入浴と陰謀
玄関先にコスモスがやって来た、ちょうどその場面に出くわしたルカ。
たっぷり眠って気分が上向こうとも、運の悪さは相変わらずのようです。
「おやおや、そこにいらっしゃるシャイガールは我が親友ルカさまではありませんか! やあやあ、ここで会ったが百年目!」
ルカとしては、正直そのまま他人の振りをして立ち去りたい気持ちだったのですが、時すでに遅し。ただの頭のおかしい変人が乱入してきただけならば、ホテルの従業員が上手いこと追い返すなり、しかるべき機関に通報してくれるなりしたかもしれません。
ですが、宿泊客の友人を自称する相手となれば強硬な手段は取り難いもの。一流のサービスを提供することに拘るからこそのジレンマと言えましょう。
「あの、あちらの方はお客様のお知り合いでしょうか? あまり大きな声を出されますと、お休みになられている他のお客様のご迷惑になりますので……」
「す、すみません……すみません……っ」
フロントに詰めていたホテルマンは、一応コスモスの自称通りにルカの知り合いだと確認した上で、角が立たない言い方でやんわりと注意しました。
ルカとしてはコスモスの親友になった記憶はないのですが、それでも一応は友人であることに違いありません。騒いでいるのはコスモスなのに仲間扱いされてしまい、代わりに頭を下げてペコペコ謝っていました。
「コスモスさん……こんな時間なので、静かに……」
「ほほう、その格好からするとこれからお風呂にでも?」
「あの……話を、聞いて……」
「おやおや、朝風呂とはルカさまも見かけによらず粋ですな。ところでフロントの方。私はここの宿泊客ではないのですが浴場だけの利用とかできますか?」
普通に考えれば、口下手なルカが説得できるはずもありません。
ですが今回は、幸か不幸かコスモスがルカの抱えていたお風呂セットに興味を示したようです。
◆◆◆
「いやぁ、たまには朝風呂もいいものですな」
「ですねぇ……ふぅ」
そして数分後。
ルカはコスモスと二人並んで大きな湯船に浸かっていました。
本来の宿の規定よりはやや早い時間だったのですが、先程のフロントにいた従業員が融通を利かせて浴場の鍵を開けてくれたのです。幸い、清掃や点検等の作業は昨晩のうちに終わっていたようで、利用するのに支障はありません。
ホテル側の本音としては、明らかに厄介な人物であろうコスモスを、知り合いであるルカに託す形で穏便にロビーから追い払いたかったからかもしれませんが。
ちなみに今日のコスモスは、先日会った時と違って学都に来た時のような大人姿。
頭の中身は大きくても小さくても一緒なのですが、外見だけなら文句のつけようのない完璧な美女になっていました。
元々の背丈が高めだからというだけでなく手足がすらっと長く伸び、スタイルそのものは女性的なのに無駄な脂肪など一片もありません。石膏か何かでコスモスの型を取って像の一つも仕立てれば、それだけで美術館に並んでいてもおかしくない芸術作品として通用しそうです。
ルカの体型は同年代の女子としては平均程度。やや猫背気味な点を除けば特に大きな欠点はないのですが、比べる相手が相手です。こうしてすぐ隣に素っ裸で並ばれると、つい自分と比べて無用のコンプレックスを感じてしまいます。
「おや、そんなにこちらを見てどうしました?」
「あっ……ご、ごめんなさい。えと、コスモスさん……美人だな、って」
「ええ、よく言われますねえ」
自分の容姿に自信がないと言えないセリフをさらっと吐きました。
しかし、これに関しては別にコスモスがナルシストというわけではありません。
ただ事実を事実と認めただけのこと。
単に自分が美しいことを知っているというだけで、正確には自信があるのとも違うのでしょう。ホムンクルスという種族柄、特に手入れなどするまでもなく容姿が整っているのは当然のことに過ぎず、彼女自身としてはそういった事柄には大して関心もないのです。
その超然とした無関心さがまたある種の芸術性や神秘性に繋がり、同性であるルカですらうっかりすると見惚れてしまいそうになりますが、
「ところで、ルカさま。ここは一丁、女同士で仲良く洗いっこでもすべきでしょうか? こう、需要に応えて。ああ、しかし、こういうのはあまり露骨にやると昨今では逆に視聴者の反感を買ったりしますからねえ。さりげなく、受け手の想像力に委ねるくらいが丁度いいのかもしれません」
「よく分からない、けど……なんだか、難しいんです……ね?」
まあ、しかし口を開けばいつも通りのコスモスです。
優れた容姿だけでなく高い知性や万能に近い才覚など、数え切れないほどの美点があろうとも、それらを全部まとめて台無しにするのが平常運転。
肝心の発言の意味合いについてはルカはさっぱり分かりませんでしたが、コスモスが意味不明の妄言を口にするのはしょっちゅうです。まだ大して長い付き合いとは言えませんが、彼女がよく分からないことを言い出したら、適当に相槌を打って流すのが最適解だということはルカも理解していました。
◆◆◆
「いやはや、朝からすっかり長湯をしてしまいました」
「うん……ちょっとのぼせちゃった、かも」
特に女子同士で洗いっこなどすることもなく、ごく普通に入浴を済ませた二人が浴場を後にしたのは二時間近くも後のこと。ただでさえじっくり長湯をした上に、髪の量が多いルカは乾かすのにも櫛で梳かすのにも時間がかかるのです。
ちなみにコスモスも髪は長めなのですが、タオルすらロクに使わずに髪だけでなく全身がいい具合に乾いていました。本人曰く「溢れる闘気で身体を乾かした」のだとか。真冬の海で素潜り漁をした時に会得した技だ、などとルカには説明していましたが真偽は不明です。
「ふむ、この時間になると流石に起きてくる人も増えてきますな」
ルカが起きた時間だと流石に早すぎましたが、もう多くの宿泊客は起きて活動を始めているようです。ホテルの食堂も営業を始めており、浴場に通じる廊下にも食欲をそそる匂いが漂ってきました。
「……あ」
くう、とルカのお腹も可愛らしく鳴いています。
起きた時には空腹感を感じていませんでしたが、それでも丸一日近く何も食べていないのです。身体が温まったおかげもあって、ようやく本格的に胃腸も動き出したのでしょう。
「みんな、もう起きてる……かな?」
お風呂用具を抱えたままでは食堂に行けませんし、ルカは一旦部屋に戻りがてら他の皆の様子を見てくることにしました。レンリやウルあたりはまだ寝ているかもしれませんが、流石に誰一人起きていないということはないでしょう。
当初はこんなに浴場に長居する気はありませんでしたし、もしかしたらルカがいないことに気付いて心配させてしまっているかもしれません。
「ルグくん、と……会ったら、どうしよう」
ルカとしては何より心配なのはその点。
丸一日前に比べたら落ち着いている自覚はありますが、それでも彼の顔を前にしたらどこまで平静を保てるかは彼女自身にとっても未知数です。
「ううん……」
いいえ、無理をして平静であろうとする必要はありません。
無論、暴力を振るったりしない程度の最低限の自制は必要ですが、この件に関してはなぁなぁで許すのではなく、一度きちんと怒ったほうがいいのでしょう。
怒るべき点があれば、きちんと怒る。
でもそれはそれとして、彼を好きな気持ちまで否定する必要はない。
レンリに昨日言われたことを思い出すと、ちょっとだけ勇気が湧いてきます。
……が、そんなルカの意気込みは虚しく空振ることになりました。
「おや、ルカさまはこの件をご存知ないので? ルグさまなら、今はこのホテルにはいらっしゃいませんよ」
「え、いない……?」
「というか、そもそも今朝はそちらの完了報告に来たのです。昨日のうちにレンリさまからご依頼を受けまして、寝ているルグさまを鎖でグルグル巻きに拘束した上で攫わせていただきました」




