学都の新ブーム
さて、レンリ達が学都に戻ってから早数日が過ぎました。
帰ってきて早々、またすぐに来週からの迷宮都市行きを控えているという予定が詰まっている状況ではありますが、実際にはさほど忙しないわけでもありません。腰を据えて何かするには短すぎ、かといって出発まで何もせずにダラダラ過ごすには長めという中途半端なスケジュール。
旅行の準備そのものは、さして手間のかかるものでもありません。
前回の旅行の荷を解いて、衣類の洗濯くらいは必要ですが、基本的にはほとんどそのまま詰め直せばそれで完了。もし忘れ物があっても、迷宮都市くらいの大都会なら現地調達も容易いでしょう。
しかし、時間を持て余しているからといっても、迷宮に入るにはやや短め。
少なくとも退屈はしないでしょうが、魔物のいる場所では想定外の事態が起こる可能性も否定できません。現在のルグとルカの関係性を考慮すると、ふとした弾みで集中力を欠いて連携に不備が生じる可能性もあります。
それに以前ルグの怪我が治った後もそうでしたが、ブランクがある状態から迷宮向きのコンディションに心身を調整するには、それはそれで時間がかかります。迷宮探索も一種の旅のようなものかもしれませんが、行楽を主体とした安全な旅行と一緒くたにはできません。
「ヒマだー」
『ヒマなのよー』
そんなワケで時間を持て余していたレンリと、同じ部屋で暮らしているウルは、真っ昼間から部屋でゴロゴロと怠惰を貪っておりました。
ちなみに旅行中に学都に居残ってペットの世話をしていたもう一人のウルは、いつの間にかいなくなっていました。どうやら迷宮に帰ったようです。
もしかしたらいなくなったのは一緒に旅行に行っていたほうなのかもしれませんが、なにしろ見た目も中身も完全に同一の存在なので、すぐ近くで毎日見ているレンリにも見分けはつきません。当のウル達自身も、どっちがどっちでも構わないとアバウトに考えているのだとか。
「買ってきた本も全部読んじゃったしなぁ」
『ドラ次郎もお昼寝中なの』
もはや、暇潰しの種も完全に尽きてしまいました。
本格的に金属素材の研究や新しい剣の試作をするとなると時間が中途半端で、レンリとしてはイマイチ気分が乗りません。
ウルも普段なら近所の子供と遊んだりするのですが、今日はそういう気分ではないようです。ならば自分の迷宮に戻って本来の職務に従事するという手もなくはないのですが、それも他の『ウル(※動物型)』が滞りなく遂行していますし、そもそも勤勉に働くだけの気力があればこんな風にだらけていません。
特にこれといった理由がないのに何故か一切やる気が起きない日というのは誰にでも例外なく……というほどではないにせよ、世の中のそれなりの割合の人にはあるものですが、彼女達の場合はちょうど今日がそんな日でした。
「でも、買い置きも残ってないから、このままじゃ今日はオヤツ抜きなんだよね」
『そ、それは困るの!? オヤツを食べないと心が痩せちゃうのよ?』
家主のマールス氏と、その弟子兼家政婦のアルマ女史は外出中で夕方まで戻ってきません。植物魔法の研究者である彼らは、地域の農業や土地開拓のアドバイザーとして役所絡みの仕事を請け負っているのだとか。
レンリ達の昼食として出かける前にサンドイッチを作り置いてくれましたが、それらは午前中のうちに胃袋に消えています。
「オヤツ抜き……ああ、なんという残酷な運命なんだ! 天は我らを見放したのか!」
『ううん、諦めちゃダメよ! 心を強く持てばどんな運命も覆せるの!』
「……じゃあ、面倒だけど出かけようか。何か食べがてら適当にそこらをブラつく感じで」
『了解よ。ところで、乗っておいてなんだけど今のノリってなんだったのかしら?』
「さあ?」
途中の無駄に大仰で芝居がかった台詞はともかく、かろうじて二人の食い意地が怠け心を上回ったようです。
別にオヤツ抜きでも死にはしませんし、ウルに至っては本当に何も食べなくとも餓死することはないのですが、それはそれ。なけなしの気力を振り絞るようにして、二人はコートを着込んで街へと出ることにしました。
「おや?」
『どうしたの?』
マールス邸のある東街から商業区の中央通りへ、そこから街の中心である聖杖前広場へと向かう途中で、レンリ達はなにやら見慣れない光景を目にしました。
この冒険者ギルドのある辺りは普段から頻繁に通りかかるのですが、付近の料理店や酒場の前の道端に、何故だか頑丈そうなテーブルが置かれています。それも一軒だけでなく、パッと目に付いただけでも五軒以上は。恐らくは他にも。
「食事用のテーブルじゃないのかな?」
しかし、温かい時期ならともかく、こんな真冬に外での飲食など正気の沙汰ではありません。現に秋頃までは店外のテラス席にもお客を入れていた喫茶店も、今は窓を締め切ってストーブをガンガン焚いています。
その答えはすぐに分かりました。
ギルドのある広場付近には、体格の大きな冒険者たちが四六時中いるのですが、
「あっ、姐さんが迷宮から出てきたぞ!」
「挑戦を受けてくれ、チャンピオン!」
「待て待て、ライムさんもお忙しい身だ」
「チャンプへの挑戦権があるのはランキング一桁の奴だけだよ!」
筋肉モリモリの屈強な男女が、自宅のある迷宮から出てきたライムも見つけると、次から次へと勝負を挑み始めました。ただし、腕相撲の。
昨年末のとある余興で腕相撲大会が開かれたことがありましたが、あのイベントの余波とでも言いましょうか。
その大会を制したライムや、余興の仕切りをしていたレンリ達が学都を離れている間もその熱は消えずに残り続け、それどころか段々と勢いを増し、今やちょっとしたブームになっていたのです。誰が始めたのか、腕相撲のランキング制度なんてものが作られるくらいに。
近隣の飲食店の店頭に置いてあるテーブルも、飲食のためではなく腕相撲用。
直接的にお金を賭けると官憲に睨まれる危険もありますが、ちょっとした酒や料理の払いを賭けるくらいなら何も問題はありません。なにしろ非番の騎士や兵士まで時折参加しているくらいです。
そうした勝負で場が盛り上がれば自然と注文も増えますし、店側の客寄せにもなります。なおかつ、外でやらせれば店の器物が壊される心配もありません。
「ぎゃっ」「うおっ」「ぐえ」「むぎゅっ」
「もう行っていい?」
レンリ達がなんとなしに眺めている前でライムは挑んできた数人を――件のランキングで上位に入る猛者達のはずですが――軽く捻ってさっさと立ち去っていきました。手には買い物袋を提げていますし、街に出てきた本来の用事を済ませに向かったようです。
首都の格闘大会ではガルドに不覚を取り、他の参加者達相手にも苦戦をしましたが、あの大会に参加していたイロモノ達はあれでも大陸中から集まった超一流の達人ばかり。学都の冒険者の水準も決して低くはないのですが、超の付かない一流程度ならまあこんなものでしょうか。
「ふぅん? 世の中、何が流行るのかっていうのはよく分からないものだね」
『我にはあんまり関係なさそうなの』
謎が解けてすっきりしましたが、レンリ達にはあまり縁がなさそうな流行です。
ある意味ではブームの仕掛け人みたいなものですが、偶の余興として見物するなら楽しめても、そんなにしょっちゅう見たいものではありませんし、ましてや参加したいとは思いません。
興味を失った二人は本来の目的であるオヤツ探しに戻ろうとしたのですが、
「いたぞ! ランキング一位のルカさんだ!」
「え……? あ、あの……?」
「ぬぅ、抑えてはいるが何と強大な魔力よ!」
「さあ、勝負だ勝負!」
「えと……わたし、お買い物の……途中、なので……」
「やあやあ、我こそは『鉄腕』のコーザ。いざ尋常に勝負!」
「ひゃっ……もう、負けでいいです、から……えっと」
どうやらその前に一仕事。
人の話を聞かないマッチョ達からルカを助ける必要がありそうです。
◆旅行から戻ってまたすぐに次の旅行というのも忙しないので、今回とあと何回かはインターバル的な日常回を。……日常とは一体?




