異界旅行記②
「……帰りたい」
逃げ場を塞がれた上で女子一同の前で下着の好みを発表させられるという地獄めいた状況で、ルグがまたもや新たな心の傷を増やしていましたが、まあ彼ならきっと大丈夫。
「おいおい、ルー君ってば。からかって悪かったって。ほら、私のお菓子分けてあげるからさ。こっちの食べ物もなかなかイケるよ?」
ともあれ、服屋での買い物と着替えは無事に完了しました。
ごく普通に日本で販売されている服さえ着れば、これでもう異世界人とは分かりません。
ライムの長い耳やウルの頭から生えている本物の花など、違和感を覚えられそうな点もないではありませんが、そこは帽子や髪型などで工夫して、すぐ近くでじっくり観察しないと分からないようにしてあります。
それに、他にも対策はしてありました。
「この『ジドーシャ』っていうのは色々な種類があるんだね」
「ああ。馬無しの馬車みたいなものかと思ってたけど、乗ってみると随分違うな」
現在、一行はリサの運転する自動車の中で、道中立ち寄ったコンビニで買ったお菓子などを摘みつつ、思い思いに寛いでいました。バスや電車などと違い、車内に身内だけしかいないのであれば不慮のトラブルも起こりにくいはずです。
リサの実家にも自家用車はあるのですが、流石に今回のような大人数では乗り切れません。そこで、服屋で買った物を一旦置いた後で、今度はレンタカー屋に向かって大型のワゴン車を借りてきたという次第です。
『あっ、姉さん。窓から空を見てみて下さい。ほら、あの辺り』
『おお、「ヒコーキ」ね! 我は「ヒコーキ」に乗ってみたいの!』
「空、飛ぶの……楽しいよね」
一行の興味の対象は自動車だけではありません。
窓にへばりついて、遥か上空の旅客機に熱い視線を送っていました。
ルカの家で飼っている鷲獅子に乗るとか、ウルなら身体の一部を鳥や虫に変えて自力で飛ぶこともできるのですが、あえて機械式の乗り物を使うことにロマンがあるのでしょう。
「今日は流石に飛行機は難しいですけど、次の機会があれば観光用の小型飛行機とか予約しておきましょうか。ええと、この先は……」
「ん。二つ先を左」
「うむ、カーナビによると二つ先の交差点を左に。その後はしばらく真っ直ぐのようだ」
流石に、子供の頃から幾度となく日本に来ているシモンとライムは、初訪問組ほどにははしゃいでいません。シモンは助手席で、ライムはそのすぐ後ろから運転のサポートに徹しています。
あまり難しい漢字は無理ですが日常生活レベルの日本語会話や読み書きは問題なくこなせますし、むしろ普段使っている種類と違うせいで苦労しているリサよりも、上手くカーナビを使いこなして進む道を指示していました。
「道も空いてますし、車を借りてきて正解でしたね」
単に目的地に行くだけなら空間転移で一瞬ですが、それでは旅情も何もあったものではありません。こうして自動車に乗るのも、窓から日本の街並みを眺めるのも全部含めての観光なのです。
リサとしては、道が渋滞しているようなら人の迷惑にならない場所を選んで転移することも検討していたのですが、この分ならそれも必要ないでしょう。
そうして車を走らせること一時間弱。
一行は目的地に辿り着きました。
◆◆◆
「なにここ、すごいね!」
『わっ、お魚さんがいっぱいなの!』
そうして一行がやって来たのは、都内某所にある大型水族館。多種多様な魚の水槽の展示に、アシカやシロクマ、ペンギンのような海の生き物の飼育、定番のイルカショーなんかもやっている施設です。
「ほら、向こうってこういうの見ないじゃないですか。だから、水族館もいいかなって」
今回の目的地を選ぶにあたっては、リサやシモン達が知恵を絞りました。
なにしろ、レンリ達はこちらの世界の言葉がまったく分からないのです。その為、映画館や図書館は早くに候補から外されました。
観光客を受け入れている牧場で乗馬や乳搾りを楽しむという案も出ましたが、そちらは地球らしさというものが感じられません。街育ちのレンリやルカはともかく、ルグにとっては地元でよくやっていた仕事も同然でしょう。よって、その案も没。
最初の服屋のように色々な店を巡って買い物を楽しむのは良いにしても、行動時間を全部買い物だけで潰すというのは単調で芸がありません。後で清算はするにしても、リサが立て替える金額が多くなりすぎるのも問題です。
ああでもない、こうでもないと候補地を絞り、そうして最後に残ったのが水族館。
レンリ達の世界にも、大型の水槽で希少な魚を飼う趣味人がいないわけではありませんが、いくらお金持ちでも個人の資産と敷地で飼育できる範囲には限界があります。
なにしろ、水槽は職人に特注する形になるのでかなりの高額。水温を一定に保つヒーターや酸素ポンプはそもそも存在せず、せっかく遠方から珍しい魚を運んできたのに死なせてしまったり、何かの拍子にガラス製の水槽そのものが破損したりという事故もしばしば。苦労してそれらの困難を乗り越えたとしても、まさか不特定多数の客に見せるはずもありません。
よって、元の世界では見られない、地球ならではという条件はクリア。
それに水族館なら案内板の説明が読めなくとも見るだけで楽しめますし、出費も入場料くらいで済みます。しかも、ウルとゴゴは外見年齢的に子供料金で半額です(その気になれば、ライムとルグも同じく子供料金でいけるかもしれません。マナー的に、それ以上に本人達のプライド的に大問題なのでわざわざ試しはしませんが)。
「みんな、楽しんでくれてるみたいですね」
「うむ、そのようだ」
平日の午前中ということで他のお客さんもあまりいません。
これならのんびり見て回れますし、少しくらいなら騒いでも大丈夫でしょう。
◆◆◆
「ええと、あれは多分イワシか」
ルグ達が足を止めたのはイワシの魚群が泳ぐ巨大水槽。
学都でも干物や塩漬けの物はしばしば見かけますが、こうして生きた状態で見る機会は滅多にありません。ましてや、何千匹もの大群が泳ぐ姿となれば尚更。
一匹一匹なら特に何ということのない小魚も、これだけ集まればかなりの迫力があります。魚鱗が照明を反射してキラキラ光り、無数の宝石が水中を自在に舞っているかのようです。
「美味しそうだね!」
「綺麗、だね……」
レンリとルカも、それぞれ素直な感想を口にしています。
まあ、感性というのは人それぞれ。
食欲を覚えるのが悪いということもないでしょう。
それにレンリも、食べることばかり考えているわけでもありません。
「それにしても不思議だよね」
「不思議……って?」
「ほら、このイワシ。私達の世界にいるのと同じに見えるだろう?」
「うん……?」
「それが、どうしたんだよ」
ルカ達には最初、レンリの言わんとすることが分かりませんでしたが……。
「私も生物学者ってわけじゃないからパッと見で断言できるわけじゃないし、詳しく調べたら細かい違いはあるかもだけど、まあ、ひとまずは同じ種類だと仮定しよう。なんで、別々の世界にまったく同種の生物がいるんだろうね?」
「そういえば……不思議、だね?」
「たしかに、言われてみれば……」
まったく違う世界に同じ生き物が存在する。
改めて考えてみれば不思議な話です。
しかも、それはこのイワシに限った話ではありません。
魔物のように、レンリ達の世界にはいるけれど地球には存在しない生物。もしくは、その逆のパターンも少なからずあるにせよ、あまりにも共通点が多すぎます。
「ここに来る間だけでも色々見たけど、犬とか猫とか、植物とか、それに私達みたいな人間だってそっくりだろう? 一つや二つなら偶然似ることもあるかもしれないけど、それにしては多すぎる。そこにはきっと何かの理由があるんだよ」
「そ、その……理由って?」
ルカの問いに、レンリは堂々と答えました。
「え? いや、私に聞かれても知らないよ。ただ『そういえば不思議だなぁ』って、思いつきを言っただけだし」
分からない問いに対しては、正直に分からないと答える。
それが学者としての誠実な姿勢というものです。
ここまで引っ張られて肩透かしを食ったルカ達としてはがっかりですが、下手に知ったかぶりをされるよりは幾分マシでしょう。
「考えるための材料が足りないんだよね。遠い過去のどこかで世界同士の接触があったのか……それとも昨日、あの神様が言ってた話と何か関係が……」
『あっ、ここにいたのね! もうすぐイルカショーの時間みたいよ。お姉さん達も早く来るの!』
「おっと、それは急がないとね」
結局、この疑問については何も解決しないままウルに呼ばれてその場を立ち去ることになり……そして当分、レンリ達がこの話を思い出すこともありませんでした。
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《おまけ》
レンリの髪型や髪色はなかなかしっくり来なくて、初期からちょくちょく変えては試してを繰り返してましたが、今回のは割と気に入ってます。




