ドキドキの向こう側
こうして見つめ合ってから、一体どれだけの時間が流れたのでしょう?
ほんの一瞬のような気もするし、何時間も過ぎたようにも感じる。
でも、ルカにとってはそんなのどちらでも構いません。
いいえ、構わないというよりも、時間のことなど気にする余裕もないと言うべきか。
今、ルカはこれまでにない確かな手応えを得ていました。
ルグと一緒にいるだけで楽しいし、幸せ。
それが一片の偽りもない彼女の素直な気持ちです。
けれど、彼はどうなんだろう?
そう頭の隅で思った時には、もう言葉が口から出ていました。
“ルグくん、は……どう?”
人と目を合わせるのは怖いのに。
こんな風に直接的に、大胆に尋ねる勇気なんてずっとなかったのに。
決して自信があったわけではありません。ただ、その瞬間は怖さも何も全てが消えて、ああするのが自然だと思えたのです。
ルグからの返事はまだ聞こえてきません。
けれど、ルカに焦りはありませんでした。
先程から何度も何度も、彼は何かを言おうとしては飲み込んでいます。
きっと、何か想いを表すのに相応しい言葉を探しているのでしょう。そんな彼の誠意が繋いだ手と、視線からも伝わってきていました。
彼の手が温かい。
互いの鼓動が一つに解け合う。
心と心が通じ合っている感覚。
錯覚かも……なんて、疑問が湧くことすらない確かなもの。
「ルカ、俺は……いや、俺も――――」
「……っ、うん」
やがて、ルグはようやく気持ちの整理がついたのか、それとも相応しい言葉を見つけたのか、言葉と視線の圧が一気に強まりました。
その気配に気付いてなお、ルカの胸にあるのは不安を大きく上回る期待感。
彼の次の言葉でこの想いは報われる。
今ここにあるのは、そんな幸福への確信だけ。
…………ですが。
ですが、ルカはすっかり忘れていたのです。
自分自身の、骨身にまで染みているはずの運の悪さというものを。
◆◆◆
時間は少し戻ります。
迷宮都市の中央街区にある一軒の料理店にて。
ホテルで皆と別れたシモンとライムは、旧知の人物と顔を合わせていました。
「会って欲しい子、ですか?」
「うむ。いや、立場もあるし無理にとは言わぬが」
その人物、黒髪の女性は穏やかな笑みでシモン達の頼みを聞いて、
「ええ、いいですよ」
頼んだ側がびっくりするほどの気安さで、あっさりと了承しました。
女性は、まだ詳しい事情までは聞いていません。
どうやら昔の彼女が命を救った少年がいるらしい。
その少年が最近どうも親しい少女との関係に悩んでいる。
女性が少年に会えば悩みの解決に役立つ、かもしれない。
わざわざ会って欲しいというには曖昧で、どうにも掴みどころのない話でしたが、
「頼んでおいてなんだが、そんなに簡単に決めていいのか?」
「だって、シモンくん達がこんな風に言うってことは、ちゃんと秘密を守れる子達なんでしょ?」
「ん。皆、いい子」
「ほら、それなら大丈夫ですよね」
信頼できる相手が信じるなら無条件に信じられる。
シモンやライムも中々のものですが、それに輪をかけたお人好しぶりです。
弟子であるシモンとしては師のそんな部分を心配しないでもないのですが、それは杞憂というものでしょう。世界中探しても彼女に害を為せる者など二人くらいしかいませんし、その二人が彼女と敵対することなどあり得ません。精々、極稀にちょっとしたケンカをするくらいです。
さて、こうして思いの外あっさりと合意も得られ、ならば次は実際にいつ会いにいくかという話になりました。本日はこの店も定休日ですし、主に別の場所で働いている女性もたまたま休みが重なっていましたが、仕事がある日だといつでもいいというわけにはいきません。
「……む。近くにいる」
ここで、ライムが店の付近にいるルカの気配を察知しました。
大きすぎる潜在能力をまるで使いこなせてはいませんが、現時点でもルカの魔力は熟練の魔法使い数人分に相当します。気配を隠すような技術もないために、彼女の居所は離れていても分かりやすいのです。ホテルを出る前の会話からして、ルカの近くにはルグも一緒にいるでしょう。
「ふむ、近いな。距離からするに……この近所の広場のあたりか?」
「多分、そう」
「それじゃ、すぐに行っちゃいますか。善は急げって言いますし」
果たして、急いだ結果が善だったのか否か。
そもそも、いくら考えようとこの時の彼女達に分かるはずもなく――――。
◆◆◆
「いた」
「おお、ここにいたか。探したぞ」
悪意など欠片もなく、むしろ善意に基づく行動だったとはいえ、やはりこの日のシモンとライムは迂闊の謗りを免れないでしょう。
とはいえ、そもそもここは天下の往来。
どこの誰が歩いていようが文句を言われる筋合いはないのですが。
「あ……わ、悪い、ルカ!?」
「え? ……あっ!?」
ベンチに座って顔を寄せ合い、すっかり二人きりの世界に浸っていたルグ達ですが、すぐ間近から声をかけられたらそんな世界などあっさり壊れてしまいます。このまま声を無視して「さて続きを」とするには神経の太さが足りません。
せっかく雰囲気に酔っていたのに、その酔いが一瞬で醒めてしまいました。
我を失っていた状態から正気に返ったとも言えるかもしれません。
ルカにとっては非常に残念なことですが、確信していた幸福は、あとちょっとのところでヒラリと指の隙間を潜り抜けて飛んでいってしまったようです。
「……あ。ごめん」
「ごめん? まあ、いい。実はそなたらに紹介したい者がおってな」
既に手遅れですが、ライムはどうやら自分達が良い場面を邪魔してしまったことを察したようです。その手の気配に鈍いシモンは全く気が付いていませんが。彼は深く気にすることなく後ろにいる女性に視線を向けて前に出るよう促しました。
「どうも、こんにちは! ええと、貴方がルグくんですね。お久しぶり、でいいのかな? それと、ルカちゃんも、はじめまして!」
ここまでの道中でシモン達からある程度の説明を受けていたのでしょう。
黒髪の女性は朗らかに挨拶をしてきました。
「あ、その……どうも」
人見知り気質のルカに関しては、いつも通り。
先程までの勇気も、まったく見ず知らずの相手には発揮できません。
まあ、普段とさして変わらない様子です。
「…………っ」
一方、ルグの様子は尋常ではありませんでした。
胸がドキドキする、どころの騒ぎではない。
本当に心臓が止まってしまったかのような驚きようです。
ここに、この世にあの人がいるはずがない。
リアルな夢か、それとも幻覚でも見ているのか。
ルグの理性は常識を囁きますが、しかし、目の前の現実に対してはあまりに無力。
「あ、ああ……っ」
夢だろうが幻覚だろうが、そんなのはどうでもいい。
ただ、この人に会いたかった。
かつて異界から来て、そして役目を終えて帰ったはずの勇者リサに。
気付けば、ルグは両の眼から涙を流していました。
どうして泣いているのか、その理由は彼にも分からないけれど。
「ルグ、くん……?」
「わ、大丈夫ですか? どこか痛いとか?」
心配したルカやリサが声をかけてきましたが、それからしばらくルグが泣き止むことはありませんでした。




