たとえ、貴方が貴方を諦めてしまっても
「さて、何から話したものか」
取調室に入ってきたシモンはヒナの向かいの椅子に腰掛けました。
わざわざ団長の彼が直々に対応しているのは、騎士団の部下達にも明かせない迷宮の運営側の事情が関係してくるからこそ。現在この部屋にいるのは、そうした事情を共有している者だけです。
「久しいな。たしか、ヒナ、だったな?」
『ええ。久しぶりね、王子様』
「とりあえず先に言っておくと、怪我人については見た目ほどの重傷ではなかったようだ。骨折も綺麗に治るような折れ方だったから二、三日も入院すれば全員家に帰れるだろう……と、報告を受けている」
ヒナの筋力が大きく制限されていたのが幸いしました。
あくまでも、不幸中の幸いですが。
被害者達には足や鼻骨の骨折、多数の打撲や擦過傷があるものの、どれも致命的な怪我ではありませんでした。お酒が入っていたせいで出血量が増えていたようですが、それもしばらく貧血気味になる程度のもの。少なくとも、命の危険があるほどの失血ではありません。
「そなたらにも礼を言わねばな。適切な処置であった」
度数の高いアルコールで眼球や鼻腔の奥が刺激されてもいましたが、それについては早い段階で患部を洗浄したおかげで、失明や呼吸器の損傷などの大事には至りませんでした。
「ははは、それほどでもありませんよ。私は何もしてませんし」
「実際、レンはほとんど何もしてないからな」
「だって、手が汚れるの嫌だったし」
まあ、レンリは作業の指示をしていただけで、実際に痛みに呻く男達に処置を施したのは酒場の店員とルグだったのですが。清潔な飲み水を持ってこさせて大きい器に溜め、そこに一人ずつ顔を突っ込ませてジャブジャブ洗う。ガブガブ飲ませてゲエゲエ吐かせる。それはそれで新手の拷問のような光景でしたが、治療のためならば仕方がありません。恐怖と苦痛で抵抗する気力もなくしていた男達はとても従順に洗われていました。
「それでな、現在そなたは『知人に付き添われて出頭してきた容疑者』という扱いになっている」
『出頭? ……そう。気を利かせてくれたってわけ』
「強引であるのは分かっているが、まあ聞いてくれ。自首してきた点やまだ子供である点を差し引けば、重い罪になることはない。流石に今すぐとはいかぬが、遠からず解放することもできるだろう」
現場で最低限の対処を終えたレンリ達は、拘束したヒナを担いで真っ先にこの騎士団本部へと向かいました。厳密にはヒナ自身の意思ではないとはいえ、これならば辛うじて「自首」という形が成立します。
また、シモンの言うようにヒナが子供である点も考慮すれば、傷害事件としては異例なほどの、かなり軽めの沙汰になることでしょう。たとえ本人がそれを望まないにせよ。
「正直、こちらとしても悩ましいのだ」
また、シモンとしてもそうした判断は決して望ましいものではありません。それは無論、厳しい罰則を科せないのが不服という意味ではなく、
「そなたらは人の姿をしているが、あくまでも本質は迷宮だからな。当然、どこの国にも戸籍などない。そんな存在に対して、人の定めた法がどこまで適用されるのかというと……正直、俺もよく分からん」
『分からない、って……』
そもそもの話をすれば、人ならぬ迷宮に人の法が通用するのか、適用させるべきなのかという問題に突き当たります。
たとえば、現在この世界の多くの国では、エルフやドワーフのような異種族や、魔界出身の魔族については、最多数種族である人間と同じように扱われています。細かく見ていけば差別や区別が全く存在しないとは言い切れませんが、少なくとも建前上は同じルールの上で同じように生活しています。それは姿形に多少の差異があれ、ある程度の価値基準を共有できるからこそ。
しかし、多種多様な特徴を有する妖精族などについてはケースバイケース。
人間の街に住んで共存している家妖精や、人間相手に行商や旅芸人をして生活する旅妖精のような者はともかく、そもそもの価値観や思考が人間とかけ離れすぎていたり(たとえば「所有」という概念を理解できない種類の妖精は、一切の悪気なしに食べ物を盗んでいったりします)、種類によっては生物というより自然現象に近い者もいたりして一律での判断ができません。
「付け加えると、迷宮の運営側のあれこれは現時点では公にできぬしな。俺も全部を知らされているわけではないが、ヒナ達の創り主にとっても迷宮が問題を起こしたことが広まるのは不都合であろう。それに住人の立場からしても、学都の重要な資源である迷宮が危険な物であると印象付けられるのは困る」
これが迷宮の化身となると、果たしてどう判断すべきなのか。
シモンが判断に困るのも仕方ないというものです。
迷宮都市の知り合いに連絡を取って、被害者や目撃者全員の記憶に精神魔法で干渉し、最初から何もなかったという風に思い込ませる奥の手もあるにはありますが……それは最悪にして最後の手段。本質的には何も解決しません。
「言い方は悪いが、そなたらの立場は野生動物や魔物に近いのだ」
『まあ……そうかもね。他の子はどう感じるか知らないけど、我は別にそれで気を悪くしたりしないわよ。なんなら悪さをした魔物と同じように駆除してもらってもいいんだけど?』
「こらこら、そう捨て鉢になるでない」
退治すればそれで済むというものでもありません。
ヒナの場合は人と同じような姿をしていて、人の言葉を解し、倫理観や道徳心なども持ち合わせているのが逆に問題を複雑にしています。彼女自身の自己嫌悪や自罰的な態度も、元はと言えばそういったものを理解しているからこその苦しみです。
迷宮の外には刺激がありすぎる。
いつスイッチが入ってしまうか分からない。
付き添いを頼めそうな人間と知り合ったのをこれ幸いと外に出てはみたけれど、実際そのおかげで最悪の事態になる前に止めてもらえたけれど、それでも被害を出してしまった。
自分の迷宮に引きこもるより前にも何度も我を失って、老若男女、誰だろうとも襲い掛かっては怖がらせて、怪我をさせてしまった。三年も我慢したけれど、今度は大丈夫かもしれないと期待していたけれど、結局は何も変わっていなかった。
まだ死人が出ていないのは、たまたま、運が良かっただけ。
次に我を失ったら、その時こそ人を死なせてしまうかもしれない。
『……やっぱり、我は外に出てはいけなかったのね』
ヒナの心を諦めが支配しつつありました。
自らの衝動を抑えられない以上、仕方がない。
綺麗な街並みも、美味しそうな食べ物も、数えきれないほどのお店も、仲良くなれたかもしれない人々との交流も、それらは全部自分とは縁のないものだった。最初から諦めてしまえば、憧れたものを自分の手で壊してしまうことはないのだから、と。
『……ごめん。ごめんなさい。もう街には来ないことにするわ』
他の誰かが相応しい罰を与えてくれないならば、せめて、そうやって諦めることで自分自身を罰しようとして……。
「いや、やったことの反省は必要だが、子供が外に出て悪いことなどなかろう?」
と、シモンが。
「そうそう。どうもヒナ君は物事を固く考え過ぎるみたいだね。キミの怒りっぽさ、って言っていいのかな? アレについては私達がなんとかしてあげるから、まあ大船に乗った気持ちでいたまえ」
と、レンリも。
ヒナが顔を上げると、ルグとルカも優し気に頷いています。
たとえ本人が諦めてしまったとしても関係ない。そんなのは大した問題ではありません。事実、この場にいるヒナ以外の皆は、誰一人としてヒナのことを諦めてなどいなかったのです。




