困る魔王と困った働き者
迷宮都市に来てから四日目の午後。
ルグは一昨日にも来た魔王のレストランを再び訪ねていました。
ホームステイとはいっても元々この街には旅行で来た身です。
大袈裟な準備は必要ありません。用意のいいことにレンリ達がルグの旅行カバンも持ってきていたので、博物館からそのまま一人で直行してきました。
ちなみに一人だった理由は、途中、公衆浴場に寄りたかったからです。たまたまお風呂で身を清めたい気分になっただけで、それ以上の理由は断じてありません。
コスモスを通して魔王達には既に事情は伝わっていました。
急な来客ではありましたが、店舗兼住居の三階には客間もありますし、普段からきちんと掃除もしています。泊めること自体には何ら問題ありません。
「というわけで、今日からしばらくお世話になります」
「やあ、いらっしゃい。自分の家だと思って寛いでね」
エプロン姿の魔王もにこやかにルグを出迎えました。
忙しいランチタイムは既に過ぎ、今は一人で店を回しているようです。
他の面々はたまたま外出しているようでしたが、
「アリスさんは子供達を迎えに、ヨーチエン? ……に行っていて、リサさんも同じニホンの実家のお店で仕事中、と」
ちょっと近所まで買い物に行く程度の感覚で、文字通りの別世界に行っていると聞かされてもルグとしては反応に困ってしまいます。なにしろ相手が相手ですし、別に疑っているわけではありませんが、これまでの人生で培ってきた常識がグラグラと揺らいでしまいそうです。
「この前も聞きましたけど、本当に気軽に行き来できるんですね」
「うん。ルグくんも今度行ってみるかい?」
「え? いいんですか、そんな簡単に」
「別にいいんじゃないかな。あ、でも、それならお友達も一緒のほうがいいか」
「えっと……そうですね。その時は一緒で」
正直、ルグとしても憧れの勇者の故郷に興味はありました。
けれど、今は呑気に物事を楽しむ気分ではありません。
ルグが己の不足を見極めるまではルカと会わないほうがいい。
そうしたレンリの言い分に納得したからこそ、こうしてやって来たのです。
正直、ルグにはレンリやコスモスの思惑の全てが分かってはいません。普段の変質者めいた言動はともかく、並外れた知恵者である彼女達の考えなど、自分には見通せないだろうと彼自身も思っています。
そもそも、単にルカと引き離すだけならば、わざわざ魔王宅ではなく適当な安宿を取るだけで良かったはずです。この場所を選んだ理由も彼には分かりませんでした。
この家の人々が、すなわち雲の上の超越者達がルグとルカとの間の問題に興味を示しているらしいとも聞いていますが、その理由にもまるで心当たりがありません。
何から何までルグには分からないことだらけです。
果たして、この家にどのような試練が待っているのか。
しかし今の己には見通せずとも、必ずや深いわけがあるのだろう。どれほどの辛く厳しい苦難だろうと必ずや乗り越えてルカに謝る資格を得る。その為ならば悠長に物見遊山などしている余裕など無い……と、この家に送り込まれた理由を明後日の方向に勘違いして、無駄に気合を入れていました。
「魔王さん、何かお手伝いすることないですか?」
「え、いや、お客さんを働かせるのは悪いよ。荷物は預かっておくから、どこかで遊んできてもいいんだよ? 帰って来る頃にはうちの奥さん達も戻ってるだろうし」
「いえ、世話になるのに何もしないでいるのは逆に心苦しいので! 買い出しでも掃除でも洗濯でも何でも言ってください」
「そうかい? でも手は足りてるからなあ……」
魔王としては、別に新しい労働力を欲していたわけではないので逆に困ってしまいます。
ルグ本人の望んだこととはいえ、言う通りに家事をやらせたりしたら、「お客さんを働かせるなんて」と後でお説教を受けることになりかねません。世界最強の魔王も、怒った妻達には決して頭が上がらないのです。
殴られようが蹴られようが、刺されようが焼かれようが別にへっちゃらですが、子供達と遊ぶ時間を減らされたり写真を撮ることを禁止されたりしたら、子煩悩の魔王はとても困ってしまいます。
実のところ、今の段階で既に子供達と過ごす時間を制限されているのです。放っておいたら朝から晩まで、店も公務もほったらかして子供達にべったりくっ付いて歩き、その上欲しがる物をなんでも買い与えようとするので妻達の判断も仕方のないことではありますが。親の愛情も度を過ぎれば悪影響にしかなりません。
まあ、だからして、魔王としてはお叱りを受ける可能性のあることはしたくないし、させたくないのです。しかし、このままルグを放っておいたら自主的に掃除でも始めかねません。
「うーん……じゃあ、新作料理の試食を頼めるかな? 感想を聞かせて欲しいんだけど」
「はい、分かりました!」
なので、魔王はこのあたりに落とし所を設けることにしました。新作料理というのは口から出任せみたいなものでしたが、売り物の肉や野菜を適当に炒めるなり揚げるなりすれば、それなりに食べられる物にはなるでしょう。働きたがりのルグとしては物足りないかもしれませんが、当面はこれで時間を稼げるはずです。
「みんな、早く帰ってこないかな……」
魔王の歓迎の気持ちは嘘ではありませんが、ルグとルカとの問題に主に興味を示しているのは、リサとアリスと幼いアリシア、この家の女性陣なのです。魔王としてはなんだかルグに悪いような気さえするのですが、彼が家の女性陣に逆らえないのは前述の通り。
当のルグ本人がその理由、自分が関心の対象となった意味を知るのは、これから数時間後のことになります。
◆ちょっと前に実装された誤字報告機能を使う機会があったんですが、アレすごく便利ですね。報告してくれた方、ありがとうございました。




