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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
六章『異郷夢幻恋歌』

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どきどき! 恐怖のお仕置きタイム


 明晰夢、というものがあります。

 夢を見ながらにして、それが夢だと本人が自覚している状態。

 体質や訓練次第では自在に夢の内容を操り、眠っている間に自分の好きな夢を楽しむこともできるのだとか。そこまで自由自在とはいかずとも、夢の中でそれが夢だと自覚した経験がある人は少なからずいることでしょう。

 夢の記憶なんてものは起きて活動するうちにぼやけて消えてしまうことが大半ですし、自覚のない明晰夢まで含めたら、同様の体験をした人の割合はもっと増えるかもしれません。



「……ぅ、ん?」



 この日、眠りから覚めたルグは、自分がまだ夢の中にいるのだと思いました。

 まあ、そんな甘い考えも無理はありません。

 なにしろ眼前の光景があまりに非日常的なものだったのです。

 加えて思うように手足を動かせないことや、言葉を発しようにも上手く喋れないことも夢っぽいといえば夢っぽい。自分の意に反して身体が動いたり、逆に動きたくても動けないのは夢の内容としていかにもありそうです。


 ルグが眠ったのは前日の朝食の席。

 そこでウルの睡眠毒を盛られたのが直接の原因でした。

 ルカに作用したのと同じように眠る以外の副作用などはありません。しいて言うなら、普通ならあり得ないほど深い眠りで心身が休まり、体調が良くなる効果くらいのものでしょうか。



「む、ん……!?」



 最初はぼやけていた思考も目覚めてから時間が経つにつれて鮮明になり、ルグも次第に「これはもしかしたら現実なのではないか?」という可能性を思いつくに至りました。



「ん、んーっ!」



 しかし相変わらず声は出せません。

 なにしろ、彼の口には丈夫な布で猿轡さるぐつわが噛ませてあったのです。


 猿轡だけでも異様な状況ですが、問題は他にもまだまだありました。

 ルグが目覚めた時、彼は薄暗い石造りの部屋で頑丈な木製の椅子に座らされていました。そして手足には太い鎖が幾重にも巻かれ、完全に身動きが取れないよう拘束されていたのです。

 こんな姿勢で熟睡できていたのは、(彼自身は知らないことですが)ウルの毒の効果があってこそ。普通なら縛り付ける時点で目が覚めていたはずです。


 これがルカならば簡単に鎖を千切って脱出できたのでしょうけれど、ルグの未熟な身体強化ではいくら魔力を励起させても肉に鎖が食い込むばかり。上体を揺らして椅子ごと倒すことも思いつきましたが、金具か何かで椅子の足が床に直接固定されているようでビクともしません。


 室内の灯りは壁に小さなランプが掛けられているだけ。

 ルグが首と眼球を限界まで動かしても室内の全貌は分かりませんでしたが、それでもいくつか分かったことはあります。

 いいえ、この場合は分かってしまった、というほうが彼の心情に近いかもしれません。そうして状況の把握に努めた成果といえば、恐怖の度合いを一段と深めるだけだったのですから。


 

 まず、部屋の床や壁には赤黒い液体をぶち撒けたような染みがいくつもありました。

 なんとなく錆びた鉄のような匂いも薄っすらと感じられます。大量の流血を連想するには十分すぎるほどの材料でしょう。


 それだけでも不吉な予感を与えるには十分すぎるものですが、ルグの座っている椅子のすぐ横にあるテーブルほどではありません。テーブルといっても食事や書き物に使うようなタイプではなく、どちらかというと職人が使う作業台のような無骨な造りのものです。


 その台に乗っている道具が一番の問題でした。

 使い込まれたペンチや金槌や釘、ノコギリなんかもあります。

 それだけならば大工や木工職人の工房にいくらでもありそうですが、これが職人の作業場なら決して道具に赤黒い汚れや錆が付着したまま放置したりはしないはずです。


 それに、いったいどうして大工道具のすぐ横に医療用のメスや傷口を縫い合わせる針なんかが置いてあるのでしょう。腕の怪我で入院した時にはルグも幾度か世話になった道具ですが、それらは決してこんな不安な気持ちになるものではありませんでした。

 消毒液と思しき瓶や包帯もあるにはありますが、それらは病院ではきっちりと整頓され適切に管理されていました。これが真っ当な医療施設であれば、決して使い終わったまま乱雑に放置してあったりはしないはずです。

 これらの医療道具は人を治すためではなく、簡単には死なせずに、なるべく苦痛を長引かせるために用いる物なのでしょう。



「……っ!?」



 想像するのもおぞましい話ですが、この部屋は恐らくは生きた人間に苦痛を与える拷問に用いるための施設。状況は一切不明のままですが、ルグの危機感は全力で警鐘を鳴らしていました。


 眠っている間に頭のおかしい変質者にでも誘拐されたのか。

 それとも非合法の組織が関係する厄介事にでも巻き込まれてしまったのか。


 いくら考えても理由など分かるはずもありません。

 しかし、このままおとなしく待っていたらロクな目に遭わないことだけは確実。そう易々と捕まったりはしないだろうと信じつつも、ルカやレンリの安全も気にかかります。


 まあ、実際にはそのレンリが今件の黒幕なのですが、それはさておき。 



 恐怖。

 混乱。

 焦燥。

 様々な不安で頭の中がいっぱいになっていたルグでしたが、ふと彼の耳が誰かの足音を捉えました。この部屋に通じる扉のすぐ向こうに誰かがいるようです。



「むーっ! んーっ!?」



 やがて扉が開くと、その奥から鉄仮面で顔を隠した半裸の大男が現れ……。








 ◆◆◆








「ほら、この前会った時に観光案内するって言ったじゃないですか」


 所変わってレンリ達の泊まっているホテル。

 コスモスはレンリへの報告とルカへの説明がてらに、モリモリと朝食を食べていました。



「あの時に話してた呪物の博物館なんですが、そこの館長に話をつけて展示室の一つを都合してもらいました。昔実在した殺人鬼の貴族が使っていた拷問室を精密に再現した部屋でして、被害者の立場を体験できるアトラクションも結構人気なのですよ」


「へえ、もっとお堅い資料館みたいなのかと思ったら色々やってるんだね」


「殺人鬼役にプロの役者まで雇っているくらいですからねえ」



 真っ赤なケチャップをかけたオムレツを上品に食べながら、イタズラの、もといお仕置きの成功を確信したレンリとコスモスは和やかに談笑しています。



「それは、流石に……可哀想な、気が……」


「こらこら、ルカ君。彼を甘やかしてはいけないよ」



 攫われたルグが今どんな目に遭わされているのかを知って、彼に対して怒っていたはずのルカも思わず同情してしまいました。

 単なるアトラクションとはいえ、最初から事情を知っている一般の客ならともかく、何も知らされずにいきなりそんな状況に放り込まれたら恐怖の度合いは段違いでしょう。




 ルグがルカに対して言ったことを知り、レンリは怒りました。

 そして、彼にはお仕置きが必要だと思いました。


 とはいえ、流石に怪我をさせたりするのは寝覚めが悪い。

 それに一番に怒る権利があるルカを差し置いて、本格的に彼をどうにかしてしまうのも筋が通らない。だから、地元民で各方面に顔が利くコスモスの力と知恵を借りて、手の込んだドッキリを仕掛けたというわけです。


 ルグが見た部屋の赤黒い染みは血痕ではなく、塗料でそれらしく描いたペイント。

 物騒な器具もあえて錆を浮かせたり使い込まれた風な色合いに塗られていたりしますが、あくまでも精巧に似せただけの小道具に過ぎません。

 同じ博物館にはかつて実際に使われた本物の器具も展示されていますが、そういった史料的価値のある物はきっちり保管されています。一般的には理解しがたい感覚かもしれませんが、歴史に名が残るほどの大犯罪者にはファンがいることも珍しくなく、物騒な凶器にも一種のコレクションアイテムとして高価な値段が付くこともあるのです。


 明るい場所でよく観察すればルグも違和感を覚えたかもしれませんが、彼の身体は完全に拘束されていましたし、室内の照明も演出の都合であえて薄暗くしてありました。


 これならば、途中でドッキリだと看破される心配はまずないでしょう。

 実際には怪我ひとつ負わされることはないのですが、ルグは今頃、それはもう物凄い恐怖を味わっているはずです。もしかしたら替えのパンツが必要な事態になっているかもしれません。


 ちょっとばかりショックが大きいかもしれませんが、これならどうにかシャレで済む範囲に収まるでしょう。多分、ギリギリで。最悪、怒る気力も残らないくらいに憔悴させてしまえば、結果的に穏便に済ませられます。何も問題はありません。




「さて。朝食を食べ終わったら、ネタばらしがてらに顔を見にいこうかな。それでコスモスさん、準備はもう済んでいるのかい?」


「ええ、それはもう。ふふふ、歓迎の支度は万全ですとも」


「じゅ、準備……って?」



 ルグを攫った理由は悪趣味なお仕置きをするため……だけではありませんでした。

 むしろ、ドッキリは本来の目的のオマケに過ぎません。



「ああ。彼ね、しばらくこの宿には戻ってこないから。しばらくの間、魔王さんに泊まってもらうことにしたんだ」



 彼の受難はまだまだこれからが本番です。








◆◆◆◆◆◆



《おまけ》みつあみ


挿絵(By みてみん)



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