レンリのある意味天才的な才能
「やあ、おかえり。その様子だと随分酷い目に遭ったみたいだね?」
「た、ただいま、戻りました……うっ」
「おや? レン、淑女が玄関先なんかで寝るものじゃないよ……って聞こえてないか」
かろうじて居候先のマールス邸に辿り着いたレンリは、張り詰めていた糸が切れたように崩れ落ち、そのまま玄関先で眠ってしまいました。
「やれやれ。アルマ君、レンを客間まで運ぶから身体を拭いて着替えさせてあげてくれ。この感じだと、どうせ明日までは起きないだろうしね」
「はい、先生。お薬も取ってきますね」
「そうだ、まだ人に試してない薬草があったろう。この際、ついでに臨床試験も済ませてしまおう」
「もう先生ったら……本人に無断で人体実験だなんて姪御さんに嫌われますよ?」
◆◆◆
そして、翌日の昼過ぎ。
丸一日近くも泥のように眠ったレンリはようやく目を覚ましました。
目覚めてからもしばらくは朦朧とした状態で天井を眺めていましたが、一時間近くもするとやっと意識が現実に追い付いてきたようです。
ベッドから這い出て、手洗いを済ませると、そのままよろよろとした足取りで屋敷の一階へと向かいました。
「やあ、レン。調子はどうだい?」
ぐう。
よっぽどお腹が空いているのでしょう。
口よりも先にお腹の虫が返事をしました。
「全身筋肉痛で死にそうですね。あ、それとコレありがとうございました、叔父様」
現在のレンリはゆったりとした寝間着姿のままで、履き物も靴やブーツではなく大きめのサンダルです。目覚めた時には両足の足首から下が包帯でぐるぐる巻きにされていて、ご丁寧にベッドの脇に新品らしきサンダルが置いてあったのです。
腫れ上がった足に包帯を合わせると、普段の五割り増しくらいの足のサイズになっていたので、そのサンダルは非常にありがたい気遣いでした。
「レンが寝ている間に知り合いの治癒術師を呼んで看てもらったんだけどね、ブーツの中がすごいことになってたみたいだよ」
「ああ、なるほど。痛み止めでどうにか誤魔化してたんですけど、肉刺が山ほど破れて大変だったんですよ」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
どうも、マールスは肉刺のことを言っているのではないようです。
「爪が何枚も割れて剥がれかけてたとか、甲の骨に皹が入ってたとか、傷口が化膿しかけてて、あのままずっと放っておいたら指が腐って切り落とさなければならなくなるかもしれなかったとか……って、感じだったらしいよ?」
「………………」
どうやら、レンリが自覚していたよりもかなり危ないところだったようです。
幸い、すでに魔法による治療で骨や爪も綺麗に元通りになっており、傷跡や後遺症が残る心配はないということですが。マールスが呼んだ術師の所見によると、パンパンに腫れている足も今日明日中には元通りになるだろうとのことです。
「痛み止めに頼りすぎると肌や肉の感覚まで鈍くなるからね、本当に危ない状態でも気付きにくいんだ。使いすぎには気を付けるんだよ」
「……肝に銘じておきます」
レンリは冷や汗を流しながら首肯しました。
怪我は大体治ったとはいえ、レンリの体力はまだまだ回復していません。
体力を戻すためには充分な睡眠と、そして充分な栄養を摂る必要があります。
「すいません、おかわりをお願いします」「もう一杯、おかわりを」「おかわりください」「おかわりを」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」「おかわり」
まあ、この食べっぷりは流石にどうかと思いますが。
普通、疲れている時にいきなり味の濃い物や消化に悪い物を食べると胃腸が驚いてお腹が痛くなってしまうはずなのですが、今のレンリにその常識は当てはまらないようです。
迷宮内では珍しく食欲が落ちていたこともありましたが、あれはやはり脱水症状の影響による唾液の不足や嘔吐感が原因だったのでしょう。
「レンリさん、すごい食べっぷりですねえ……」
「いえいえ、それほどでもおかわり」
この食べっぷりには調理をしているアルマ女史も大変です。
屋敷の厨房には生鮮食品から保存食まで合わせて五日分近い食料備蓄があったのですが、この一食だけで底を尽きそうなほどでした。
「うん、まあ沢山食べられるというのも大事な才能だからね」
「先生、流石にその一言で片付けるのはどうかと思いますよ?」
強い筋肉や骨を作るには、いくら鍛錬だけしても不十分。身体を虐めた分だけ食べないと鍛錬はただの徒労で終わってしまいます。
逆に言うと運動後に栄養をきちんと摂取すれば、肉体はどんどん強くなっていきますし、怪我や疲労もすぐに引くようになるのです。
しかし、この強くなるための食事というのが意外にクセモノで、意識して大量に、しかも継続的に摂ろうとしたら並大抵の苦労ではありません。単に食費がかさむというだけでなく、単純に食べるのが辛くなってきます。
一流の戦士や競技者ともなれば当然食事にも気を遣っているものですが、鍛錬以上に食事がキツいと感じている人は決して少なくないのです。
「ふう……ご馳走様でした」
その点に関して言えば、レンリの大食いは天才的と言ってもいいかもしれません。
まだまだ未熟で経験も鍛え方も全然足りていませんが、努力次第ではその(現状無駄な)才能が活かされることもあるでしょう。多分。