vsライム③
――――時は二日ほど前の朝まで遡ります。
「ルカ君、その、なんというかだね……」
「どう、した……の?」
この日の午前中も基礎体力作りのため騎士団の訓練場で待ち合わせていたのですが、レンリはルカの姿を見て非常に驚きました。とてもビックリしました。仰天しました。
その更に半日ほど前、より具体的には約十五時間ほど前に見た時と比べて、そのスタイルが全体的に丸々とした変化を遂げていたのです。
重量にすれば推定で15kg以上。
通常、それだけ急激に脂肪や筋肉が増えることなどあり得ません。
仮にあったとしても著しく健康を害していそうなものですが、少なくともレンリが見た限りではルカの体調は良さそうに見えました。流石に自分の変化に気付いていないはずもないというのに、ショックを受けて落ち込んでいる様子もなし。
「あ、まさか」
そこで初めてレンリは、ルカに与えた『癒し棒』と、そしてもう一つの、精神に作用する魔法道具を誤った形で使用している可能性に思い当たったのです。原因が分かったところで後の祭りというやつでしたが。
『癒し棒』の、というより元になった魔界式の魔法の難点。
代謝の向上効果が長く続くと、現状がカロリーが不足した飢餓状態にあると肉体が誤認してしまい、結果として身体にお肉が付きやすい体質になってしまうのです。
こうなってしまうと『癒し棒』を更に使用して代謝をよくしたところで、ダイエットには逆効果でしかありません。副作用の強烈な空腹感も手伝って、むしろ使えば使うほど、食べれば食べるほど太るだけになってしまいます。
「ルー君、キミはルカ君を見て何か思うことはないかい?」
「思うこと? ……ああ」
ちなみに、愛する彼女の変化を見たルグは。
「はは、ルカは今日も可愛いな」
「や、やだ、もう……っ」
最近いつもしているのと同じように惚気るばかり。
ルカがただルカであるというだけで、太っていようが痩せていようが一切関係なく、いつだって世界一可愛いのだと。ルグは一切の偽りなく、100%の本心でそう思っているのです。
なんだか一見すると格好良さげで男前な心構えではありますが、レンリとしてはそういう回答は望んでいません。節穴にもほどがあります。彼に甘やかされていたら、このままルカがダメな方向に堕落していってしまいかねません。
「まあでも、戦う上では悪くないかも?」
とはいえ、何事にも見るべき点はあるものです。
視点を変えれば急な肥満にもメリットはあるかもしれません。
たとえば打撃技や突進技などは単純に重さがあればあるほど威力が増大します。
ルカのパワーがあれば(身体のお肉が邪魔になることはあっても)数十kg程度の自重増で動作のスピードが遅くなるということもないでしょう。
分厚い肉はクッションとして打撃の威力を吸収するクッションにもなります。増えた肉の全てにルカの並外れた身体強化が作用することを考慮すれば、いくらライムでも易々と倒せるとは思えません。
「……ま、いいか」
だからレンリは目の前の問題に対し、とりあえずライムとの試合が終わるまでの間だけは見ないフリを決め込むことにしたのです。
◆◆◆
「い、いきます……っ」
即席の試合場の中心。ルカの突進を真っ向から受け止めようとしたライムは、身体が接触した瞬間に自らの不利を悟りました。
「……むぅ」
膠着は一瞬。
ライムも身体強化を全開で発動していますが、それでもほとんど抵抗できません。まるで線路上を走る列車の前に立って、真正面から押し返そうとしているような気分です。
技術もない、スピードも大して速くない、単純なパワー。そして単純な重さ。
この二、三日のルカの食事量は日が進むほどに増え、昨夜と今朝に至っては驚くべきことに普段のレンリと同じほどの量を食べていました。そうして増えた体重が今、大きな武器となっているのですが、しかしそれだけではありません。
手品の種は、ルカが与えられた魔剣にありました。
レンリが彼女に与えたナイフは三種類。
一つはルグと同じ『超集中』。
そして残る二種が『高揚』と『重量変化』。
その三種類に予備を一つずつ合わせて計六本。
まず『高揚』の魔剣に関しては名前の通り、持つ者の精神に作用するタイプの魔法です。
戦闘に対する恐怖心を薄めて、戦意を高める。
ポジティブさや、物事への積極性を増大させるような効果もあります。
持ち主の根本的な性格を変えるほど劇的な変化ではありませんが、臆病なルカには打ってつけ。ライムに対して恐れず向かって行けたのも、この魔法によるところが大きいでしょう。
まあ、あまりにポジティブ具合が行き過ぎて、自身の体型の変化すら気にしなくなるのは製作者のレンリにも予想外でしたが。
そしてもう一つの『重量変化』。
これはシモンの使用する『重力操作』の下位に属する魔法です。
敵を高重力で押し潰したり、重力の向きを逆にして物体を浮かせるようなことはできませんが、使用者の体重を何倍にも重くすることができるというものです。
実のところ普段のルカの身体強化でも、持った物の重さに振り回されないよう無意識に自重を変化させたりはしているのですが、この魔法はその重量の増加を更に特化させたようなものになります。
戦闘における体重のメリットは先述の通り。
ルグのような速さを重視するスタイルには向きませんが、盾で敵の攻撃を受ける重戦士やハンマーやメイスのような打撃武器との相性は抜群で、同様の効果を持った魔法の武器を愛用する者は少なくありません。
ともあれ、両手に握ったナイフで『高揚』と『重量変化』を発動させ、自前の身体強化と合わせて突撃したルカはライムをほとんど一方的に押し込んでいました。ライムは足のくるぶしまでを地面に埋めるようにして支えとしていますが、ルカはそんな抵抗もお構いなしに真っ直ぐ進むばかり。
このままでは、あと数秒のうちにはライムが場外にまで押し出されてしまうでしょう。
そうなれば事前に定められたルールによって勝敗が決してしまいます。
「仕方ない。諦める」
だから、ライムは潔く諦めて、逃げることにしました。
「ん」
「……え、ひゃっ!?」
真っ向からの力勝負で勝つことを諦め、技術での戦いに逃げました。
抵抗していた力を急に抜き、力一杯に押し込んでいたルカがたたらを踏んだ一瞬の隙を狙った足払い。異世界の格闘技、柔道で言うところの出足払いです。
それまで優勢に運んでいたはずのルカは、気付いた時には地面に倒れて空を見上げていました。しかしライムとしても決め手を欠く状況。体重を大幅に増したルカを場外にまで放り投げるのは難しいですし、複数相手の状況で絞め技や関節技に移行するわけにもいきません。
ライムは追い討ちを諦めて一旦ルカから離れ、
「っ!?」
瞬間、背後からの風切り音と殺気を感じて大きく跳躍しました。
その直後、ライムが立っていた位置を薙いだのは、レンリが繰り出した木剣の一撃。
しかし、その一撃が並ではありません。
訓練用の木剣であるにも関わらず、当たっていればライムといえど確実にダメージを負っていたであろう速く、鋭い一振り。今の一閃だけならば、あるいはシモンの腕前にも並ぶかもしれません。
「ちぇっ、外れたか」
剣は好きでも特に剣術に秀でているわけではなく、運動能力は魔法で強化してもなお常人に毛が生えた程度。はっきり言ってしまえば弱いレンリは、あくまで彼女自身は弱いままに、しかしその弱さを埋める可能性を手にライムの前に立ちました。




