「好き」の在り方
真っ暗な部屋の、しかもクローゼットに引きこもって、延々と不気味な独り言を呟いていたルカ。怪談か何かのような状況に思わず悲鳴を上げたウル達でしたが、とりあえず部屋のカーテンを開け、灯りも点けて、それからレンリを呼んできました。
「まあ他に適任がいないし仕方ないか」
面倒臭そうな問題を丸投げされた形ですが、仲間内で他に適任者がいないのだから仕方ありません。
まず問題の原因かつ当事者であるルグは除外。
ウルとゴゴは、いくら普通のお子様ではないとはいえ、こうした複雑な人間関係の問題に対応するための人生経験(人ではありませんが)がまだまだ足りません。下手に自分達で解決しようとせず、まずレンリに相談しようとしただけでも上出来なくらいです。
普段は頼れるお兄さん的存在ですが、今回に関してはルグと同じくらいに女心を解さないであろうシモンも不適格。口下手が過ぎて、人を励ましたり宥めたりといった物事にまるで向いていないライムも、ルカの対応に当たらせるべきではないでしょう。
「じゃあ、ウル君達は……で、その間に……」
『え、いいのかしら?』
「いいの、いいの。人助けの為なんだし」
よって、快くとは言えないまでも渋ることなく役割を引き受けたレンリは、ウル達に別の仕事を申しつけてからルカとの交渉に臨みました。
「嫌われた……ルグくんに嫌われた……」
「嫌われてないヨー、本当だヨー」
「…………ほ、ほんと?」
「本当だヨー。私、嘘つかないヨー」
結論から言うと、レンリの巧みな交渉術によって、正気すら定かでなかったルカもとりあえず会話が成立するくらいにはなりました。明らかに面倒臭そうな上に嘘をつかないというのが既に嘘なのですが、素直な性格とか以前に寝不足で思考力が鈍りきっているルカは疑わずにいてくれました。
「まあ、このままじゃ話もしにくい。とりあえず外に出てきたまえ」
「…………」
「出てこないとライムさんに頼んでクローゼットを物理的に粉砕してもらうことになるよ?」
「そ、それは……困る」
ついでにクローゼットからも出てきました。交渉事に関してはまるで役に立ちませんが、ライムならホテルの備品だろうが何だろうが、頼まれたら躊躇なくやるだろうという厚い信頼が伺えます。
「で、なんでまたクローゼットなんかに入ってたんだい?」
「えっと……暗くて狭いところだと、落ち着いて落ち込めるから……」
「なんでそんな積極的にネガティブになろうとするのさ」
ちなみに、ルグはこの部屋に連れてきていません。
今のままで当事者二人が顔を合わせたら話が余計にこじれるのは目に見えています。なので、レンリがここに来る前に食堂での待機を命じておきました。
「とりあえず、朝ご飯食べて。水も飲んで」
「でも……あんまり、食欲が……」
「いいから。食欲がなくてもとりあえず食べる。人間、お腹が減ったままだとロクなことを考えないものなんだ。ほら、水も」
「わっ……じ、自分で食べられる、から」
相変わらずルカは食事をする気分ではなさそうですが、レンリはそれを無視して食べさせました。というか、返事をするために口を開いたタイミングで無理矢理サンドイッチを突っ込みました。これではルカも食べないわけにはいかないでしょう。
実際、強引ではありますが、無理にでも栄養を摂らせるのは悪い手ではありません。
レンリの言う通りに、人の思考というのは食事や休息が不十分だとどんどんネガティブ寄りになってしまうもの。心身が弱っていると判断力も低下しますし、そんな状態で考え事をしてもロクなことにはなりません。
反対に、十分な栄養と休みを取って肉体面の健康を維持していれば、精神面もちょっとやそっとでは揺らぎません。無理矢理にでも休息と栄養を摂らせれば、最悪のコンディションにあっても多少なりとも回復するものです。そう、たとえ本人が落ち込んだままでいたくとも回復してしまいます。人体というのは、そういう仕組みになっているのです。
今回のルカも、味を楽しむ余裕はなくともモソモソと食事を口に運び、栄養と水分を摂ると、先程の半死人のような状態よりは幾分マシになりました。寝不足なのは変わりませんし、とても好調とは言い難いものの、眠気や疲労感を自覚できていること自体が回復の兆しと言えましょう。
人間、あまりに心身の消耗が大きすぎると、自分が疲れていることすら感じられなくなってしまうのです。そうなると本当に身体が壊れるまで無理が利いてしまうので、取り返しのつかない事態になりかねません。こうして疲れを自覚できているうちは、まだなんとかなります。
さて、本当なら今すぐにでも、最低数時間は寝かせたいところではありますが、レンリはその前に用事を済ませてしまうことにしました。
「何があったかはルー君から聞いたよ」
「……あ、あの」
「さっきも言ったろう。彼は別にキミのことを嫌っちゃいないさ。私は嘘吐きだけど、これに関しては嘘じゃないから安心したまえ」
ほっ、とルカは安堵の息を吐きました。
本当に心配していたのでしょう。
それこそ、不安で一晩中眠れなくなるほどに。
しかし、彼女の不安はそれだけではありません。
「でも、どちらかというと心配すべきは逆かもね」
「逆……?」
「ああ。ルー君がキミを、じゃない。キミが彼を、嫌いになってしまってないか」
「そ、それは……っ」
咄嗟に「違う」と言えなかったことがルカには大きなショックでした。
今にも泣きそうな顔をしています。
昨夜、彼に酷いことを言われて、怒った。
その怒りは、今もまだ心の中で燃えています。もし、今またルグの顔を見たら反射的に怒鳴ってしまうかもしれない、というくらいには。
ルグの無神経さを目の当たりにして、失望や、落胆や、そういった嫌う気持ちが全くなかったとは言えないでしょう。あるいは、今回の件でルカが一番ショックだったのは、自分が彼を嫌いになってしまったのかもしれない、という部分だったのかもしれません。
「うん? ああ、そういうことか。ルカ君、キミさ、もしかして人を好きとか嫌いとかってのを、二者択一の関係だと思ってない?」
「え……?」
一瞬、ルカにはレンリが何を言っているのか分かりませんでした。
「ルカ君さ、少なくとも昨日までのルー君に対しては、嫌いなとこなんて全然なかったんじゃないの? それこそ爪先から頭の先まで、一から十まで全部好きって感じで」
「う、うん……そう言われると、ちょっと……恥ずかしい、けど」
「そう。だから、それがそもそもの間違いなんだ」
昨日までのルカは、ルグの全部が好きでした。
恋は盲目などと言いますが、まさにそれ。普通に考えれば欠点に思える要素であれ、彼の構成要素の全てが好きで好きで堪らない。
だからルカは自分の想いの瑕疵に気付き、そして怖くなってしまったのでしょう。
自分が彼を嫌いになってしまったのではないか、と。
そんな風に間違えていたからこそ。
人間関係というものを、白か黒かの二者択一で捉えていたから。
慣れない怒りの感情に驚いたとか、そもそもの対人経験の少なさとか、勘違いの原因を挙げようと思えば色々とありそうですが。
「好きな相手だからって、全部が全部好きである必要なんかないのさ。どんなに親しい人間でも嫌いな部分の一つや二つはあって当たり前だし、逆に嫌いな奴でも認めるべき部分はきちんと評価すべきだ」
人と人との関係であれば、きちんと相手と向き合っているならば、本来、全肯定や全否定などそうあるものではないはずなのです。
好きな相手に嫌いな部分があるのも当然。
嫌いな相手に好きな部分があるのも、また当然。
0か100かで語れるような極端な見方をしている時点で、相手のことをきちんと見ようとしていなかったとすら言えるかもしれません。
「ルカ君の怒りは正当なものだ。だから、その怒りを招いたことに対してはちゃんとルー君に怒るべきだし、その無神経さを嫌ってもいい。だけど、同時にキミは彼を好きなままでいい」
「そう、なの……?」
結局、レンリは最後までルグと仲直りしろとか、許してやれとは言いませんでした。それはあくまで当事者たるルカが自由に、勝手に決めればいいだけのこと。
「まあ、今回のことで愛想を尽かして嫌いになったっていうなら、それも自由だけど?」
「……ううん、好き。ルグくんには、怒ってる、けど……でも、好き」
「じゃ、それでいいんじゃないの」
好きだけど、嫌い。
嫌いだけど、好き。
そんな心の在り方もある。在っていい。
きっと、その言葉の意味を実感として理解するのはまだ先のこと。けれど、そんな考え方もあるのだという、ただそれだけのことでルカの気持ちは随分と軽くなりました。
「レンリ、ちゃん……」
「ん、なんだい?」
「あのね……いつも、ありがと」
「私は別に何もしちゃいないけど、まあ、どういたしまして」
「ふぁ……少し、眠っていい?」
まだ肝心の問題は解決していませんが、それでも僅かなりとも安心したおかげでしょうか。ルカは先程まで以上の、異常なほどの眠気を覚えました。昨日からの疲労と寝不足……以外にも実は理由があるのですが、それはさておき、
「おやすみ……なさ、い」
「ああ、おやすみ。ゆっくり眠るといい」
どうにか寝入る前にベッドに移動したルカは、横になると同時に安らかな寝息を立て始めました。
◆◆◆
ルカが完全に熟睡した直後、別の場所で任務に当たっていたゴゴとウルがやって来ました。
『やあ、レンリさん。首尾はどうでした?』
「多分、大丈夫だと思うよ。それにしてもすごい効き目だなぁ、コレ」
『ふっふっふ、我が本気を出せばこんなものなの』
レンリの手には、先程ルカに水を飲ませるのに用いたコップが握られています。
今は完全に空っぽになっていますが、
「コレが無くてもなんとかなりそうな感じだったけど、会話だけで落ち着かせられる保証がなかったからね。まあ、念の為さ」
このコップに入っていた水には、ウルが体内で生成した強力な睡眠毒が溶かし込んであったのです。完全に無味無臭で無色透明。なおかつ中毒性や眠る以外の副作用は皆無という優れもの。様々な動植物や昆虫や、その気になればキノコなどの菌類にさえも変身できるウルだから出来る隠し技です。
その効力は、以前にレンリ自身で実証済み。
幸い、会話の流れは穏当な内容でしたが、必ずしも上手くいくという保証はありませんでした。だから黙ったまま一服盛って、薬物による強制的な鎮静効果を狙ったというわけです。
レンリはルカを信頼していますが、信頼とは無条件に思考停止していいことを意味しません。
仮に、話がこじれてルカが一層落ち込んだり、可能性はとても低いですが怒りの矛先をレンリに向けたりしていても、最終的には強制的に落ち着かされて同じようなタイミングで眠りに落ちていたことでしょう。
レンリとしても、人間の心が脳内の化学反応で全て説明できるなどと野暮なことを言うつもりはありません。けれど、全部でなくとも“大体”くらいならば、まあ、この通りなんとか出来てしまうわけでして。
「それで、そっちも上手くいったのかい?」
『ええ。今は部屋で眠ってもらっています』
そして、食堂に置いてきたルグも同じように幼女達に眠らされ、今は自分の部屋で熟睡しているはずです。彼も明らかな睡眠不足でしたし、そんな状態で考え事をさせてもロクな結果にならないのは前述の通り。ルグもルカも、何をするにも、何をさせるにも、まずは体調を整えねばお話にもなりません。手段が強引すぎるのは否めませんが。
「やれやれ、世話のかかる友人を持つと大変だ。二人とも、もっと肩の力を抜いて気楽に生きればいいのにね」
私を見習ってさ、と。
レンリはそんな風に冗談めかして言うと、大きく肩を竦めました。
「下手の考え休むに似たり」とは言いますが、あれって間違いだと思うんですよ。問題解決の条件が整ってないまま下手に考えるくらいなら、ゴロゴロ休んで英気を養っていたほうがよっぽど良いってもんです。




