迷宮再訪
「そういえば、この前の包丁って結局どうだったの?」
「あ、それが……ね……」
三人で図書館を訪れた日から三日後、ルグとルカは聖杖前で立ち話をしていました。
本日は正式にレンリに雇われて迷宮探索を開始する初日。
まだ日が昇って間もない早朝ですが、周囲には迷宮に向かう冒険者や訓練に向かうと思しき兵隊達が数多くいます。迷宮内での治安維持と戦力増強を兼ねて、魔物相手に実践的な訓練を積むのです。
「ええと、鍛冶屋さんで……見てもらったけど……普通の包丁、だって」
「伝説の魚屋にしかぬけないごく普通の包丁か……その辺で買ったほうが早いな」
「そ、そう……だね」
現在、件の包丁はアルバトロス一家が住んでいる部屋に保管されています。
変装したラックが事情を聞いて近所の鍛冶屋に見てもらったのですが、出所が普通じゃない割には品質は極々普通。何の変哲もない鉄製の包丁でしかありませんでした。
「あ、そ、そういえば……それで、お魚が上手に切れた、の」
「ああ、そっか。実際に試してみたんだな」
「おい……しかった、よ」
金銭的価値はほとんどありませんが、実用には充分です。
先日ルカが獲得した『魚の三枚下ろし』の能力も実際に使ってみると案外便利だったようで、どちらもそれなりに重宝しているようです。
「レ、レンリちゃん……ま、まだかな……?」
「あ、いや。ちょうど来たみたいだ」
待ち合わせ時刻のギリギリになって、ようやくレンリが待ち合わせ場所に現れました。どうやら、乗合馬車でここまでやってきたようです。
「やあ、二人とも、おはよう!」
「うん、おはよう」
「お、おは……よう……」
「おや、待たせてしまったかな。どうも寝癖が頑固でね、毎朝大変なんだよ」
「いや、大丈夫。そんなに待ってないから」
約束していた集合時刻にはギリギリセーフ。雇われる側の二人は念の為早く来ていましたが、別に遅刻というわけではありません。
「それで、今日の予定だけど……これからすぐ迷宮に入って、前回とは逆方向に進もうと思うんだ。川沿いに進むとちょうど半日くらいの距離に『戻り石』があるらしいから、今日の夕方までにそこまで行って帰ってこようと思うんだけど、どうかな?」
前回の講習の際は途中で夜を明かして丸一日の工程でしたが、今回は日帰りの予定です。
実力や経験の不足に関しては痛いほど思い知りましたし、無理をせず少しずつ心と身体を慣らしていこうという判断でした。
「そういえば、ルカ君。その格好なかなかサマになっているじゃないか」
「あ、ありがと……」
ちなみに前回は普段着のまま迷宮に入ったルカも、今回は一端の冒険者らしい格好をしています。いくら頑丈な身体を持っているとはいえ、普段着では流石に無用心なので、この間の図書館帰りの別れ際に装備を揃える支度金という名目でレンリからお金を貰っていたのです。
ズボンは履き慣れない為に長いスカート。その上に厚手のローブを着て、履き物もレンリと同じようなブーツになっています。先日はレンリが馴染んでいない靴を履く失敗をしていましたが、皮膚まで常時強化されているルカであれば堅い革ブーツであっても問題ないでしょう。
全体的にオーソドックスな魔法使い風の格好ですが、動きやすさを優先するとどうしても露出が多めになってしまうので、なるべく肌面積が少なくなる物を選んだ結果のようです。
ただ、武器に関しては知識がないのと、下手に安物を買うとルカ自身の力で壊してしまいそうなので、まだ選んでいませんでした。荷物も前回と同じ鞄があるだけで、あとは手ぶらです。
「なに、ルカ君の力なら適当に石を投げるなりその辺の木を引っこ抜いて振り回すなりすれば威力は充分だろう。よし、それじゃあそろそろ行こうか」
◆◆◆
前回の講習とは正反対の方向に歩き出して約一時間。
三人は道の起伏のなさに違和感を覚えていました。
「なんだか、この道妙に……」
「う、うん……」
「歩きやすいね」
ですが、違和感といっても悪いものではありません。
細かな道の凹凸や土のぬかるみ具合、足を取られそうな木の根などの細かな点が、良い意味で前回の道と異なっていたのです。
「大勢に踏み固められて地面が堅くなってるのか」
「どうも、そのようだね。とすると、前回のアレはわざわざ歩きにくい道を選んでいたのか……」
どうやら、そのようです。たしかに悪路のほうが良い訓練にはなりそうですし、講習の際はわざわざ歩きにくく凹凸の多い道を選んでいたようです。
決まった順路のない森ではありますが、しいて言うなら現在の道が正規ルートという事なのでしょう。周囲を見渡せば、木々の隙間から冒険者らしき人影がチラホラ見えます。
「人が多いってことはお宝が見つかる可能性も低いってことだし、いいことばかりじゃないけどね。まあ、奥のほうまで進めば進むほど湧きやすくなるらしいし、しばらくはここに慣れることを優先しよう」
「う、うん……」
「ああ、分かった」
明らかに前回よりも森の中で人に遭遇する率が高いようです。
どの程度の深度を目標にしてりうかは人それぞれでしょうが、最初のうちは歩きやすく魔物も少ない道を通るのが定番なのでしょう。
仮に魔物の襲撃を受けたとしても、ちょっと声を出せば救援を期待できますし、そもそも事前にあらかた狩りつくされているのか、危険な気配はまるでありません。
「あ……川、だよ」
「うん、これが地図のこの辺だから……後はこのまま川沿いにずっと進めば迷わないだろう」
前回との違いは地図の存在も挙げられます。
あまりに広大な迷宮内は出現から四年以上が経った現在でさえ未踏の区画が大半ですが、入口から徒歩で数日以内程度の限られた区画に関しては地図が作成され、冒険者ギルドで販売されているのです。
もっとも、地図が売られているのは第二迷宮まで。
数字の小さい迷宮の管理者に認められなければ先へ進めないというルール上、入れる者が大幅に限られてくる第三以降の迷宮についての情報収集は非常に困難なのです。
「その管理者っていうのはどこにいるのかな?」
「ああ、なんでも決まった場所にはいないらしい。いや、正確にはどこにでもいると言うべきかな」
探索者を測る管理者とは迷宮そのものの化身、強力な精霊であるということは一般に広く知られています。現在三人がいる『樹界庭園』においては、すべての木々の葉っぱから草の一本までがその管理者の目であり耳であると言っても過言ではないでしょう。
迷宮内にいる数千単位の人々の動向を常に把握し、見所なり才能なりが認められれば試練を与えに姿を現すのです。
「それで、その精霊に出会ったら何かしらの試練を出してくるはずだから、合格すれば次の迷宮へ進めるってわけさ」
試練の内容も常に一定ではありません。
単純に戦って戦闘能力を測る場合もあれば、知恵比べを挑んできたり、何かしらのモノ作りをさせてみたりと様々。そこで実力を示せれば合格というわけです。
「人によって不公平が生じないようにという配慮らしいね。試練を受ける側が料理人の時なんて、森の中に魔法で竈を作り出して、料理の味で合否を決めたらしいよ」
迷宮内に入るのは、何も戦闘能力に優れた人々ばかりではありません。学者や職人のような、戦闘に秀でてはいないけれど向上心や好奇心を持ってやってくる者も少なからずいます。
道中の魔物に関してはレンリのように護衛を雇えば非戦闘員でも対処可能ですが、最後の試練ばかりは本人に代わることはできません。結局、本人が努力しないと先へは進めない仕組みなのです。
「ま、私達にはしばらく関係のない話さ。こんな浅い場所には滅多に出ないらしいしね。さあ、先を急ごうか」




