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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
六章『異郷夢幻恋歌』

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よりにもよって


 結局のところ、ルグの勇者リサへの憧れは恋ではなかったのでしょう。

 それは、しいて言い表すならば敬虔な信仰心のようなもの。

 ある種の愛には違いなくとも、しかし、恋ではなかった。


 ですが、まあ、それはいいのです。

 そもそも再会した時点で相手が結婚して家庭を持っていたのですから。

 もし仮に、彼が一人の女性として勇者を慕っていたとして、最早どうしようもありません。むしろ、余計な不和や傷心の種がなくなって良かったくらいのものでしょう。


 ルグも十分以上に分別を備えた少年です。

 生まれ育った農村で大人に混じって畑仕事や狩猟を手伝い、近所の年下の子供達の面倒を見て、空いた時間を見つけては身体を鍛えていました。

 年齢や外見からすれば意外なほどにしっかりした性格は、そうした日々の生活で培われたものなのでしょう。そんな彼が、まさか人妻相手にどうこう想うはずもありません。


 だから、問題の本質はそこではありません。


 彼の想いは恋ではなかったけれど、しかし、紛れもない愛だった。

 憧れた相手にもっと早く会いたかった。

 もっと多くの時間を近くで過ごしたかった。


 ほんの少しですが、ルグの心の中にはそんな嫉妬心が芽生えてしまいました。

 いえ、人である以上、時にはそういう好ましからぬ感情を得ることもあるでしょう。別に珍しくもありません。世の多くの人は当たり前のように、そうした己の内面と向き合いながら生きているのです。


 ですが、今回のルグの場合はちょっとばかり事情が違いました。

 十分以上の分別がある、とは言い換えれば自分への厳しさがある、自分自身に厳しすぎるということ。本来、己を厳しく律するのは悪いことではないけれど、それも度が過ぎれば心を蝕む毒に転ずる。清潔であろうと求めるばかりに潔癖症を患ったようなものかもしれません。


 加えて、彼の自己評価の低さも問題です。

 特別な血筋や財産や才能のない、ごく普通の人間。

 こと体格に関して言えば「普通」を大きく下回ります。

 取り柄と言える剣や弓の才能にしても、常人の域を出るほどのものではないでしょう。


 勇者や魔王といった存在は元より、レンリやシモンは生まれた時から特別な身分ですし、長命種であるライムや、迷宮そのものであるウル達も皆が「特別」。本人が望んで得たものではないにせよ、客観的に見ればルカも一種の天才には違いないでしょう。

 ルグの周りの皆は誰もが特別な存在で、その中で彼一人だけが「普通」。普段であればそういったコンプレックスすらも逆に努力の励みにするくらいのものですが、しかし決して彼が劣等感を感じていないわけではないのです。


 厳しさが行き過ぎるあまり自虐的に、自分の価値を軽んじる心も重なって、ルグはついこんな考えを思い浮かべてしまいました。


 こんな自分に、勇者に憧れる資格があるのだろうか。

 こんな自分に、ルカに好かれる価値があるのだろうか。

 果たして、こんな自分なんかが皆と一緒にいていいのだろうか。







 ◆◆◆







 さて、少年の心の内とは裏腹に、急遽開かれた魔王宅での親睦会は極めて平和的に終わりました。レンリが聖剣のことについてリサを質問攻めにして困らせたり、レンリが魔界の魔法についてアリスを質問攻めにして困らせたり、レンリが料理の味付けについて魔王を質問攻めにして意気投合する一幕(三幕?)などもありましたが、それ以外は概ね穏やかなものです。


 最初のうちは珍しく緊張していた様子のウルとゴゴも、次第にいつもの調子を取り戻していました。詳しい関係についての説明はレンリ達には「また今度」とはぐらかしていましたが、魔王や勇者が神造迷宮の創出に少なからず関係しているという部分はもはや隠す気もないようです。

 普通の生き物にとっての親子関係とは大きく異なりますが、ウル達にとっての魔王達はある意味で親か、それに近い存在なのでしょう。ウルはともかく意外なことにゴゴも、見た目通りの子供のようにリサやアリスに甘えていました。


 次から次に運ばれてくる料理に舌鼓を打ち、会話を楽しみ、やっとお開きになったのは日が落ちてから三時間以上も経った頃。まだ幼いアリシアとリヒトは頑張って眠気を我慢していたようですが、それでも限界を迎えて眠ってしまい、それが解散の契機となりました。



「ははは、今日は驚いたけど充実した一日だったよ」


「う、うん……すごく、びっくり」



 もう乗合馬車や辻馬車もほとんど走っていないような時間ですが、レンリ達が泊まっているホテルまではアリスの転移魔法で送ってもらいました。

 本来、転移術というのは非常に高度な技術と大量の魔力を要する高度な魔法なのですが、そこは流石の元魔王といったところでしょう。呪文の詠唱もなしに、指をパチンと鳴らしただけで気付けばレンリ達はホテル前の通りに立っていました。

 通行人や宿の従業員に見られたら騒ぎになってしまいそうなものですが、転移と同時に張った結界で周囲の人間の意識を逸らし、たとえ目の前にいても気付かれないようにしたのだとか。



「さて、流石に今日はもう寝るだけか」



 今日は早朝の市場巡りから始まって随分と色々なことがありました。体質的に睡眠が必須ではないウルとゴゴはともかく、他の皆はすっかり眠くなっています。



「じゃ、おやすみ」


『おやすみなさいなの』


「ん。おやすみ」



 最初にレンリが抱き枕として使うためにウルを自分の部屋に連れていき、他の皆もそれぞれ自分の部屋へと戻っていきました。







 ◆◆◆







「ふぅ……」


 そうして部屋に戻って一人になったルカは、ホッと息を漏らしました。

 幸いにも魔王の家の人々は友好的に接してくれましたが、それはそれとして、よく知らない相手と話すのはどうしても緊張してしまいます。


 それに、つい先程まであった色々なことは何もかもが夢のようで、未だに現実感がありません。まあ内容が内容だけに、寝て起きたら全部夢だったのでは、なんて思ってしまうのも仕方のないことでありましょう。



「えへへ……」



 夢のよう、と言えば他にも忘れてはならないのが昼間のデート。

 ただ手を繋いで散歩しただけですが、ルカにとってはとても幸せな時間でした。

 特に、小さな広場のベンチでルグと隣り合って座り、二人で見詰め合っていた時には、これまでにない確かな手応えがありました。

 残念ながら途中のアクシデントで有耶無耶になってしまいましたし、レンリ達に覗き見されていたのは恥ずかしいけれど、あの瞬間、確かに彼と心が通じ合っているという感覚があったのです。

 あの後はずっと他の皆が一緒でルグと二人で話すタイミングがありませんでしたが、彼があの時にどう感じていたのかは親睦会の最中もずっと気になっていました。



「夢、じゃない……よね?」



 正直、ルカにとっては勇者だとか魔王だとかよりも、そちらのほうがよっぽど重要です。

 果たして、あの出来事は夢だったのか現実なのか。夢にしてはリアリティがありすぎるし、現実にしてはその後の展開も含めてリアリティが無さすぎる。

 一晩寝て起きたら真偽は明らかになるのだろうけれど、それを確かめるのがちょっぴり怖いような……なんてバカなことを考えてしまい、もう眠いのになんとなくベッドに横になることなく部屋の中をウロウロしていると、


 こんこん、と。


 部屋の戸を軽く叩く音が聞こえました。

 遠慮がちな、眠っていたら気付かなかったであろう小さなノックです。


 時刻はもうすぐ日付が変わるような深夜。

 こんな時間に誰が訪ねてきたのだろうかと、ルカは不思議に思いながらもドアを開け、そして大層驚くことになりました。



「ルカ、こんな時間に悪い」


「ルグ、くん……?」



 なるべく平静を装いはしましたが、ルカはそれはもう緊張していました。なにしろ、つい今まで考えていた想い人が、こんな深夜に部屋を訪ねてきたのですから無理もありません。



「あのさ、話したいことがあるんだ。その、二人だけで」


「は……ひゃいっ」



 その上でこんな前置きを言われたら、もうルカの頭の中は期待と不安でいっぱいです。

 こんな時間に部屋を訪ねてきたとなれば単なる世間話のはずがありません。それも二人きりで話したいとなると、もう話題は大きく限られます。彼はまず間違いなく二人の関係について、それも極めて重大な話をしにきたのでしょう。

 もし想いを受け入れて貰えるなら、どんなに嬉しいだろう。

 もし振られてしまったら、どれほど悲しいだろう。

 話の続きを聞くのは怖かったけれど、まさか今から耳を塞いで追い返すわけにもいきません。ルカもいよいよ覚悟を決めました。


「ルカ」


「……う、うん」


「ルカが好きだって言ってくれて、最初は驚いたけど、今は嬉しい。俺、まだ恋愛とかちゃんと分かってないのかもしれないけど、ルカとずっと一緒にいたいと思う」


「……っ」


















 そう、ここまでは良かったのです。

 ルグがここで言葉を止めておけば、万事解決。

 めでたしめでたしのハッピーエンドで終わっていたのでしょう。



「……でも、俺じゃ駄目なんだ」



 でもルグは、このとんでもない大馬鹿野郎は、ルカの為を本気で想っているつもりで、よりにもよってこんなことを言い出したのです。



「俺なんかを好きになってくれたのは嬉しいよ。でも俺って別に何か取り柄があるわけじゃないし、格好良くもないし、チビだし、ルカや皆は仲良くしてくれてるけど本当は全然大したことない奴なんだ。世の中には他にもっと良い男がいくらでもいるだろうし、ルカも俺のことなんか忘れて他に誰か好きな人を探したほうが幸せになれるんじゃないか、って思うんだ」



 

 つまるところ、ルグは恋愛の何たるかを、その一番大事なところをまるで理解していなかったのでしょう。なにしろ、相手のことを本気でおもんぱかっているつもりで、これほどまでに身勝手極まる理屈を開陳したくらいです。



「…………ル」



 これが、もし「お前とは付き合えない」と振られただけなら、ルカもこんな反応はしなかったでしょう。普通に悲しんで、普通に泣いて、その後でガッツを燃やして再アタックするか諦めるかはさておき、まあ普通の反応を示したはずです。

 ですが、こんなにも人を馬鹿にした話はありません。

 直接的な罵倒よりもよっぽど性質が悪い。

 特に、悪気が一切なく善意で言っているらしいのが最悪です。

 だからルカは、彼女自身もこんな激しい感情が己の中にあったことも、自分がこれほどの大声を出せるということも今の今まで知りませんでしたが、



「ルグくんの、馬鹿っ!!」



 生まれて初めて、他人に対して本気で怒りました。




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