旅の終わりと頼み事
「うん、この旅は実に楽しかったよ。諸君もそう思うだろう?」
驚きの日本観光から一夜明けた早朝。
レンリ達は当初の予定通りに学都行きの列車に乗り込みました。
期間にして実に半月以上。
来た時には随分と長く感じられたものですが、終わってみればあっという間。
今更になって「やっぱりあれをしておけば良かった」とか「あそこに行っておくべきだった」みたいな考えも浮かんできますが、その未練、物足りなさは充実感の裏返し。楽しい時間ほど早く流れるように感じられると言いますが、彼ら彼女らにとって、この旅行は大変有意義な経験だったということなのでしょう。
「ま、これから何度でも来ればいいか。その気になればいつでも行き来できるんだしね」
迷宮都市と学都は列車を使えば僅か半日の距離です。
朝に出発すれば夕方には到着する程度。
旅情も風情も無視して効率を優先すれば、たとえば魔王一家の誰かしらに頼んで転移術を使ってもらうなどして、朝に列車で学都を出てその日のうちに日帰りで戻ってくるようなことも決して不可能ではありません。
あの親愛なるお人好し達なら、きっと二つ返事で簡単に引き受けてくれることでしょう。魔王だの勇者だのとの関係が周囲に知られると後が大変なので、学都の知人に対して一応のアリバイ工作くらいはしておく必要があるかもしれませんが。
現在こうして列車に乗っているのも、元々客室の予約を入れていたという理由はありますが、それなら幾らかのキャンセル料を支払って予定を変更すればいいだけのこと。
あえて時間のかかる、今となっては非効率な移動手段を採ったのは、この旅が終わって日常に戻るのを少しでも遅らせたかったからか。そんな感傷めいた想いがまったく含まれていないとも言い切れません。
「今日もわざわざ見送りに来てくれて、こんなに差し入れまで貰ったからね。うんうん、あの家の人達と知り合えたのは大きな収穫だったよ」
一等客室のテーブル上には、今朝方、鉄道の駅まで見送りに来た魔王一家からの差し入れがドンと鎮座しています。
大きなバスケットの中身は、魔王とリサが作った特製のサンドイッチ。
トンカツやハンバーグやエビフライといった洋食系と、野菜に玉子にデザート用のフルーツサンド。ある程度は昨日の残り物を流用したにしても、随分と手が込んでいます。
具材だけでなくパンの種類やソースも中身にマッチするように細かく変えてあり、目にも舌にも楽しい手の込んだ品々です。
昨日の昼夜と続けて大量に食べたせいで、体質的に融通の利くウルとゴゴと、化け物染みた食欲を誇るレンリを除く皆は朝になってもお腹が空いていなかったのですが、それでも美味しそうなサンドイッチを見て食欲が目覚めたようです。一つ、また一つと摘んでいます。食堂車で貰ってきた飲み物と合わせて、一行は車窓の風景を眺めながらの優雅なブランチと洒落込んでいました。
「でも、やっぱり一番の収穫はルー君とルカ君のことだろうね」
話の種はまだまだ山のようにあります。
今回の旅行で一番の収穫は、ルカの恋が見事成就したことでしょう。
万事順調とはお世辞にも言えない、紆余曲折と多くの困難を経ての道程でしたが、これについては結果良ければ全て良し。学都からの往時にあったぎこちなさは最早微塵もありません。
「ところで、ルー君。朝から何か緊張してる? ……ああ、なるほど。挨拶は大事だもんね。こればっかりは私も手伝えないからなぁ。精々頑張りたまえよ」
学都に戻った後、早ければもう今夜にでも、ルグには恋人の家族への挨拶と交際の報告という試練が待っているのですが、まあ彼なら上手くやるでしょう。
元々、ルカの家族と彼の関係は悪くありません。
大の仲良しとまではいきませんが、会えば普通に話す程度。
第一印象こそ強盗事件の犯人と被害者という最悪のものでしたが、それも今となっては良い思い出……とまでは言えませんが、もう悪の道から足を洗ったというのなら、ルグとしてはあえて掘り返す気もありません。
むしろ、将来的に大変そうなのはルグの故郷の人々にルカを紹介する時でしょうか。
知らない土地で周囲には初対面の人々だけ、という状況は人見知り気質のルカには辛そうですが、こればっかりは苦手だからと避けては通れません。
とはいえ、そんな悩みも親密な関係になれたが故と思えば、決して悪いことではないはずです。
悩みは悩みでも、幸せな悩み。つい半月ほど前を思えば、こんなことで思い悩めること自体が幸せなのだと感じられます。
まだ前回の帰省からあまり経っていませんし、実際に連れていくのは当分先の話。それまではルグが故郷に手紙を送る時にでも、ルカも挨拶状やらの手紙を一緒に送って遠距離からコツコツとポイントを稼いでいく方針のようです。
◆◆◆
……と、全般的に収穫の多かった今回の旅行。
ですが、全部が良いことばかりではありません。
いえ、現状ではそれが良いか悪いかすらも分からないのですが。
「あの神様に関しては、正直、よく分からないんだよね」
食堂車に飲み物のカップを返しに行くと言って席を立ったタイミングで、レンリは一緒についてきてもらったルグとルカだけに自分の考えを伝えました。
「あの神様が世の中を良くしようと思ってる気持ちとか、人類への好意を抱いてるのは多分本当なんだろうけどさ、でもほら、好きって言っても色々あるだろう? 愛情にしても、友人に対するのと家族や恋人へのそれは別物だし、ペットを可愛がる気持ちとか、何かの収集家が集めた品物を大事にするのも全部愛情ではあるけどニュアンスはそれぞれ違うし。まさか、食べ物的な意味での大好物と人類への好意が同列じゃないとは思う……思いたいけど」
仮に、その動機が100%善意によるものだとしても、それによる行動の結果が万人にとって望ましいものだという保障にはなり得ません。
シモンとライムは、そして迷宮都市の魔王一家も、件の神様とは十年来の顔見知り。ウルとゴゴに至っては直接の被造物。彼ら一人一人は十分信頼に値するとしても、その知己だからという理由だけで会ったばかりの相手を無条件に信用しても良いものか。
こうして三人だけのタイミングで話題を切り出したのも、万が一を考えての用心です。
相手が相手なだけに、ほんの気休めみたいなものですが。
「まだまだ隠し事が沢山ありそうな気がするんだよね。嘘は吐いてないけど本当のことを全部言ってるわけでもないっていうか……あっ、別に根拠があるわけじゃないよ。しいて言うなら、嘘吐きとしての勘。私もよくそういうことするし」
シモン達も、魔王達にしても、ちょっとばかり人間として真っ直ぐすぎる。他者を信じすぎる。そうした善性は美徳として尊重されるべきものですが、そんな善良極まる彼らとは似ても似つかぬ、ひねくれ者の嘘吐きだからこそ見えてくるものもある……かもしれません。
「ま、私がこんなことを言っていたと、頭の片隅にでも入れておいてくれればいいさ。何もなければそれが一番なんだし」
こうして話しているレンリにしても確証はまるでなく、彼女自身、むしろ十中八九は単なる杞憂だろうとも思っています。
恐らくはただの取り越し苦労で終わるであろう、薄らぼんやりとした疑念。それが不思議と頭に引っかかっているのは、一昨日聞いた「頼み事」の内容があまりにも突飛なものだったせいでしょうか。
「返事はいつでもいいって言われたけど、あんまり長く引き伸ばすのもね」
その「頼み事」とは、ちょっとした手伝い。
気が乗らなければ断っても構わない、とも言われています。
既に魔王達が賛同し、手を貸しているのです。
本命はあくまでそちら。
拒否権が認められているということは、レンリ達の手伝いは「無いよりはマシ」程度のもので、役割の重要度としてはさして高くもないのでしょう。そもそも頼みの内容が内容だけに、協力しようにも大した役目が務まるとも思えません。
「『世界平和の為にご協力ください』って、それだけならよくある慈善事業みたいなものだけど。とりあえず、スケール感の大きさについてだけは流石と言っておくべきかもね」
神様の提示した目的は、世界平和。
来たるべき他の世界との接触に備えて、この世界の地盤を確固たるものとする。
それだけなら大変結構。
ただし、それは最早「この世界」とは言えないかもしれません。
「『今の、この世界を終わらせる。然る後に新たな理想の世界として創り直す』……って、そんなこと私達に言われても困るんだけどなぁ」
◆今回で六章は終了です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
ここまでで予定している物語全体の大体半分くらいのはず……ですが、より面白いネタを思いついたら平気で予定を変えていくスタイルなのであくまで目安の一つくらいに。
◆次章は予告通りに迷宮メインでいくと思います。
七章の開始までしばしお待ちください。多分、三月中には。
◆だいぶ前にも書いたような気がしますが、サブタイトルをつけようかどうかでずっと迷っておりまして。しっくり来るのが思いつかないから結局そのままにしてあるんですよね。
うーむ、悩ましい。
ネーミングセンスが欲しい。




