パワーアップ!
第三迷宮『天穹海』。
レンリ達はおよそ三ヶ月ぶりに、この広大な海の迷宮へと戻ってきました。
迷宮外は冬の盛りは過ぎたとはいえ、まだまだ肌寒い時期ですが、『天穹海』の内部は常に南国のような陽気を保っています。
気温はおおよそ三十℃前後。
空も海も青々と広がっており、日差しが燦々と降り注いでいます。
「……暑い。ここでロングコートは失敗だったかも」
「……俺も。毛皮の内側に湿気がこもる」
まあつまり、冬服では少々厳しい気候ということなのですが。
レンリは『銀糸の腕』を仕込んだコートを、ルグは熊革のフードを身に纏っており、この夏のような空間では非常に暑苦しい見た目となっていました。
「ううん……もっと涼しい服に『糸』を入れ替えておくべきだったかな」
『銀糸の腕』は糸状の人造聖剣を操作することで発動するわけですが、別にその『糸』を仕込む衣服の種類は問いません。何もロングコートでなくとも、シャツでもセーターでも一定以上の布面積があればどんな服にも魔法で縫いこむことが可能です。
まだ迷宮に入って数分も経っていませんが、レンリは次にこの迷宮に入る時にはもっと涼しい服に『糸』を仕込み直してこようと決めていました。
ですが、トラブルといえばその程度。
暑苦しい格好を除けば、迷宮探索の再開はまずまず順調な滑り出しを見せていました。
現在の迷宮では、以前発生した『モノリス』を用いた転移を利用して行ったことのある場所には即座に戻ることができるようになっています。
しかし今回の三人はあえて、スタート地点の小島から細長く延びる岩礁を歩いて進むという、以前来た時と同じような行程でテクテク進んでいました。
『モノリス』は転移や触れた者の能力操作などの機能を有する便利な物ではあるけれど、その正体は、というよりは真の目的は触れた者の情報をより詳細に解析して迷宮の糧とするための装置である……ということを、レンリ達は既に神様から聞いて知っています。
こんな胡散臭い代物を創った張本人は『収集した情報はこちらの目的以外に使うことはなく、またプライバシーに配慮して第三者に明かすことはありませんのでご安心ください』と、いわゆるコンプライアンス的なものに気を遣った物言いをしていました。
まあ、なんとなく面白くないとは感じつつも、明確に身体や精神に害があるわけではありません。迷宮に住んでいるライムもどうやら普段から便利に使っているようですし、時折彼女を訪ねるシモンも同様。以前コスモスが学都に来た際にも使っていました。なので、害がないという点に関しては信用できます。
そもそも、以前にそうと知らずに触った時点である意味手遅れ。いっそ割り切って便利な機能を享受すべきだという考え方もあるでしょう。レンリとしても、『モノリス』の使用自体には恐らく問題ないだろうと結論付けていました。
「だんだん思い出してきたよ。たしか次の小島に休憩できそうな木陰があった気がする」
「また甘い果物、とか……あると、いいね」
「二人とも。そこの岩、滑るから気を付けろよ」
その気になれば以前に攻略した地点まで瞬時に移動できるのにそうしないのは、単純にブランク明けの勘を取り戻すためです。この一ヶ月ほども戦闘の訓練はしていましたが、迷宮を進むのは戦闘だけ出来ればそれで済むというものではありません。
歩きながら周囲の地形把握や索敵を行い、魔物がいれば戦闘に有利な場所に誘い込んだり気付かれないうちに離れたり。街中の舗装路ではない、凸凹のある地面や砂浜、海水に濡れた岩場での歩き方。休憩場所の選定。
そういった細々としたあれこれに慣れ、必要な感覚を思い出すために、あえて今回は『モノリス』の転移機能を用いずに以前進んだ道程を地道に歩いているというわけです。流石にブランク明けでいきなり未踏区域に踏み込むほど無謀ではありません。
「ふぅ、これで前来た時の半分くらいかな?」
「うん……順調、だね……」
「油断は禁物だけどな」
ですが、そうした用心が杞憂に思えるほどに順調です。
以前に来たことがあるからでもありますが、最大の理由は魔物への対処に要する時間が減ったおかげでしょう。それというのも……。
「え、えい……っ」
ルカが可愛らしい掛け声と共に素人丸出しのテレフォンパンチを繰り出すと、堅牢な甲殻に守られた黒鉄鋏巨蟹が一瞬で爆散しました。
比喩でもなんでもない木っ端微塵。
火薬式の爆弾でもこうはならないでしょう。
黒鉄鋏巨蟹も決して弱い魔物ではありません。大きな鋏は椰子の木をも両断し、鋏と同じ強度の殻に全身を覆われているのです。
丈夫な甲殻を持つ魔物の例に漏れず、防御力の低い関節の隙間を狙えるだけの腕前があれば倒すのは難しくないにしても、こんな風に甲殻の上から強引に粉砕するのは破壊力特化の攻撃魔法でもなければなかなかできるものではありません。
「これじゃ食べるところも残らないなぁ」
「あ、ごめん……次は、もっと……手加減する、ね」
戦闘が終わってみれば、巨大な蟹の肉も蟹味噌も、防具の材料として売れる殻も何一つ残っていませんでした。粉々に砕けた破片も大半が吹っ飛んで海に沈んでしまっています。迷宮に入ってから幾度か魔物と遭遇したのですが、万事が万事この調子なのです。
「え、えい……っ」
ルカが一撃入れただけで、どんな魔物も一発KO。
触手か鞭のように蔦を操る巨大西瓜、ウォーターメロン・トォレント。
弓矢のようにトゲを射出してくる弓兵雲丹。
海中に潜み、近くを通りかかると水面下から奇襲をかけてくる邪珊瑚。
弓矢のようにトゲを射出してくる針万本。
衝撃を受けると爆発する爆発反応装甲羅亀。
弓矢のようにトゲを射出してくる悪魔海星。
弓矢のようにトゲを射出してくるデス・パイナップル。
「なあ、弓矢のようにトゲを射出してくる系のやつ多くない?」
「そ、そう……かな?」
他にも色々いましたが、どれも結果は変わりません。
魔物の攻撃が先に当たることがあっても彼女には僅かな痛みすら与えられませんし、逆に攻撃した部位をルカに掴まれたらもうお終いです。
殴られたり、蹴られたり、海の彼方まで投げられたり、どんな方法であっても魔物側に助かる術はありません。恐らくは、痛みを認識する間もなく即死しているのがまだしもの救いでしょうか。
「これさ、もうルカ君だけでいいんじゃない?」
「言うなよ……」
せっかく魔法や剣の特訓をしてきたのだからと、レンリやルグが戦ってみることもありました。手頃な魔物相手に戦ってみて勝つこともできましたが、やはりルカの圧倒的な戦いぶりに比べると見劣りしてしまいます。剣を操るための新魔法も、目にも止まらぬ高速移動も、ルカの怪力と比較してしまえばしょせんは「普通」の範疇でしかありません。
要因の一つは、ダイエットの完了と共に再び貸し出された『高揚』の魔短剣のおかげでしょう。恐怖心を薄れさせ、闘争心を燃え上がらせる。普通なら心構えだけでここまで極端に戦闘力が上下することはあり得ませんが、ルカに限っては例外。むしろ彼女の才能を鑑みれば、これまでの戦果が控え目すぎたくらいです。
「それにしても、ルカ君。なんだか前より力が強くなってないかい?」
しかし、ルカの急激な戦闘能力の上昇はメンタル面だけが理由ではありません。
元々凄まじい怪力の持ち主ではありましたが、現在のパワーは明らかに半月ほど前にライムと戦った時以上。いえ、今は『重量変化』を用いていないにも関わらず、試合時よりもパワフルになっているのです。
その筋力は最低でも半月前の倍以上。
ここから更に『重量変化』を掛け合わせれば、破壊力は更に何倍にも伸びるはずです。
「あ、うん……ちょっと、ライムさんに……」
急激なパワーアップの原因。
それはもちろんライム先生の愉快なダイエット教室にありました。




