晩餐会
日暮れ時、学都一の高級料理店『黄金柳』にて。
貸切の店内には、既に百人を超える招待客が集まっていました。
いかにも高級そうなタキシードやドレスで着飾った紳士淑女。滅多に使わない式典用の制服を着用した騎士団関係者。いかにも上流階級っぽい雰囲気に気圧されてか、緊張で縮こまっている一般市民。立場も態度も様々ですが、彼ら彼女らは今か今かと会の始まりを待っていました。
そんな中、パンッ、と拍手を打つ音が一つ。
今夜の主役であるシモンと、主催者である伯爵が店内のステージ……本来は店専属のプロ奏者が食事中のBGMを演奏するための場所……に立っていました。
シモンは他の騎士団関係者と同じように式典用の騎士服を纏っており、その堂々たる美男子ぶりに少なからぬ貴婦人達が陶然とした表情を浮かべています。
「今日は忙しい中、わざわざ足を運んでくれて感謝する。さて、本来であれば集まってくれた皆に一人一人挨拶をしたいところではあるが……」
こうした祝い事においては、開始前に長々とスピーチをしたり、招待客への挨拶の時間を取ることも珍しくはありません。お腹を空かせて飢え死にしそうになっている誰かさんなどは、この前置きを聞いて一瞬絶望の表情を浮かべかけていましたが、
「此度はあくまで領主殿の厚意による私的な集い。公の行事というわけでもなし、食事前に長々と時間を取るのも無粋であろう。肩の力を抜いて楽しんで欲しい」
「はっはっは。流石、殿下は話が分かる。そういうわけで、今宵は堅苦しく構えずに気楽に楽しんで欲しいのである。料理のおかわりも上等な酒もたっぷり用意している故、遠慮は無用」
そこはシモンも伯爵も心得たもの。
これが公式の行事であればまた話は違ってきますが、あくまで今回の集まりは私的なパーティーという形です。ならば、堅苦しい要素は最低限に抑えても問題はありません。
「食事の後に歓談の場を設ける故、まずは食事を存分に楽しむが良いのである」
伯爵が視線で合図を送ると、店のスタッフが手際良く客達のグラスに飲み物を注いでいきます。半数以上は葡萄酒で、アルコールに弱い者や子供には果実水や水。そして全員に飲み物が行き渡ったのを見計らい、伯爵が乾杯の音頭を取りました。
「では、今後の殿下のご活躍と我が街の発展を願って……乾杯、である!」
本日の食事の進行は、やや変則的なコース料理といったところでしょうか。前菜に始まり、スープやサラダ、魚や肉を使ったメインへと移っていくのは普通のコースメニューと同じですが、
「次はこちらのキノコのテリーヌを頼む。その後のスープはポタージュを」
「ほう、そちらも良さそうですな。では、我輩は同じテリーヌと燻製盛りを半々で貰おう」
前菜もメインもそれ以外も一種類だけではなく何種類も用意されており、客達は卓上の品書きから食べたい物を選んで注文していくようになっています。こんな砕けた形式にできるのも、あくまで私的な集まりだという建前があるからこそでしょう。
これだけ人数がいれば当然食べ物の好き嫌いも分かれますし、大飯食らいもいれば少食な人もいます。各自が自由に食べたい物を食べたい量だけ頼めばその辺りの問題は解消されますし、単純に色々な種類の味を楽しむこともできる。一石二鳥か三鳥か、ともかく色々なメリットがあるというわけです。その分、店のスタッフは厨房もフロアも目の回るような大忙しですが。
「次はスープを、いや、さっきの前菜とスープを全種類。十皿ずつで」
「じゅ、十皿ずつでございますか……?」
先程までお腹を空かせて死にそうな顔をしていたレンリも、宣言通りに一切の遠慮なく、一切の容赦もなく、大量のお代わりを要求して店のスタッフを怯えさせていました。
「ふぅ、やっと胃袋が動き出してきた感じだよ。それじゃあ、ウォーミングアップも済んだことだし、そろそろペースを上げていこうか」
「す、すごい……ね」
「俺、本当にレンが人間なのか時々分からなくなる……」
『人体の神秘なの……』
食べっぷりを見慣れている仲間達ですら若干引いています。
ですがまあ、それほどの勢いで食べたくなるほど素晴らしい味なのも確かです。
これは学都の美食家には有名な話なのですが、G国首都に本店を構える(※学都にあるのは支店の一つ)レストラン『黄金柳』は食材調達に特化した『黄金竜』という冒険者チームと専属契約を結んでおり、学都の迷宮はもちろん、近隣地域や他の国からも希少な高級食材を安定して入手する独自のルートを持っているのです。
同じ鳥獣や魔物でも仕留め方や血抜きの手際によって味は大きく左右されますし、いくら戦闘力が高くとも熟練の技術と知識がなければ同じようにはできません。
総員三十名以上にもなる大所帯の『黄金竜』には肉や魚や植物等、様々な食材の扱いに特化した専門家が何人もおり、また輸送班はどれほど辺鄙な山奥からでも味が落ちないうちに運んでくる……と、要するに食いしん坊にとっては大変ありがたいプロ集団なわけです。
単純な強さなら彼ら以上の冒険者も少なくはないでしょうが、こと専門分野に関して彼らを超える集団となると世界中探してもそう多くはないでしょう。
そして、『黄金柳』と『黄金竜』のノウハウを結集した最高傑作。
名物として近隣諸国にまで知られる料理こそが、竜の肉を使った炭火焼きステーキ。獲物が獲物なだけに予約しても必ず入荷するとは限りませんが、竜の骨髄と秘伝の調味料を合わせたソースと肉の組み合わせは、数多の美食家を魅了して止みません。
メインディッシュも他の料理と同じように複数種類用意されていましたが、この名物ばかりは招待客の全てが同じ品を頼んでいました。
「これは翼竜……いや、飛竜か! よく手に入ったものだ」
しかも今回の竜肉は、普段店で出している翼竜ではなく飛竜。共に翼を持つドラゴンということで混同されることもありますが、翼竜と飛竜とでは同じ竜種でも格がまるで違います。
形状の差としては、前肢が翼になっているのが翼竜。
四肢とは別に背中に翼が生えているのが飛竜。
しかし、問題は形よりも大きさです。
翼竜でも大きな個体なら一戸建ての家ほどにもなりますが、成体の飛竜は更にその二倍から三倍。強さに関しては十倍以上もの差があるとされています。
その並外れた巨体のみならず、全身は鋼鉄より硬い鱗にびっしり覆われ、岩をドロドロに融かしてしまうほど熱い炎を吐き出すという掛け値なしの怪物。シモンくらいの使い手であれば戦って勝つことも不可能ではありませんが、万全の準備と有利な状況を整えて、それでもなお楽な相手ではありません……が。
「我輩も驚いたのである。店の者によると、なんでも『黄金竜』のリーダー格が『竜殺し』という冒険者の知己で臨時に助力を頼んだのだとか。罠も仕掛けず魔法の援護もなしに一人で突っ込んで、素手のパンチ一発でノックアウトしたというのは流石に冗談か何かでしょうがな」
「う、うむ、そうか……一発か」
伯爵から肉の出所を聞いたシモンは話に出てきた冒険者に覚えがありました。
というか昨年末あたりにボコボコにされた記憶が蘇りました。
どうやらガルドは相変わらず元気に暴れているようです。
シモンとしては、いずれリベンジを誓っている相手の近況を思わぬ形で知って、そのますますの精強ぶりに複雑な気持ちを抱かなくもありませんでした……が、なればこそ、今はしっかり食べて、じっくり鍛え、焦らず地道に強くなるべきなのでしょう。




