異界旅行記⑥
「じゃあ、僕達はそろそろ」
「ええ。それでは、お先に失礼しますね」
買い物の途中から合流した魔王とアリスは、ディナータイムの準備やら幼稚園への迎えやらの用事で一足先に帰っていきました。わざわざ来たのに何もせずに一瞬で帰ったように思えるかもしれませんが、それはきっと気のせいです。
それに子供達を待たせて泣かれたりしたら後が大変ですし、コスモスに任せてきた店も気になります。特に後者の理由は洒落になりません。料理も接客もそつなくこなすので能力的な意味での不安はありませんが、逆に繁盛させすぎて近隣の飲食店の迷惑になってはいけません。
怪しげな経営コンサルタントや金融業、メディア産業、不動産業、小売業、娯楽産業等々……興味の赴くままにあれこれ手を出しているうちに、建前上はともかく実質的には魔王をも凌ぐ権力と財力を手にしてしまったコスモス。そんな彼女が本気で儲けようとしたら間違いなく店がとんでもないことになってしまうでしょう。あまり長く店を空けていたら「経営者が知らぬ間に支店が百も千も出来ていた」なんてことにもなりかねません。お客さんがいないのは困りものですが、魔王達としてはそこまで極端に繁盛させたいわけではないのです。
コスモスなら皆のびっくりする顔が見たいという、ただそれだけのお茶目な悪戯心でそれくらいはやりかねない……と、説明を受けた一行は、なんとも言い難い複雑な表情を浮かべていました。
「……前に言ってた世界征服って、あれやっぱり本気だったんだね」
「あはは、決して悪い子じゃないんですけどね。下の子達の面倒もよく見てくれますし」
リサにとってのコスモスは義理の娘にあたります。手のかかる子ほど可愛いと言いますし、なんだかんだと上手く付き合っているのでしょう。案外、本当に世界征服くらいしても魔王やアリスと一緒に「コスモスらしい」と笑って済ませるかもしれません。それが「あんまり酷いことにはならないだろう」という信頼か、それとも「どうせ止めても無駄」という達観によるものかはさておくとして。
「それより、ほら。あそこが次の目的地ですよ」
車内で話していたら目的地まではあっという間。
買い物をしていた新宿駅周辺からだと、ほんの数分といったところです。
「ここは珍しく木とか草が沢山あるんだな」
「うん……落ち着く、かも」
「ええ。お夕飯の前にここで少しお散歩でもどうかと思いまして」
そうしてやって来たのは新宿御苑。
無数のビルとアスファルトの道路に囲まれた都心では数少ない、自然豊富なスポットです。
「お花見の時期にはすごく混むんですけど、今くらいの時期ならゆっくり過ごせますから」
苑内には同じように散策を楽しむ人や、海外からの観光客と思しき集団も見受けられますが、混雑というには程遠い人入りしかありません。
午前中から夢中で観光を楽しんでいた皆も、あまりにも刺激が多すぎて若干疲れた頃合です。敷地内には風光明媚な日本庭園や西洋庭園もありますし、のんびり景色を眺めながら歩くのも悪くないでしょう。
帰る予定の時間まではまだしばらくありますが、この時間からだと散策を終えて車で出発地点のリサの実家まで戻ったら、それでほとんどおしまいです。
「いやぁ、今日は楽しかったよ」
「うん……色々、すごかったね」
買い物の最中は高揚感で忘れていた疲れも、だんだんと意識に上ってきた様子。このまま苑内の芝生に寝転がれば、さぞや気持ちよくぐっすり眠れることでしょう。元の世界よりは多少温かいとはいえ寝ている間に風邪を引きそうですし、それ以前に明らかな迷惑行為なので実際にはやりませんが。
「俺はあの水族館ってのが気に入ったな。魚を見るのがあんなに面白いとは思わなかった」
「わたしも……綺麗だった、ね」
丁寧に手入れされた庭園を眺めていると、自然と今日の感想が出てきました。
「うんうん、実に食欲をそそる光景だったよ。ところで、ペンギンって食材としては鳥肉の括りでいいのかな?」
『ペ、ペンギンさんを食べちゃダメなのよ!』
「…………。はっはっは、冗談だって。いくら私でもそんなことはしないさ!」
『沈黙が微妙に怖いの……』
レンリの冗談を真に受けて、ウルは買ってもらったヌイグルミを後ろ手に持って隠しています。まあ、いくらレンリが食いしん坊だといえ作り物のペンギンは食べないでしょう。きっと。恐らくは。ヌイグルミではなく生きている本物だったら危なかった可能性は否定できないにしても。
「お昼ご飯も美味しかったし、買い物も楽しかった」
「すごい量買ってたもんな。でも、レン。買った物を持ち帰るのはいいとして、昨日言われたことは忘れてないだろうな?」
「ああ、それはもちろん。あんまり威厳とかない神様だけど、それでも一応は約束したからね。品物の管理はちゃんとするさ」
◆◆◆
――――昨日。
わざわざ宿を訪ねてきた威厳に欠ける神様は、レンリ達にいくつかの頼み事をしました。
『あの、ウル達からも聞いたんですけど、明日地球に遊びに行くとか。あ、いえ、それ自体は別に全然構わないんですけど、ちょっとお願いというか注意というか……あの、怒らないで下さいね?』
「いいから、早く言いたまえ。別に怒らないから」
やけに腰が低いというか卑屈というか、やけに前置きが長くなっていましたが、肝心の「お願い」そのものは大して長くも複雑でもありません。
『よその世界で見聞きして知ったことを広めたり、買ったり貰ったりした物を他の人に見せるのはしばらく待って欲しいなぁ……なんて』
「『広めるな』、『見せるな』じゃなくて待つだけでいいのかい?」
他の世界の情報や品物の拡散をするな……ではなく、しばらく待って欲しい。
はっきり言って、会話の流れからレンリが予想したよりもかなり緩い条件です。
「ああ、私は別に構わないよ。ルー君達も問題ないだろう?」
『ほ、本当ですか! ウソじゃないですよね? ウソだったら毎夜わたくしが夢に出て毎日朝までわんわん泣きますよ?』
「ウソじゃないってば。それより、一応理由を聞いてもいいかな」
『ええ、それはもう。実はですね……』
遅くとも十数年、早ければ数年か更に早くに、この世界と勇者の出身世界である地球は、そしてそれ以外の数々の異世界とも、広く交流を始めることになっている。
この世界の主要な国々においても、各国の指導者や重臣クラスはこの話をとっくに把握しており、神の主導の下で何年も前から内密での調整が進んでいる。
そうして一般への情報開示のタイミングを慎重に計っている段階で、考え無しに混乱を招きそうな情報や物品を広められると大変困るので止めて欲しい。
……と、威厳に欠ける神様は説明しました。
『ふふふ、ビックリしました? ビックリしましたよね? そんな大規模な仕事を進めているわたくしを尊敬して褒め称えても良いのですよ?』
「へー、すごいね。かなりすごい」
『ええ、リアクション薄くないですか? 寂しいから、もっと驚いてくださいよぅ……』
実の所、内容が内容だけにレンリ達も内心では少なからず驚いていたのですが、承認欲求強めの神があまりにもうざったらしいので、ここは平静を装って返事をしました。
とはいえ、「お願い」について納得したのも確かです。
『魔界との時はたまたま平和的に事が進みましたけど、次もそう上手くいくとは限りませんもの。ほら、別に違う世界同士に限らず、異なる文明圏が接触した時に必ずしも良いことばかりが起こるとは限らないでしょう?』
「まあ、そりゃね。慎重に進めたいってのは分かるよ」
必ずしも良いことばかりではない、というのは相当にマイルドな言い方です。
この世界の歴史を紐解いても、異なる地域、文明、民族同士が接触した際に全てが平和的に進んだ例など少数。今は仲良く交流している魔界とだって、かつては世界の人口が半減するほどの大戦争をしていました。
戦争、略奪、征服、差別……現在のこの世界は比較的安定した時期ではありますが、今の平和はそうした血塗られた歴史を越えた先にあるものなのです。
そして、未来においてそれらの悲劇が再び訪れない保障など全くありません。
ならば現在の、異世界との接触する前の準備段階で慎重になるのも当然の判断。
『服くらいなら「そういうデザイン」で通せますし、食べ物みたいな消耗品ならそこまで神経質にならなくていいとは思うんですが。地球の機械とか科学技術を今の段階で大っぴらに広められると色々マズイので出来ればですね、その……』
「うん、いいよ。約束する」
レンリ達だって、自分達の世界の平和を進んで乱したいわけじゃありません。
それに永久に秘密を守るわけじゃなく、然るべき時期を待てばいいというだけ。たとえば地球の書物から学んだ内容を発表して名声を得るようなことはできませんが、私的に利用したり個人的な知的好奇心を満たすだけなら問題なし。
異世界から持ち込んだ物品の管理などに気を付ける必要はあるでしょうが、その程度なら大した負担でもないでしょう。レンリもルグもルカもここまでの話から判断して、ちゃんと秘密を守ることを約束しました。
『本当ですか! 良かった、安心しました。流石はわたくしが見込んだ皆さんです。ああ、本当に良かった良かった……ところで、ちょっと言いにくいんですが他にもまだお願いがありまして』
「え、まだあるの?」
まあ、小心な割に図々しい神様が他にも面倒な頼みを押し付けてきたのですが、それに関しては今は置いておくとしましょう。
◆◆◆
――――そして、時は再び現在。新宿御苑。
のんびり散歩しながら、レンリ達は買った品物の帰ってからの扱いについて相談していました。
今になって思い返せば、時折シモンやライムが着ていた変わったデザインの私服も地球で入手した品だったのでしょう。多少風変わりな格好だからといって即座に「さては、それは異世界の!」というほど疑り深い人間がいるとも思えませんし、あまり深刻に気にしすぎないほうがいいと既に結論を出しています。
「実家ほどじゃないけど、学都の工房もセキュリティには気を付けているつもりだし、私が買った物はそこにしまっておくよ。ちょっと狭くなるかもしれないけど」
「わたしは、どうしよう……? お姉ちゃんが、掃除の時とかに、見ちゃう……かも」
「じゃあ、ルカの料理の本は普段は俺の部屋に置いとけよ。一人暮らしの安い部屋なら、わざわざ泥棒が入ったりもしないだろうし」
「ははあ、ルー君もなかなかやるじゃないか」
「やるって、何がだよ?」
「そういう口実を使えばルカ君を自然に部屋に呼べるからね。うんうん、キミも男の子だもんねぇ」
「なっ、違うぞ!? ルカ、違うからな!」
「ふふ、わかってる、から……大丈夫、だよ」
それぞれ隠す場所の当てもあります。
レンリは居候先の叔父宅の庭に建てた自分の工房に。
家族と同居しているルカは自分の部屋に置いておくことに不安があったようですが、ルグが部屋で預かっておくということで無事解決しそうです。なお、彼の提案はあくまで純粋な善意によるものであり決して他意はありません。
「さあ、そろそろ出発しますよ」
「おっと、もうそんな時間か」
歩きながら話していたら、いつの間にか結構な時間が経っていたようです。
リサに声をかけられて周囲を見渡すと、もう人影もまばら。新宿御苑の閉苑時間もそろそろ迫ってきています。あまり遅くなると帰宅ラッシュで道路が渋滞するかもしれませんし、そろそろ本日最後の目的地に向かわねばなりません。
「ふふふ、腕を振るいますから期待してて下さいね」
その目指す場所とは、今日の出発地点でもあるリサの実家。
『洋食の一ツ橋』でディナーを食べることが今回の日本旅行の〆なのです。
「みんな、お腹の空き具合はどうですか?」
「俺は一食分くらいは入りそうな感じです」
「わ、わたしも……大丈夫です」
「私はもうすっかりペコペコだよ。いや、実に楽しみだ」
お昼のランチビュッフェでお腹がはち切れんばかりに食べていた皆も、どうにか夕飯が入りそうなくらいの余裕ができている様子。わざわざ散歩をした甲斐あったというものです。
身体は疲れていますが気力は十分。
一行はウキウキと軽い足取りで駐車場へと向かうのでありました。




