迷宮都市の朝市
迷宮都市に着いた翌朝。
「さあ、起きた起きた。朝飯を食いに行こう」
「起きて」
「……ねむい……です」
「私も眠いよ……うわ、まだ日も出てないじゃないか」
まだ朝日も顔を出していないような早朝にも関わらず、心地良く眠っていたレンリ達は強引に夢の世界から叩き出されました。
普段から早起きの習慣があるルグと、そもそも睡眠が必須ではないウルとゴゴはともかく、レンリとルカは寝不足でふらふらとしていますし、起こした側のシモンとライムにしても眠そうな様子です。
「ははは、すまぬ。だが早く行かねば美味い物から売り切れてしまうのでな」
「朝ご飯……です、か?」
こんな時間では普通の飲食店はまだ営業を始めてもいないでしょう。
深夜営業がメインの居酒屋などであればやっているかもしれませんが、そちらもぼちぼち店仕舞いを始める頃合。いずれにせよ、朝食というイメージではありません。
「それにしてもやけに早いね。何か特別な店とかですか?」
ですが、シモンとライムがわざわざこんな朝早くに皆を起こしたのには、きちんと理由があるのです。目当てはレンリの言ったような特別な店、いえ正確には単一の店舗ではなく無数の店舗が集まる場所。つまり……。
「うむ、朝市だ」
迷宮都市の食を支える中央市場。
魔界に通じる巨大な門のちょうど目の前で開かれている朝市には、まだ日も昇らないうちから大勢の人々が押し寄せていました。肉、魚、野菜に果物。そういった食料品を扱う小売店や飲食店の関係者が仕入れに訪れているのです。
無論、シモン達の目的は仕入れではありません。目当てとしているのは、仕入れにやってきた飲食関係者、つまりは食のプロ達を主な相手とする飲食店。
夜が明けるか明けないかくらいの極めて早い時間から市場内やその付近で営業を始め、昼前には店仕舞いするような特殊な業態の店も多いのですが、その味はどこも絶品。食にこだわる業界人を相手にするからこそ競争は激しく、味の確かな店でないと生き残れないのです。
「ははは、俺も久しぶりに来たが一段と活気が増した気がするな」
『すごいの! 美味しそうなのがいっぱいね!』
主に業界人を相手にしているといっても、今朝のシモン達がそうであるように一般人お断りというわけではありません。迷宮都市の住人や観光で訪れた旅行者にも朝市のグルメ巡りは密かな人気があるのです。
普通の飲食店のようにのんびり寛ぐというわけにはいかず、さっさと食べて出て行くような忙しない形ではありますが、そうして市場の活気を肌で感じるのもまた一興。
「あれ? あそこの線から先ってもしかして……」
「ん。魔界」
『意外と簡単に行き来が出来るんですねぇ』
商業活動の活性化を目的とした制度なのですが、この中央市場はそのまま魔界側の市場とも地続きになっていて、特に申請も必要なく移動することができます。
魔界側の住人がこちらの世界の市場に来る場合もまた同様。
両世界の市場の敷地内から外に出る際には目的や滞在期間に応じた審査が必要になりますが、決められた範囲内を見て回る分には自由。それだけでも相当の広さがありますし、ただ見物するだけでも十分に楽しめそうです。
「見学もいいけど、まずは何か食べないかい。せっかく早起きしたんだしさ」
「ふふ……何に、しようか?」
とはいえ、腹が減っては戦はできぬ。
市場内外の飲食店も美味い所からどんどん売り切れてしまいます。わざわざ早起きをしたのに、見学ばかりで何も食べられないとなったら笑い話にもなりません。
昨晩あれだけ食べたのにレンリはすっかりお腹を空かせていますし、他の皆もそこかしこから漂ってくる美味しそうな匂いに刺激され、すっかり胃袋が目を覚ましたようです。
「おや、あそこの汁麺の屋台はなかなか良さそうだね」
『我は甘いのも食べたいの!』
空腹こそが料理に対する最高のスパイス。
ならば、今まさに最高に美味しく食べる準備が出来たと言えましょう。
一行は早速近場の屋台へと突撃しました。
◆◆◆
そして数時間後。
ようやく日が完全に顔を出したあたりで今日の朝食を終えました。
「ふぅ……お腹、いっぱい……」
「ん。満足」
『とっても美味しかったの……』
麺類、パン類、米料理。
ジューシーな肉汁滴る肉料理に、昨夜食べたのよりも更に新鮮なシーフード。
デザートには新鮮な果物を幾つも購入して、そのまま丸かじり。お行儀は悪いですが、こういう状況ではちょっと下品に、豪快に食べるくらいが一番美味しいのです。他の料理にしても椅子が用意してある店は半分くらいで、残りは立ち食いが当たり前でした。
食べた物のどれもが美味しくて、なおかつ安い。
ついつい食が進みすぎるのも仕方のないことでしょう。
「私、ここに住む」
『あはは、それもいいかもしれませんね』
「レン、気持ちは分かるが落ち着け。市場の人の迷惑になるから」
レンリなど、感動のあまりに市場に住みたいとまで言い出しました。市場内の柱に蝉のようにしがみついて、それをルグが後ろから引っ張って剥がそうとしています。
「さて、それでは一度宿に戻るか。思ったより色々買ってしまったしな」
「ん。賛成」
市場で食べ歩きをしつつ見物をしていたら、興味を惹かれた食材に手が伸びるのも仕方のないことでしょう。財布の紐もついつい緩みがちになり、気付いたら肉やら野菜やらの食品を色々と購入していました。
シモン曰く、宿の食堂に持ち込めば調理してもらえるだろう、との事。高級宿だけあって泊まっている部屋には簡単なキッチンも付いていたので、自分達で料理してみるのも面白いかもしれません。
「ふぁ……お腹もいっぱいになったし、私は部屋に戻ったら一眠りしたい気分かな」
「わたし、も……ちょっと、眠い、かも」
お腹が満ちれば、眠気が再び顔を出すのも当然といえば当然。
今日は特に喫緊の予定もありません。
お昼頃まで宿で寝直して、昼寝ならぬ朝寝をのんびり楽しむのも良いでしょう。
食べて寝てばかりではだらしなく思えるかもしれませんが、気楽な観光旅行ならこうして怠惰に浸るのも悪くはないだろう、と。
一度はそんな風に意見がまとまりかけたのですが……しかし、結論から言うとそうはなりませんでした。というのも、一行が市場を後にして、そして少しばかり歩いた先で。
「おや? おやおやおや? 何やら見覚えのある顔が集まっているではありませんか。どうも皆様おはようございます。そしてご無沙汰しております。私に会えなくてさぞや寂しい日々だったことでしょう。ええ、ええ、言わずとも分かりますとも。毎度お馴染み、皆様のコスモスちゃんでございます。さあさあ、どうか私に皆様の清き一票を!」
何やら見覚えのある変質者が唐突に絡んできたのです。
◆中央市場は敷地全体が高い柵と屋根で囲われているような感じです。魔界側も同様に。
前作にもちょっとだけ登場した場所ですが、人口の増加に伴って市場の規模も増改築を繰り返しながら拡大しています。




