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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
六章『異郷夢幻恋歌』

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無形両断!


「ああ、急に話しかけてごめんね。ちょっと気になったから、つい」


 木剣の素振りをしていたルグに話しかけてきた黒髪の青年。自称「ただの料理人コックさん」を名乗る人物はそんな風に言葉を続けました。


 今しがたしていたような素振り……否、剣の術理も何もなく力任せに振り回すだけの棒振り運動では、技の精度を落とすだけでなく怪我にも繋がりかねません。言われてみればルグにも頷ける話です。



「えっと、どうも」



 どうやら、この見ず知らずの青年にまで心配をかけてしまったらしい。ルグの悩みはまるで晴れていませんが、無関係の他人に世話を焼かせるのは彼としても本意ではありません。とりあえず軽く頭を下げて礼を言いました。



「それよりも、随分身体に力が入ってたみたいだね?」


「俺、そんなに力んでました?」



 剣士ですらない料理人にも分かるほどガチガチに力んでいたという線もありますが、どうやらこの青年には多少なりとも剣の心得があるようです。素振りを少し見た程度でフォームの狂いや力みを見抜かれた点から察するに、それなり以上の使い手なのかもしれません。

 この青年、美男子ではあるものの、どうにも迫力に欠けるのんびりとした顔つきで、正直、ルグにはあまり強そうに見えませんでしたが。



「たしか料理人って言ってましたけど、剣、分かるんですか?」


「うん、まあ昔ちょっとね」


「もしかして、冒険者だったとか?」


「冒険者じゃないんだけど、やってたこと自体は同じようなものかな? 気の向くままに色んな場所に行って、時々戦ったりって感じだったし。もう随分前にそういうのは引退しちゃったけどね」



 ギルドに登録した職業としての冒険者ではなくとも、同じように冒険をしたり宝探しをしたりする変わり者も世の中にいないわけではありません。

 ギルドに仲介料を引かれるのを嫌って直接護衛の雇用主と契約していたり、他者とのしがらみのない純粋な意味での「冒険」をしたがるタイプであったり。事情は様々ですが、恐らくはそういった経歴の持ち主なのだろう、とルグは当たりを付けました。

 


「それよりもキミのことだけど、何か悩み事でもあるのかい? なんとなく思っただけなんだけど、そのせいで力が入りすぎちゃってるんじゃないかな」


「悩み事……そうですね。悩みは、あります」



 指摘された通り、現在の不調の原因はルカに関する悩み事。ルグも流石にそこまで込み入った事情を、出会ったばかりの相手に明かす気はありませんでしたが、



「事情はよく分からないけど、それなら緊張をほぐす良い方法があるよ」


「緊張をほぐす?」


「うん。僕の奥さんがまだ学生の頃に試験前とかやってたんだけど、たしか、まずは身体にギュッと力を入れて――」



 手足や腹や背中。身体の緊張しているであろう箇所に強く力を込めて、そのまま五秒から十秒ほど力んだ状態をキープ。その後に一気に力を抜く。それを何度か繰り返す。


 緊張やそれに伴う力みの原因というのは体調や精神的なものなど様々ですが、このリラックス法はあえて意識して強い緊張状態を作り然る後に脱力することで、元々あった無意識の力みを消すことができるのです。また筋肉の力みのみならず精神面の落ち着きも期待できます。



「こんな感じですか?」


「そうそう」



 妙な展開になってきましたが、親切心で言われていることですし、ルグ側にも特に拒絶する理由はありません。とりあえず言われた通りに緊張と脱力を何度か繰り返します。



「そろそろ、いいかな? さっきみたいに木剣を構えてみて」


「はい。えっと、これでいいですか?」


「うん。もう少し足幅を、指半分くらい開いて。それから右肩をほんのちょっとだけ正中線に寄せる感じで。剣を握る手を緩めるのを意識しながら……うん、それで振ってみてくれるかな。騙されたと思って」



 そして構えの姿勢をほんの少しだけ、言われた通りに普段のものから修正。見た目にはほとんど分からないくらいの違いですが、なんとなくしっくりくる、とルグは感じました。


 そして言われた通りに上段構えからの振り下ろしを……、



「――ふっ! ……え?」



 幾千幾万と数え切れないほど繰り返した素振り。

 しかし、今の一振りは手応えが違いました。


 「振った」というよりも「斬った」。


 もちろん、何もない空間に振り下ろしただけなら手応えなど感じるはずがありません。

 剣速にしてもいつもと同じか、疲労でやや遅いくらい。

 しかし、まるで形を持たない空気そのものを斬ったかのような感触がルグの手には残っていました。しかも、それだけでなく――――。


 

「今のは……? あの、もう一回見てもらっていいですか!」


「うん、いいよ」



 如何に会心の一閃とはいえ、一回限りのマグレでは意味はありません。

 今の感覚が薄れないうちにと、ルグは慌てて二振り目、そして三振り目、四振り目と続けます。時折、青年の助言に従って構えや重心の置き方を微調整しながら注意深く、何回も何回も。そのまま百回以上は振ったでしょうか。


 それでも結局、最初の一回のような手応えを得られたのは十の内に一あるかどうか。未だマグレの域は出ませんが、しかし得たモノは決して小さくありません。








「っと、すっかり長話をしちゃったね。じゃあ、僕はこれで」


 元々はただの通りすがりの他人同士。

 ルグの調子もどうやら戻ったようですし、用件が済めば別れるのみ。



「あ、あのっ」


「ん、なんだい?」


「その、ありがとうございました! えっと、何かお礼を……」


「あはは、気にしなくていいよ。こっちこそ邪魔したね」



 師事する、というほど本格的に教わったわけではないにせよ、ルグにも先程のアドバイスの価値がどれほど高いかは分かります。

 本来なら金銭か、そうでなくとも何かしらの対価を支払うべきでしょう。

 ですが、のほほんと呑気に笑う青年の様子からするに、肝心の教えた当人がその価値をまるで理解していないようにも思えます。本当に大したことをしたとは考えていない様子で、言葉以外の謝礼など受け取ってもらえそうにはありません。



「いや、やっぱり何かお礼を」



 しかし、ルグの義理堅さも中々のものです。

 ここで「タダで良い事を教えてもらった。ラッキー!」などと思えるような性格だったら、そもそもルカとのことであれほど悩んではいないでしょう。そういうのはレンリやコスモスの芸風です。



「あ、そうだ。それなら料理を食べにきてくれると嬉しいかな。今日は定休日なんだけど、この近くのお店だから」



 結果、折衷案として青年が出したのは、そんな落とし所。

 飲食代だけでは対価としてはまだ安いかもしれませんが、ここで提案を蹴ったらかえって失礼になると思ったのか、ルグもそれで納得して引き下がりました。



「それなら今度友達も誘って行きますね」


「うん、来てくれたらサービスするよ。それじゃあ、またね」



 奇妙な出会いでしたが、ひとまずはこれで一件落着。

 悩みの根本的な原因が解決したとは言い難いものの、重苦しい気分だったルグの心もすっかり晴れていました。


 その代わりに時刻はもう正午を大きく過ぎています。寝ていた皆も完全に目を覚まして、ルグがいないことに気付いているはずです。もしかしたら無用の心配をさせてしまっているかもしれません。




 運動公園を足早に後にしたルグは宿への道中で、



「あ、名前聞いてない! 店の場所も!」



 痛恨のうっかりミスに気付くのですが、まあ、それに関しては言い忘れた青年も同罪でしょう。








 ◆◆◆








 宿に戻ったルグは、皆に深く頭を下げて詫びました。

 一人で行動するにしても、書き置きを残すなりホテルの従業員に言伝を頼むなりといった手を打っておくべきでしたが、そんな当たり前のことにさえ気付かないほどに先程は視野が狭くなっていたのでしょう。

 もっとも、ルグがいなくなっているのに気付いて本気で心配していたのはルカ一人。外見はともかく彼も世間的には大人として扱われる年齢です。一人でどこかで迷子になっている、なんて心配をするほうがおかしいのですが。


 ともあれ、皆と合流したルグは運動して汗をかいていたので風呂に入ってから服を着替え、宿の料理人に朝市で購入した食材を調理してもらった昼食を食べ、すっかりいつも通りの心身共に健康な状態になりました。いえ、この後の展開を鑑みるに、いつも以上だったかもしれません。



 一人だけ合流が遅れたとはいえ、まだ日は高い時間です。

 今日はこれから皆で何をして過ごそうか。

 観光か、買い物か。遊ぶ場所の候補も山ほどあります。

 あえてノープランで街に出て、気の向くままに歩き回るのも面白いでしょう。


 しかし、皆がそんな相談を楽しげに始めたその席で、



「悪い、皆。全員で出かけるのはまた今度にしてもらってもいいか?」



 なんというかルグらしくない、協調性に欠ける発言が飛び出しました。

 普段の彼はどちらかというと和を重んじる性格で、誰かが行動の指針を決めたらそれに後から付いて行き、そして細かなフォローに専念するようなタイプです。主体性に欠けるとまでは言いませんが、こんな風に全体の方針に異を唱えるようなことは滅多にありません。


 しかし、ここまではまだ前置き。

 ルグの「らしくなさ」はここからが本番でした。



「ルカ、ちょっといいか?」


「うん……どうした、の?」


「嫌だったら断ってくれて構わないんだけど、これから俺と一緒に出かけないか? 皆と一緒じゃなくてさ、その、二人だけで」








 ◆◆◆







 先程の公園での剣の鍛錬。

 そこで得た、これまでに無い「斬った」という感覚。

 そして限りなく確信に近い特別感。

 ルグがそう感じたのは、単に強い威力があるからなどの理由ではありませんでした。

 まるで形のない空気を両断したかのような感触。そして同じく形のない、彼自身の内にある心の迷いや「逃げ」を望む弱さをも諸共に斬ったような手応え。


 もしかしたら、それは単なる錯覚なのかもしれません。

 技量の向上に伴う一時的な高揚で、冷静さを欠いているだけなのかもしれません。

 一晩眠れば萎んでしまうようなハリボテの勇気でしかないのかも。


 ですが、慎重になっているだけでは物事は好転しない。

 守っているだけでは、どんな勝負にも勝てはしない。

 それもまた厳然たる事実です。


 慎重に考える……ではなく、積極的に確かめる。

 もっと能動的に答えを探しに行く。

 理由はどうあれ、結果はどうあれ、彼のこの方針転換は間違いなく状況を揺るがす一石となることでしょう。



本文中に出てきたリラックス法は、正式には「漸進的筋弛緩法」と言って実在するテクニックです。フルパワーじゃなくて全力の七割くらいの力を入れるのがコツなんだとか。運動をする人だけじゃなくて試験や仕事の前に緊張をほぐす用途でも使えますし、就眠前にやると安眠効果もあるらしいので気になった方はお試しあれ。

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