それぞれの冬休み
王都を出立してから丸二日後。
ルグは大きな街をいくつか経由して、故郷の村の最寄の町にまで到着しました。
ここまで来るのに予定よりも少し長くかかってしまいましたが、街道の一部が雪で埋まっていたのだから仕方ありません。
ここから村までは残り10kmそこそこ。
朝晩に馬車の定期便はありますが、このくらいの距離なら待つよりも徒歩のほうが早そうです。旅の荷物はありますが、ルグの足なら走っても一時間かかりません。
村で作っている農作物や肉類を出荷するために日頃から重い荷車が行き来しており、平らに踏み固められた地面は意外に走りやすいのです。幸い、この近隣は雪もほとんど積もっていません。
彼はここまでの遅れを取り戻すかのように人気のない道を走っていたのですが、
「あれ、村長さん?」
「おお、ルー坊か」
道の反対側から馬に乗った人物が向かってきました。
薄くなった頭に白い髭の老人。ルグの村の村長です。
しかし、その様子はどうも尋常ではありません。普段は年齢相応の落ち着きと威厳がある人物なのですが、何故だか今はひどく慌てている様子でした。
「いやはや、お前さんも大変な時に帰ってきたなあ」
「大変って何かあったんですか?」
「ああ、そうだった! こうしちゃおれん。ヤツデの奴が出たんじゃよ」
村長が口に出した名前は、この周辺地域で恐れられている魔物。
八手の名前通りに四本ずつある太い前脚後脚と見上げるほどの巨体で、ヒグマや大猪、他の魔物すら捕食するという怪物です。
狩人が矢を射掛けようが斧を叩きつけようが、その剛毛に阻まれて傷一つ負わない耐久性ゆえ、高価な魔法の武器でもなければ倒すことは不可能とされています。
とはいえ、本来は山林の奥深くに生息していて人里に姿を見せることは稀なのですが、
「八手熊? でも、この時期は眠ってるんじゃ?」
「それがどうも今年は冬眠に失敗したらしい。そのせいか気が立っておるでな。餌を求めて山を下りてきたようじゃ」
普通の熊でも時折あることなのですが、秋の間に食い溜めができなかった動物は冬眠に入ることができず、本来はおとなしくしているはずの冬季に動き回る場合があるのです。しかし、雪に覆われた冬山にはロクな食べ物などありませんし、他の多くの動物も巣穴に姿を隠しています。
そうして必要量の餌を得られなかった個体が、食べ物を求めて人里にまでやってくる場合があるのですが、こうした個体は空腹で気が立っているために非常に凶暴であることが多いのです。
「最近、放牧に出してた牛や羊が行方不明になることが続いてたんじゃが、きっとアイツに攫われとったんだろう。とりあえず村の連中にはわしが戻るまで家にいるよう言っておいたが……」
これまでは人前に姿を現さなかったヤツデが目撃されたということは、向こうもいよいよ形振り構わなくなってきたということ。被害が家畜で済んでいる間は取り返しもつきますが、このままでは人的被害が出るのも時間の問題でしょう。人間の家屋など、恐るべきヤツデにとっては腕の一振りで簡単に壊せる程度でしかないのです。
「それで、わしが町まで行って冒険者を呼んでこようとしとったんじゃ。とはいえ、この辺の町にアレを倒せるような冒険者がいるかどうか……お前さんの師匠殿がいてくれれば良かったんじゃが」
ルグの師匠は高名な冒険者で、熊どころか並の竜くらいなら素手で絞め殺してしまうような常識外れの達人。化け物熊くらいは簡単に退治してくれたことでしょう。
しかし、現在いないものは仕方がありません。元々、世界各地を不定期に渡り歩いているような人物なので、こちらから連絡を取る手段はないのです。
「いいか、ルー坊。村に着いたらお前も家に閉じ篭っているんだぞ」
立ち話に時間を取られてしまいましたが、こうしている間にも村人が襲われているかもしれないのです。村長はルグに注意をすると、返事も聞かずに最寄の町へ向けて馬を走らせていきました。
「……急がないと」
村までの距離はもうあと僅か。
ルグは焦りの感情を押し殺して、身体強化の魔法を今の彼に出来る最高の出力で発動させると、先程までの三倍以上にもなる速さで生まれ育った村へと急ぐのでした。
◆◆◆
一方、その頃。
A国王都にあるレンリの家にて。
「しょ、招待……状?」
「うん、私とキミ達に」
ルカは、レンリの友人だという貴族令嬢から送られたというお茶会の招待状を見せられ、大いに困惑していました。レンリ一人が呼ばれるならともかく、もちろんルカやウルやゴゴとその令嬢に面識はありません。どうして呼ばれたのか理由が全くわからないのです。
ようやくこの屋敷での滞在に慣れてきて、就寝中も雑貨店で購入した耳栓を着けるというシンプルな手段で安眠できるようになったのですが、今回はこれまでのようなこの屋敷内での問題とはどうにも毛色が違います。
他の貴族のことはよく知らないルカですが、この家が特別におかしいということは流石にもう理解できています。慣れてくれば気を遣わなくて済む気楽な部分もあることも分かってきましたが、他の貴族家にお邪魔するとなれば同じようにはいかないでしょう。
『せっかくだからオシャレして行くの!』
『姉さん、張り切っていますね』
この状況に何も疑問を抱いていないウルや、元々見た目の幼さに似合わない落ち着きがあるゴゴは特になんとも思っていない様子。
ウルなど、早速本体の迷宮内に蓄積された記録から衣服のレパートリーを引っ張ってきて、あれこれとお出掛け用の服を選んでいます。彼女達にとっては衣服も身体の一部であり自在に形を変えられるので、一度でも見たことのある服装は選び放題。学都の迷宮とは数百kmも離れているのですが、能力の使用に支障はないようです。
しかし、このお誘いはルカにとっては大問題。
以前に比べると多少改善したような気がしなくもないのですが、重度の人見知りは相変わらず。気心の知れた友人や身内以外の人間と話すのは、彼女にとっては大変な気苦労と消耗を強いられる試練なのです。それと比べれば、先日の腕相撲のほうがまだ気楽なくらいでしょう。
ましてや、明らかに住む世界が違いそうな貴族令嬢が相手など、どんな話題が出るものかさっぱりわかりません。
「なに、そんな気取った集まりでもないし、今回来る子たちは皆良い子だから安心したまえ。それに、こっちの友達にキミ達を紹介する良い機会だしね」
レンリはそんな風に言っていますが、緊張してしまうのは性分なので仕方がありません。ですが、レンリが「良い子」だと保障するなら、見知らぬお嬢様たちに寄って集って苛められるようなことだけはなさそうです。その点だけは少し安心できました……が。
「そ、それで……その、お茶会って、いつ?」
「ええと、招待状の裏面に……ふむふむ。今日、これからだってさ」
どうやら、心の準備をするだけの時間はなさそうです。
◆◆◆
一方、その頃。
G国首都にある王宮内にて。
「武術大会、ですか?」
年始の行事に出席するべく帰省していたシモンは、会議室で式典の打ち合わせを終えた後で、国王である長兄に呼び止められていました。そこで出てきたのが「武術大会」という聞き慣れない言葉です。
「うむ。これまでも騎士団内の身内で似たような催しはやっていたであろう」
「ええ、それとは違うのですか?」
そういった武術試合のようなイベントは、これまでも騎士団の恒例行事として毎年年末に開かれていました。その試合であればシモンも勿論知っています。
というか、シモンが国で一番の騎士としてあちこちから賞賛を受けているのは、ハンサムな彼がご婦人方に人気があるというだけでなく、十二歳の時の初出場以降、毎年連続優勝しているからという理由が少なくないのです。
流石に最初の出場時は僅差での辛勝でしたが、シモンはそれ以降も年々腕を上げ、次第に圧勝に近い形で優勝するようになってきました。今年の試合に出場の声がかからなかったのは休職中だからなのだろう……と本人は勝手に納得していたのですが、実際には違う理由だったようです。
「近衛の連中も、お前に勝ち逃げをされたままではおれんと張り切っておったからな。不戦敗などとつまらん真似はさせぬよ。それで話を戻すが、あの試合はなかなか人気があってな」
去年までの恒例行事は「試合」とは言うものの、実際のイメージとしては「喧嘩祭り」とでも呼ぶべき激しいイベントでした。首都の近衛騎士団をはじめ、普段は国内各地を守る東西南北の軍と、数年前に新設された学都方面軍から選りすぐりの強者が何百人も集められ、バトルロイヤル形式で競うのです。
流石に刃物の使用と目突き、金的は禁止ですが、それ以外は殺さなければ何をやっても自由。腕利きの治癒術師や貴重な魔法薬を大量に用意してあるので、死にさえしなければなんとかなります。消費期限の迫った古い魔法薬の在庫処分も兼ねているので、どうせここで使われなければ遠からず廃棄されるだけ。遠慮は一切無用です。
この時ばかりは厳しい縦社会も関係ありません。
むしろ合法的に上官に復讐できる機会だと、国中の騎士団から志望者が続出するほど。出場者同士であれば、入隊したての新兵が将軍をぶん殴ることだって許されるのです。
そして、そんな過激なイベントは騎士団の部外者からも人気がありました。
本人には戦う力がなくとも観戦は好きだという武術ファンは案外多くいるのです。
首都近郊の貴族や王宮に勤める役人や使用人などにも、この試合を楽しみにしている者は少なくありません。王宮勤務の友人知人の伝手を頼って見学席を確保していた民間人も合わせると、観客だけでも結構な人数になっていました。
「見学希望者も年々増えていたからな。いっそ賞金でも出して、一般からも参加者と観客を広く募って大々的にやろうというわけだ。盛り上げるために名の知れた武芸者を集めたりもしてな」
「なるほど、それは大変興味深い催しですね」
シモンとしても、そういうイベントは嫌いではありません。
騎士団以外からも出場者を募るというのであれば、まだ見ぬ強豪・達人が出てくる可能性もあります。勝ち負けはさておいて、その貴重な経験から得られるものは多くあるでしょう。
「それで、陛下。その大会はいつ頃に?」
年始の行事を終えて少ししたら学都に戻り、その後は友人達と迷宮都市に旅行に行く約束があります。日程次第では予定を動かさねばならないかもしれません。
「ああ、この後すぐだ。もう他の出場者は集まっておるぞ」
……幸い、スケジュールの変更はしなくても済みそうですが。
「あの、兄上……陛下?」
「ははは、皆で協力してお前には秘密にしておいたのだ。前回優勝者に簡単に勝たれても面白くないからな。そのせいで学都にだけは宣伝ができなかったが、まあ仕方あるまい」
今になって思い返してみれば、不自然な点は多々ありました。
学都にまで迎えの馬車が来たのはともかくとして、首都に到着するや否や日差しが強いからとカーテンを締め切られ、そのまま窓から外が見えない状態で王宮に直行。それから先も、つい先程まで打ち合わせや会議続きで、世間の話題に触れる機会が全くありませんでした。
その忙しさときたら、ここ数日は新聞を読む暇すらなかったほどです。あれらは全て、シモンに武術大会のことを気付かせないための仕込みだったのでしょう。
「ああ、そうそう。学都に宣伝は出来なかったと言ったが」
「シモン、来た」
「な……っ!?」
国王が言うと同時に、会議室の扉の外からシモンのよく知るエルフの少女が姿を見せました。宣伝はしていなくとも、直接手紙か何かの手段でライムに連絡を取っていたのでしょう。シモンやライムの師匠や、その一家に関連する事情について国王は先代から引き継いでいるのです。こっそり連絡を取って呼び寄せるくらいは造作もありません。
「たのしみ」
ライムは先日の壮絶な腕相撲で重傷を負っていたのですが、すっかり治っています。シモンが首都に向けて出立した時点では、いつも通りに学都で過ごすと言っていたのですが、あれも彼を驚かせるための仕込みだったのでしょう。
彼女の足なら、馬車より速く走って先回りするくらいは大して難しくもないはずです。もうウォーミングアップも完璧に済ませ、数多の強敵との戦いに心を躍らせていました。
「ははは、どうだシモン。驚いたであろう?」
「……ええ、とても」
それから、約一時間後。シモンにとっては心身のコンディションを整える余裕もないままに、恐らくはG国始まって以来、史上最大規模の武術大会が幕を開けました。




