もう、逃げない
あなたと一緒にいるだけで楽しい。
すごくドキドキする。
ただそれだけで自分は幸せなのだと、ルカはそう口にして、
「ルグくん、は……どう?」
今度は逆に、彼に向かって問いかけました。
ルグの手を優しく握り、目と目を合わせて。
「ルカ……」
ルカの手に力は入っていません。
振りほどこうと思えば造作もないでしょう。
口下手な彼女相手なら、適当な話題を出してはぐらかすのも簡単です。
「――――。俺は」
だけど、それは出来ない。
それだけは、絶対にしてはいけない。
ルカは精一杯の勇気を振り絞って問うているのです。
繋いだ手からは彼女の震えが伝わってきます。
こうして目を合わせるのだって、きっとまだまだ怖いはず。
臆病な彼女が、それでも逃げずに向き合ってくれているのです。ここで逃げたら、ルグはきっと自分自身を許せなくなってしまうでしょう。
もう、逃げない。
繋いだ手から伝わってくるのは、ルカの震えや不安な気持ちだけではありません。
柔らかな肌の熱が、そして心臓の鼓動までもが伝わってくるかのようです。
これはきっと、彼女の想いそのものが持つ温かさなのでしょう。
ルグがこうして彼女を誘ったのには、実のところ、さして深い考えがあったわけではありません。
考えているだけでは埒が明かない。
逃げてばかりでは活路は開けない。
“ならば、実際に行動して、本当の恋人がするようなことをしてみれば、何かピンと来るものがあるのではないだろうか?”
理由といえば、その程度。
それにデートに誘ったまでは良かったものの、実際にそれ以上何をすればいいのか思いつかず、ただ手を繋いで歩くので精一杯。気の利いた話の一つも出来ませんでした。
しかし、案ずるより生むが易し、とはよく言ったものです。
今回の場合、下手の考え休むに似たり、だったかもしれませんが。
ピンと来るものは、ありました。
理屈ではない、しかし、確かな何かが。
こうしている今も、繋いだ手から伝わってくるルカの鼓動。
ならば、逆に彼女にもルグの鼓動が伝わっていることでしょう。
顔が熱い。
冬の寒さなんて感じない。
うるさいくらいに心臓が鳴っている。
まるで全力で走った後のような、けれど決して不快ではない、その感覚。
「ルカ、俺は……いや、俺も――――」
「……っ、うん」
すごく、ドキドキする。
この感じが、特別な「好き」なのだろうか?
まだ想いの正体すら判然としないながらも、ルグは心の中に思い浮かんだものを少しずつ不器用に組み立て、どうにか言葉にして伝えようとして――――。
◆◆◆
『二人とも、見つめ合ったまま止まっちゃったのよ?』
ルカ達がいる広場のベンチから、直線距離で100mほど。
ちょうど上手い具合に視線が通る茶店の二階席から見下ろす形で、レンリとウルとゴゴの暇人トリオは監視を続けていました。ルカの髪の毛に潜ませたウルの分身が二人の会話を聞いて、それをレンリとゴゴに逐一伝えていたのですが、その会話もぴたりと止まってしまいました。
『でも、悪い雰囲気ではないですよ』
「うん。これは、ひょっとしてひょっとするかも。一時間も歩きっぱなしでどうなるかと思いきや、ルー君もやればできるじゃあないか」
ルカがルグの手を握り、それから二人はじっと見つめ合っています。
距離にして数十センチ。互いの吐息が顔にかかるであろうほどの至近距離。
そのまま五分が経ち、十分が過ぎてもぴくりとも動きません。まるで、あの二人の周囲だけ時間が止まってしまったかのようです。
『このままチューでもしそうな感じね。あわわ、なんだか我まで緊張してきたの……!』
『流石にそうなったらこのまま見続けるのは悪いですかね?』
「それこそ今更だよ。ここまで来て一番おいしい場面を見逃すなんて……おや?」
二階席の高さから広場全体を俯瞰する形だからこそ気付けたのでしょう。
最初にレンリが、ルカ達のいる広場に見知った顔がやって来たのに気付きました。
「げっ、まずい!」
偶然か必然かは分かりませんが、つい一時間ちょっと前に分かれたシモンとライムが、現場である広場へと姿を現しました。
シモン達に意図して邪魔するつもりがなくとも関係ありません。
ただ近くを通りかかったというだけで全部がぶち壊しになってしまいます。
せっかく良い雰囲気になっているというのに、もし知り合いの存在に気付けば、ルグとルカはたちまち正気に返ってしまうでしょう。ここまで長々と尾行してきて、やっとおいしい場面に巡り合えたレンリ達としてもそれは嬉しくない展開です。
シモンとライムは恐らく既にルグ達に気付いているのでしょう。
あの二人なら、気配や魔力だけでもその程度は把握しているはず。
しかし、やって来たばかりで今現在のデリケートな状況まで十全に察してくれるかというと、正直微妙なところです。ある程度近付いた時点でいつも通りに声をかけかねません。
「やばいよ! 今から私達でシモンさん達を止めに……二人とも?」
今からレンリ達が茶店を出て全速力で走れば、あるいはギリギリで制止が間に合うかもしれない。そう思ったレンリが大慌てで席を立とうとして、
『え? ど、どうして!?』
『なっ、よりによって今ですか!?』
しかし、ウルとゴゴは揃って酷く驚いていました。
彼女達の視線の先にいるのは、シモンとライム……ではなく、二人の少し後ろを歩いている長い黒髪の女性。年の頃は二十代の後半くらいでしょうか。
シモン達は、先程の別れ際にこの街の知人を訪ねると言っていました。
都合が合えば皆に紹介したいとも。
あの女性がその知り合いなのだろうか、くらいの想像はレンリにもできましたが、しかしウル達の驚きようといったら尋常ではありません。
時間にすれば十秒そこらの戸惑いでしたが、それだけで決定的。
もはや、制止するために駆け出す機は逸しています。
「えっと……誰?」
この場で一人だけ事情を知らないレンリに出来るのは、もはや、こんな風に間の抜けた問いを口にすることだけでした。




