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恋とは即ち酒の如し


「恋というのは……そうだな、この酒のようなものだ」


「はあ、酒ですか?」


 すっかり酔いが回ってきたシモンは、ルグの困惑をよそに、こんな例え話を始めました。



「誰かを好きになるという感覚は酒を飲んで酔っ払うようなものでな、特に理由もないのにふわふわと愉快な気分になってくるものなのだ。惚れた相手と一緒にいるだけで、いや離れた場所で思い浮かべるだけでも自然と笑みが浮かぶような感じというか」



 お酒を飲まないルグ自身の実感としては分かりにくい例えですが、友人知人が酒に酔って楽しそうにしている姿は幾度となく目にしたことがあります。


 ならば、ルカも自分のことを思ってそういう気持ちになっているのだろうか?

 そんな風に考えると、何やらくすぐったいやら気恥ずかしいやら。かといって悪い気分というわけでもなく、ルグ自身にも正体の掴めない感覚がありました。



「もっとも、酒の酔い方にも良し悪しというものがあってな」


「ああ、それは分かります。俺の村の爺さん達もよく飲みすぎて気持ち悪くなってましたし」


「うむ。何事もほどほどに抑えておくのが肝要ということだ」



 今の酔っ払い方に加え、何事につけてもオーバーワークが常になりがちなシモンが言っても二重の意味で説得力がありませんが、こうして会話が出来ている以上、少なくとも飲み方のペースに関しては多少の余裕は残しているのでしょう。酒の力を借りて普段よりも口が回りやすくなったのか、流暢に話を続けます。



「好きな相手のことを考えるのは悪いことではなかろうが、それについても度が過ぎるということがあってな。視野が狭くなりがちというか、深刻に思い詰めやすくなったり」


「そんなものですか?」


「そんなものなのだ。昔の俺にもそういう部分はあったし、周りの連中も、まあ大なり小なり似たようなものだ」



 昔の彼自身もそうですし、周囲の人々もまた同様。シモンの想い人など特に顕著でしたが、勝手に思い込み、思い詰めすぎて、自分から墓穴を掘るようなことも幾度あったか知れません。


 ルグ自身はそうと認識していませんでしたが、彼が大怪我をした後の一時期、ルカが物陰に隠れながらストーキングを繰り返していたのも、好意が行き過ぎて視野狭窄に陥っていたのが一因でしょう。



「へえ? 少し意外です」


「意外、とな?」


「ええ、てっきりシモンさんは昔っから落ち着いていて、人付き合いとかもなんでも器用にこなせるタイプだったのかと」



 ルグの抱いている印象だと、シモンはなんでも完璧にこなせる生まれながらのエリート。それも単に王族だから特別なのだというわけではなく、人一倍の研鑽を積んで身に付けた実力あってこそ。そんな彼なのだから、きっと幼い頃からストイックに修練に励む落ち着いた性格だったのだろう、みたいになんとなく思い込んでいたのですが、



「はっはっは! いやいや、それは俺を買いかぶりすぎというものだ」



 ルグの思い込みは本人にあっさり否定されました。



「まあ俺の場合、家が家だから小さいうちから高度な教育を受けられた幸運はあったが、性根はそこらにいる普通の子供と変わらぬよ」


「へえ、そんなものですか?」


「うむ、そんなものなのだ。それに前に話したと思うが、俺は国元を離れて迷宮都市に留学していた期間が長かったからな。護衛を兼ねた世話役はずっと近くにいたのだが、その者も話が分かる男でな。城に住んでいては到底叶わんが、おかげで市井の年の近い子らとも親しく遊んでいたものだ」



 当時の思い出を懐かしみながらもシモンは酒杯を重ねます。


 単に学問を学ぶだけならば、わざわざ留学するまでもありません。

 その気になれば王城に居ながらにして最高の教師や学者を呼びつけ、一流の教育を受けられる身分でしたが、それでもあえて迷宮都市への滞在を望んだのは伝聞や書物では得られない経験を求めたがゆえ。

 当時は魔界との本格的な交流が始まったばかり。物珍しい文化や文物が日々行き交う迷宮都市には世界中から大勢の人々が集まり、それはそれは刺激的な毎日でした。


 もっとも、少なくとも留学の初期段階ではそれ以外の私的な目的が本命で、見聞を広めるための留学というのは、どちらかというと後付けの理由だったのですが。

 


「……それで、だ。実はその本命の理由というのがな、かの街に一目惚れした女がいるからだったのだ。いやはや、昔の俺も大胆な真似をしたものだ」


「それは……なんというか、凄い行動力ですね」


「だろう? まあ、そこまでしても結局は振られたわけだが」



 今より十年以上も前、当時まだ六歳ほどだったシモン少年は、子供ながらに本気で人を好きになり、そして見事に玉砕しました。



「そもそも、こっちが惚れた時点で、その女は別の男にすっかり惚れ込んでいてな。こっちが子供だった点を差し引いても最初から勝ち目はなかっただろうさ」



 内容を聞く限りでは決して愉快な内容ではないはずの失恋談ですが、語るシモンの声音に陰はありません。お酒の助けも多少はありますが、彼にとってその恋は完全に終わった話として受け入れられているのでしょう。

 


「で、途中は省くが、その女は好きな男と一緒になって今も幸せに暮らしておるよ。まあ、細かい家庭の事情は特殊で色々とややこしいのだが……俺は、それがとても嬉しい」



 恋は終わった。今ではもう当時の想い人と顔を合わせても昔のように幸せな酩酊感は味わえないけれど、それとは別に好きだった相手が幸せになったという事実が嬉しい。

 恋は終わっても愛は無くならない。

 たとえ実らずとも、好きになったことに後悔はない。

 シモンにとっては、それが終わった恋への向き合い方なのでしょう。






「……と、すまん。年上として参考になる話でも出来ればと思ったのだが、俺の時と今のお前達とでは状況がだいぶ違うだろう? せっかく誘っておいてなんだが、あまり役には立たんかもなぁ」



 長々と話をした後で今更ですが、今夜のシモンの話がルグの抱える問題の解決に役立つかといえば、それは不明です。

 そもそも、人間関係というのは千差万別。

 ある程度似た状況なら類似点からヒントを探ることもできましょうが、シモンの体験談とルグの置かれた現状とでは、似ている要素などほとんど見当たりません。

 シモンとしてはもっと気の利いた話をしたかったようですが、アルコールで口が回りやすくなった代わりに、頭の働きはどうしても鈍ってしまいます。話しながらも飲み食いの手は止めていなかったので、もう顔はすっかり赤くなっています。



「ああ、いや、参考になりました。多分」


「そうか? なら良いのだが」



 ですが、ずっと素面のまま聞き手に徹していたルグは、何やら深く考え込んでいます。今の話から何か得るものがあった……かどうかは、話をした当人であるシモンにも分かりませんでしたが、



「すいません。ちょっと、一杯だけ貰ってもいいですか?」


「む、酒か? ああ、別に構わんが」



 お酒を飲むと背が伸びにくくなるという理由で、普段は全くアルコールを口にしないルグですが、大変珍しいことにテーブル上の酒瓶に手を伸ばしました。恋とは酒のようなものだという先程の例え話を聞いて、酔った時の酩酊感を確認しようとでも思ったのでしょうか。

 彼の外見は実年齢より幼く見えますが、年齢的には飲酒をしても問題ありません。

 シモンとしても特に止める理由はありませんでしたし、大して度数が強いわけでもない果実酒です。ボトルを丸々一本飲み干すならともかく、グラスに一杯くらいであれば飲み慣れていなくとも体調を悪くしたりはしないだろう。ルグ自身もそう思って一息にグイッと飲み干したのですが、



「ぅ……まずっ」



 それが失敗でした。飲んで三分もしないうちにルグは見る見る顔を赤くし、それから次の三分で今度は顔を青くしています。



「ん? おい、ルグよ。大丈夫か?」


「気持ち悪い……頭がぐらぐらする……」


「飲み慣れていないとは言っていたが、こんなに弱かったのか?」


「うっぷ……」


「おい、ここで吐くな。もうちょっと我慢しろ! 店主よ、すまぬが勘定を頼む!」



 飲酒に慣れていない人がたまに飲むと、自分の限界を把握していないがゆえに飲み過ぎてしまうということはままありますが、ルグのアルコールへの弱さは本人の想定以上(想定以下?)だったようです。シモンもかなり酔いが回っていましたが、慌てて勘定を済ませて店外へと連れ出しました。



「うぇ、気持ち悪……」


「大丈夫……ではなさそうだな」



 先程の居酒屋には手洗いがなかったので、すぐ近くの公衆便所まで連れていき、そこで胃の中のモノを吐かせたら多少は楽になったようです。

 しかし、流石にこの状態で一人で帰すわけにはいきません。


「ううむ、仕方ない。今夜は俺のところに泊まっていけ。その状態でルカ嬢と顔を合わせるのは気まずいかもしれんが……まあ、そこは諦めてくれ」


「…………はい」


お酒の弱さに関しては作者も似たような感じだったりします。

ビール一杯で顔が赤くなり、二杯目で青くなり、三杯目には白くなる……らしいです。その段階までいくと自分ではロクに覚えていないのですが、見ていた人によるとそんな感じだそうで。

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