真夜中の女子会
複雑怪奇なる人間模様とは裏腹に、旅の道行きは順調そのもの。
午前中にA国王都を出発した列車は日が暮れて夜になっても変わらず進み、乗客に快適な旅路を提供していました。
「う……ん……?」
「やあ、ルカ君。起きたみたいだね」
流石は一等客車のベッドの寝心地。
あれだけの事があった後では易々と眠れないかと思いきや、半ば強引に寝かしつけられたルカは昼過ぎあたりからずっと眠り続け、そしてようやく目を覚ましました。精神的な消耗が激しかった上に、もしかしたら鼻血のせいで貧血気味になっていたのかもしれません。
「調子はどうだい?」
「あ……うん、平気」
人間、長く寝過ぎた後というのは、目覚めてからしばらくは調子が出ないものです。
ルカもその例に漏れず、目は開いているけれど夢と現との間を彷徨っているような心地。レンリの呼びかけにも反射的に反応はしていますが、まだまだ頭が正常に働いていませんでした。
「お腹は減ってないかい? 食堂車でサンドイッチとか軽く摘める物を包んでもらったから」
「あ……ありが、とう。もう、そんな……時間?」
ルカは今朝方にレンリの実家で朝食を食べ、列車に乗り込んでからも多少お菓子を摘んではいましたが、ずっと眠っていたせいで昼食も夕食も食べ損なってしまいました。起きたばかりで最初は気付いていませんでしたが、ルカも次第に空腹を自覚してきたようです。
本当なら出来立ての温かい食事を楽しみたいところではありますが、残念ながらもう夜も遅く、食堂車の営業時間は既に終わってしまっています。
ルカ以外の皆は、昼食時は部屋で食べることになったゴゴも含め、先程きちんと食堂車で食べてきたのですが、それとは別に食べ損なってしまったルカの為にサンドイッチや冷めても美味しく食べられるサイドメニューを持ち帰り用に包んでもらっていました。
乗り物酔いで部屋から出られなかったり、体調不良でなくとも夜食が欲しいとかの理由で、テイクアウトの注文が来ることは珍しくないのだとか。
明らかにルカ一人で食べるには多すぎる量なのはご愛嬌。しっかりと夕食を食べた後ですが、レンリの食欲はその程度では衰えてくれません。ベッドから這い出してきたルカもソファに移り、二人で食べ始めました。
夜食のメニューは、薄切りのビフテキを挟んだステーキサンドに大量のフライドポテトとオニオンリング。紙容器のトマトケチャップとマスタードソースも付属しています。
作られてから時間が経っているので冷めてしまっていましたが、それでもしっかり美味しいのは流石、味自慢で知られる大陸横断鉄道の食堂車と言うべきでしょう。
『あ、ずるい! 先に食べ始めてるの!』
『我々もご一緒させていただきますね』
「ど、どうぞ……」
食べ始めて間もなく、客室のドアが開いてウルとゴゴもやって来ました。そして当然の権利のように夜食に手を伸ばしました。往路と同じく一等客車の個室を二部屋取ってあるので、彼女達は今まで隣の部屋にいたのでしょう。
ルカ以外は先に夕食をしっかりと、一人当たり三人前以上も食べていたのですが(「一人前」という言葉がなんとも虚しく思えます)、実に見事な食欲。建前上はルカの為に用意した物であるはずなのに遠慮は皆無。レンリの実家に滞在している間は、毎日大量のご馳走がこれでもかと出されていたので、大食い癖が付いてしまったのかもしれません。
そして、まだ食事の途中ではありますが。
「あの……みんな」
栄養を摂ったおかげか、ルカの頭も本格的に回り始めたようです。
ここまで彼女に気を遣ってか、誰もその話題については触れていませんでしたが、
「夢じゃ……ないん、だよね?」
◆◆◆
「ははは、あれくらいよくある失敗さ。気にしない、気にしない」
『うんうん、前向きに切り替えていくの!』
「うぅ……気にするよぅ」
レンリとウルは如何にも気軽に、まるで大したことではないかのように思わせようとしましたが、これは当然のように失敗。ルカは、昼頃に鼻血を出した時ほどではありませんが、またもや恥ずかしさで顔を赤くしています。
まあ、無理もありません。
事は愛の告白という人生を左右する一大イベント。
にも関わらず、心の準備などあるはずもなく、それらしいムーディーな雰囲気も無し。単なる事故的な偶然でそんな機会が降って湧いてきてしまったのです。まともな神経を有していれば、ルカならずとも困惑は避けられないでしょう。
「そ、それで……ええと」
ルカが一番聞きたいのは、気持ちを知ったルグがどう反応していたのか。
「ああ、うん。彼からの伝言だけど『真剣に考えてから返事をしたいから、しばらく待っていて欲しい』だってさ」
「そ、そう……よかった」
とりあえず、眠っていた間に振られていたという最悪の事態を回避できたことに、ルカはホッと安堵の息を吐きました。まだ良い返事を貰えたわけではないけれど、自己評価の低いルカにとっては、少なくとも検討に値するくらいには好感を持ってもらっているらしいというだけで嬉しくなってしまいます。
「それで、ルー君には今日は一人で隣の部屋を使ってもらうことにしたから。いや、ルカ君が構わないというなら今から移ってもらってもいいんだけど、流石に今のコンディションで同室はキツイだろう?」
「うん、それは、その……はい」
往路の列車ではルカとルグは同室の隣のベッドで寝ていたわけですが、よくよく考えると、よくもあれだけ大胆な真似ができたものです。
しかし、その時の状況はルグが全く何にも気付いていなかったからこそ。
恋心を知り、そして知られた現状では、とてもとても同じことはできません。ベッドに横になっても、緊張して一晩中寝られなくなるのは目に見えています。
五人での旅路にも関わらず、一人で一部屋を使うことになったルグは居心地悪そうにしていましたが、まあそれに関しては仕方がありません。
単純にスペースだけの問題ならば、レンリか、もしくは幼女二名が彼と同室になるという手もありましたが、彼女達としてもルカ(と夜食)が気になっていたのです。それにルグが考え事に集中できるよう一人になる時間を設けるのは悪い判断ではないでしょう。
『つまり女子会ね!』
『我と姉さんは寝なくても大丈夫ですし、ルカさんもあれだけ寝たらしばらく寝付けないでしょう? 夜更かししてお喋りするのって、なんだかワクワクしますねぇ』
「私も徹夜慣れしてるから一晩くらいは問題ないし、折角の機会だ。ルカ君のために知恵を出し合って、じっくり対策を練ろうじゃあないか」
「あ、あり……がとう?」
結局、やることは気持ちがバレるより前とあまり変わっていないのかもしれません。面白がっている様子を隠そうともしていないのはさておき、レンリ達の協力しようという姿勢は全くブレていません。
ステーキサンドの残りも少なくなってきたので、レンリのカバンからお菓子を取り出してテーブルに広げ、完全に腰を据えて話し込む態勢になっています。
「まずルカ君に言っておきたいんだけど、今のこの状況はキミにとって決して悪いものじゃない。予想外だったのは否定できないけど、むしろ好機と捉えるべきだ」
「悪く、ない……?」
「ああ、そうだとも。だって――」
――だって、いつ訪れるとも知れない告白のタイミングを大幅に前倒しできたのだと、そういう風に言えなくもありません。
ルカの性格上、もしも真っ当に愛の告白をしようと思ったら、心の準備が整うまでどれだけの時間がかかるか分かったものではありません。何年か、何十年か。少なくとも短くはないでしょう。
ルグだって物言わぬ木石というわけではないのです。
その間、ずっと他の異性に興味を持たず近くに居続けてくれる保障なんてありませんし、ルカ以外の誰かが彼に好意を抱かないとも限りません。年齢に比して幼い容姿なのは否めませんが、彼の顔立ちは悪くありませんし、性格も良好。悪くないどころか、将来有望な「優良物件」とすら言えるかもしれません。
恋愛というのは基本的に早い者勝ちが原則です。
ルカが何も出来ないでいる間に、どこか横合いから現れたぽっと出の女性が獲物を掻っ攫っていくという予想は、
「う……す、すごく……ありそう」
残念ながら、ルカにはとてもリアリティを伴って想像できてしまいました。
なにしろ自分自身の気弱さ、押しの弱さはうんざりするほど熟知しています。もしも恋のライバルなんて存在が出てきたら、とても競り勝てる気がしません。
「だろう? だから、今の状態は悪くないんだって」
「うん……言われて、みれば……そんな、気も」
ルカも現状が悪いばかりではない、最悪ではないということを理解し、幾らか余裕も出てきたようです。ルグからの返事を聞くまで安心できないのは同じでも、刑の執行を待つ死刑囚のような気分でいるよりは、多少なりとも落ち着ける材料を増やしながらのほうがマシでしょう。
レンリが意図的に、ポジティブな方向に思考を誘導した結果ですが(あえて一度不安を与え、その後で安心材料を提示するというのは詐欺やカルト宗教でも用いられるオーソドックスな話術です)、別にウソは吐いていません。こういう時、心根が素直なルカは実に騙しやすくて助かります。
『ねえねえ、あの話はしなくていいの?』
「あの話? ああ、アレか」
そして女子会の話題は次に移ります。
レンリは果たしてルカに伝えるべきかと少々迷いましたが、
『いいんじゃないですか。この場合、ルカさんがそれで不利になることはないんですし』
「……まあ、それもそうか。相手が相手だしね」
ゴゴの勧めもあって、伝えておくことに決めました。
それに、どうせ遠からず知ることになる話です。
「ええと……なんの、話なの?」
「ああ、ええと、どう言ったものかな。いや、気楽に聞き流してくれていいんだけど」
「だけ……ど?」
「つまり、アレだ。ルー君に好きな人がいるかもしれないって話」
……が、それはそれとして、この話題を気楽に聞き流せというのは、いくらなんでも無茶だったかもしれません。




