ルカは冒険者?
「お姉ちゃん……ちょっと、いい?」
ヒナと出会った日の夜。
夕食の後片付けを手伝いながら、ルカは姉のリンにこんな話を切り出しました。
「ロープ、とか……ない、かな?」
「ロープ? 迷宮で使うの?」
「迷宮で、というか……迷宮に……? えと、詳しくは、言いにくいんだけど……」
色々と紆余曲折ありましたが、学都に腰を落ち着けてからのルカは様々な物事に積極的になってきました。臆病で内向的な性格は一見すると変わっていないようにも思えますが、ほんの一年前のそれとは雲泥の差です。
自分の能力に怯えるばかりでなくなり、家族と離れて友達と長期の旅行に行ったり、極めつけは恋人まで出来て……と、そんなルカの変化を彼女の家族も大変好ましく思っていました。
「っていうか、ロープなら前に買ってなかった? そんなすぐ使い切るような物でもないでしょ」
「あ、その……そっちのは、まだ残ってるんだ、けど……前のだと、あんまり……具合が良くなくて……」
「具合?」
「ええと……前のは、ロープの目が粗くて……肌に、跡が、残りそうで」
「ふんふん、ロープで肌に跡が……はい?」
次から次へと空いた食器を洗っていたリンの手がピタリと止まりました。
用途に関しては、詳しく言いにくい。
ロープを、誰かしらの肌に跡が残りかねないような使い方をするらしい。
そしてルカには少し前から交際している相手がいるという前提があれば、リンの想像がちょっとばかりいかがわしい方向に進むのも無理はない、かもしれません。
すっかり家政婦業が板についていますが、彼女はまだルカより三つ年上のギリギリ十代。色恋沙汰への好奇心や素敵な出会いを求める気持ちは人並みにありますし、正直に言うならば、恋愛で妹に先を越された焦りも全くないわけではないのです。
「お姉、ちゃん……どう、したの?」
「ああ、いや、なんでもないわ。ちょっと気が散ってただけ……」
まあしかし、いくら男女交際を始めたとはいえ、あのルカがいきなりそんな段階まで進むことはないだろうと、リンの頭の冷静な部分では判断してもいました。
相手のルグについても、子供っぽい顔に似合わぬ、今時珍しいくらいの堅物という印象があります。ちょっと前に挨拶に来た時には、まだ手を握るの握らないのといった段階で止まっていたはずのプラトニックにもほどがある二人が、いきなりそんな方向に走るなど普通に考えればあり得ません。
「そうだ、蝋燭も……あると、いいんだけど……ない、かな?」
「蝋燭ね。それなら物置にあったはず……蝋燭!?」
「お、お姉ちゃん……大丈夫?」
驚愕のあまりに、リンは洗っていたスプーンを床に落としました。
ルカには、姉が何をそんなに驚いているのか全然分かりませんでしたが。
「それから、ペット用の……首輪、を売ってるところ……知らない?」
「……首輪、首輪ね。一応聞いておくけどロノ用のじゃないのよね?」
一般的なペット用品店に鷲獅子のサイズに対応した首輪などあるはずがありません。ルカもロノ用に何か買うつもりならわざわざ聞いたりしないでしょうが、リンは一縷の望みをかけて尋ねました。
「うん、違う……よ? 大きい犬用の、なら……人にも、使えるかな、って。外での、お散歩用に……リードを、付けられるのが……欲しくて」
「そ、そう、散歩用に……」
この時点で、ロープや蝋燭や首輪やらの用途についての疑いが確信に変わりました。というか、隠し事の下手なルカは、ペット用の首輪を人に使うつもりだとポロっと明かしてしまっています。
普段から冒険をしているのは知っていたつもりだったけれど、ロープや蝋燭や首輪で一体どんなアブノーマルな冒険をするつもりなのか。冒険者というのは、そういう冒険をする者という意味だったのか。せっかく裏稼業から足を洗って綺麗な身になったのに、屋外でいかがわしい冒険をしたりしたら、これまでの一家のあれこれとは別件で何らかの罪に問われやしないだろうか。具体的には、公然猥褻とか公序良俗違反みたいな感じのやつに。まだ道具を準備しているということは本格的な行動に移す前のはずで、今のうちに身内として止めておくべきなのでは。しかし、いくら家族とはいえ、そういったプライベートな領域の話に踏み込んでしまってもいいものだろうか。こういうデリケートな話題となると、どうしても慎重にならざるを得ない。それに、もしかしたら一般的なカップルというのは実は皆そういうことをしているのかもしれない。自分がこれまで知らなかっただけで、実は世の多くのカップルは夜な夜な冒険者としてそれぞれの冒険道を追求しているのかもしれない。ありったけの夢をかき集め、摩訶不思議なアドベンチャーに精を出しているのかもしれない。なにしろ実際的な恋愛の経験値においては今や圧倒的にルカのほうが勝っているわけで、だとしたら何かしらの忠告をしようにもまったくの的外れになってしまうような気もして……みたいなことを一瞬で考えたリンは、結局、ルカにこう伝えました。
「…………ええと、たしか、いつも行ってるお肉屋の並んでる通りの端に、ペット用品の店があったはずよ?」
「ありがとう、お姉ちゃん……明日、ルグくんと……一緒に、行ってみる、ね」
「ええ……まあ、ほどほどにね。身体に無理がないくらいに」
「身体に、無理……? うん、ありがと……?」
話しながらも半ば無意識で手を動かしていたらしく、いつの間にか全部の食器を洗い終えていました。翌朝の食事の下準備は先に済ませていたので、これでもう今日の仕事はありません。
「それじゃあ……おやすみ、なさい」
「ええ、おやすみ……」
手伝いを終えて自室に戻ろうとするルカを見送ったリンは、なんとも複雑な心情のこもった溜め息を吐くのでありました。
「アタシも彼氏欲しいなぁ……」
まあ、もちろん彼女の考えたようなことは全部誤解なのですが。




