようになればベスト。それが無理でも、まだ気付いてない細かい条件があるかもしれないし。それから私達の側が対処に慣れることも必要だろうね」
研究者としてのレンリに容赦はありません。
ついでに、常識もあまりありません。
百回でも千回でも、やると言ったら本気でやるつもりです。
「安全なこの場所にいる間に色々試しておかないとね。ヒナ君達に鎮静剤とか筋弛緩剤が効いたら、もっと色々な条件で実験できたんだけど残念だなぁ。そういえばキミ達に精神魔法って効くのかな? ふふふ、この際だからそれも試してみようか」
『え、あの? これって我のためにしてくれてることなのよね?』
「ははは、そんなの決まってるじゃないか、ははは」
『ほ、本当に大丈夫なのかしら?』
どうも、実験を重ねるうちにレンリはなんだか楽しくなってきてしまったようです。彼女の奇行に慣れている面々は平然としていますが、まだ知り合って間もないヒナは、これから何をさせられてしまうのかと不安を隠せないでいます。
「おっと、もう戻らねば。あまり構ってやれずに済まぬが、まあ、ほどほどにな」
「ええ、それはもう。ほどほどに」
『不安だわ……』
◆◆◆
それから実に五日間。
レンリは来る日も来る日も留置場に通っては怪しげな実験を繰り返しました。
怪しげな魔法書に載っている怪しげな魔法を試してみたり、錬金術で作られた怪しげな魔法薬を買ってきて駄目元で飲ませてみたり。
そんな怪しげなレンリの横ではルカやルグがすっかり暇を持て余して退屈していたのですが、時折、怪しげな実験機材やら記録を付けるための筆記具やらの買い出しを頼まれ、本当に営業許可を取っているのか怪しい薄汚れた魔法道具店に行って、仮面で素顔を隠している怪しげな店主から買い物をしたりすることもありました。
そしてとうとう、レンリが思いつく限りの怪しげな実験が終わったあたりで、騎士団側の諸々の手続きが片付き、ヒナが堂々とシャバに出られる日がやってきたのです。




