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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
五章『奇々怪々怪奇紀行』
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夜の運動会


 時は少し遡ります。


 レンリ達の女子部屋からルグとの二人部屋に移ったルカは、緊張はありながらもどうにか隠し、寝間着に着替えました。この旅行の為に新調した冬用の品で、暖かくて着心地がよく、デザインも可愛らしいのでルカも気に入っています。



「もう……いいよ」


「ああ。じゃ、入るぞ」



 ルカが着替えている間、ルグは部屋の外に出ていました。

 迷宮内では、眠る際にわざわざ寝間着を着たりなどはしませんが、それでもシャツや下着を替えることは頻繁にあります。着替え中というのはどうしても無防備になるので、そこはある程度割り切らねばなりません。

 ルカとしては、そういった時のように視線を逸らしていてくれるだけでも良かったのですが、やはり迷宮とこういった客室とでは良くも悪くも気分が違ってくるもの。ましてや、同世代の異性と一緒となれば迷宮と一緒くたに考えることはできません。

 鞄から寝間着を取り出したはいいものの、そのまま恥ずかしそうにもじもじとしていたルカを見て察するものがあったのか、ルグは自発的に退室しました。一部の分野については経験不足ゆえか鈍い部分もありますが、基本的には聡い、気の利く少年なのです。



「あれ? ルカ、顔赤くないか?」


「そ、そう……? お酒、飲んだから……かも」



 着替えを終え、改めてルグと二人きりになったルカは頬を僅かに赤くしていました。本人はお酒のせいなどと言っていますが、実際にはもちろん違います。夕食の席で口にしたのは一口だけですし、お酒の味が苦手ではあってもアルコールそのものに極端に弱いわけではないのです。


 顔を赤くしている理由は、もちろんルグと二人きりだから。

 さっきのレンリの話を真に受けたわけではありませんが、それでも何かしら、心が許容できる範囲で進展があれば良いとは思っていますし、今夜がその絶好の機会であることも、また確か。



「そうか、具合悪くなったらちゃんと言えよ? 薬とか水とか貰ってくるから」


「うん、大丈夫……ありがと」



 大丈夫とは言うものの、こんな風に優しくされたらますます胸の鼓動が早まってしまいます。ルカ自身もそんな自分を単純だと思わなくもないのですが、ちょっと優しい言葉をかけられただけで一層惚れ直してしまうのです。


 それから少しの間、二人は今日あった出来事などについて楽しく話していました。

 一面の雪景色の見事さであるとか、お茶の時間や夕食の際に食堂車で食べた物の感想であるとか、そんな他愛のない、楽しい時間。


 ですが、そんな穏やかな一時はあまり長くは続きませんでした。契機となったのは、時間が経つにつれて、そわそわと落ち着かない様子を見せ始めたルグの一言。



「ルカ、悪いんだけど、あのさ……してもいいかな?」







 ◆◆◆








「すごい……そ、そんな風に、なるんだ……」


 ルカの瞳には、驚きと、そして隠し切れない好奇心の色がありました。

 普段は見たことがないようなルグの姿。

 あまりじろじろ見るようなものでないと分かっていても、視線を外すことができません。



「いつも、一人で……その、してるの?」


「迷宮に行く時は出来ないけど、それ以外だとほとんど毎日かな。こういう時くらいは止めてもいいとは思うんだけど、習慣になってるからやらないと落ち着かなくてさ」


「へ、へえ……そんなに、してるんだ…………柔軟体操」



 ルグの柔軟性は大したもので、今などは片足で立った状態でもう片方の足を首の後ろに回しています。そんな不安定な体勢なのに、全くバランスを崩す様子もありません。

 柔らかいのは足だけでなく、手首を前後に曲げると前腕にくっつきそうですし、肩や背中も柔らかく、身体の後ろでがっしり両手を組むことも楽々と。座った姿勢からの前屈など、足はほとんど身体の真横にまで開き、胸が床にぺたりと着いています。


 身体が硬いルカにしてみれば、ほとんど曲芸も同然。

 ただの柔軟運動だというのに、驚いて目が離せません。

  


「わたし、も……身体が硬いから、一緒にやっても……いい?」


「ああ、もちろん。俺は、それなら場所を空けるよ」



 ルカも騎士団での合同訓練で柔軟体操の仕方は習いましたが、ルグのように毎日休みなく続けているわけではありません。

 身体の柔軟性というのは、元々の体質もあるにせよ日々の地道な継続が物を言う分野。

 旅行中であっても機会があれば取り組んだほうがいいのは確かですし、同じことをすればルグとの話題の種になる可能性もあります。



「くっ……ん、あ……」



 柔軟体操とは、すなわち痛みに耐える運動。もちろん無理をして怪我でもすれば逆効果ですが、全く痛くない動作ばかりを繰り返しても身体は柔らかくなりません。

 身体が硬く、また普段から猫背気味のルカは、背中を大きく後ろに反らしただけで思わず声が出てしまいました。同じように身体を反らした姿勢からブリッジに、更にはそのまま逆立ちにまで移行できるルグに比べると雲泥の差です。


 それから、肩から先の腕や手首。

 足首や膝にも順次取り掛かります。

 いずれも大変で、先程と同じように時折声が出てしまいました。


 ですが、ここまでは序の口。

 ルカの一番苦手な、座った状態から足を伸ばしての前屈運動が最後に残っています。

 


「俺が補助に回るから、ルカ、背中押してもいいか?」


「うん……いいよ……お願い」


「ああ、もっと力を抜いて」


「ん……こう……?」



 一人でやることも出来なくはありませんが、背中を押してもらえば更に強い負荷をかけることができます。ルカが背筋の力で抵抗すればルグがいくら力をこめてもビクともしないのですが、そこはなるべく脱力を意識し、彼の力に逆らわないようにしています。



「あ……痛っ……」


「わ、悪い!? もう止めるか?」


「う、ううん……このまま、続けて……」


「わかった。それじゃ、どんどん行くぞ」


「うん、もっと強く……ん、ぁ」


 

 太腿の裏側が伸ばされる痛みに思わず声を出してしまったルカですが、せっかく補助をしてもらっているということもあり、ちょっとやそっとの痛みでやる気が萎えたりはしません。ルグも彼女のやる気に応えようと背中を押す力を強めていきます。


 そのまま興が乗った二人は、柔軟体操の後にルカにも出来る筋力トレーニングの方法を考えたり(常時かかっている身体強化の効果が強すぎて、普通の腕立て伏せやスクワットなどの自重トレーニングでは負荷が軽すぎて鍛えられないのです)、そのアイデアを試したりしていました。


 一段落して落ち着いたのは、すっかり日付の変わった真夜中。



「やばっ、もうこんな時間か。そういや結構うるさくしちゃったけど、他の部屋に聞こえたりしてないかな?」



 普段通りに見えたルグにも旅行特有の高揚感はあったのでしょう。

 ちょっと柔軟体操をする程度ならまだしも、真夜中に飛んだり跳ねたり、物音を伴うほどの激しい筋トレなどしたら、街中であれば近所から安眠妨害だという苦情が来かねません。



「大丈夫、だと……思う、よ。防音が……しっかり、してるんだって」


「そっか、それなら良かった。じゃ、寝るか」


「うん……おやすみ」



 幸い、この列車の一等客室は防音性能が高いので、隣室に声が届くことなど、万が一にもあろうはずがありません。ありませんったらありません。こうして、夜遅くにがっつり運動した二人は、ほど良い疲労感も手伝って、すぐに眠りへと落ちていきました。







 ◆◆◆







 翌朝。食堂車にて。



「お、おはよう……?」


「レン、なんか疲れてないか」


「ああ、おはよう二人とも。ちょっと寝不足でね……いや、私のことなんてどうでもいいけど」



 朝食を摂るべく食堂車に向かったルカ達は、死んだ魚のような目をしたレンリと遭遇しました。一晩中、一睡もできなかったらしいレンリは見るからに憔悴していますし、睡眠が必要ないはずのウルとゴゴまで妙に疲れた顔をしています。



「まあ、その、昨晩は……ええと、そっちは良く眠れたみたいで何よりだよ」


「ああ、結構激しく運動したおかげかな」


「激しくっ!?」


「夢中になって夜中までやり続けちゃったけど、その分熟睡できたから」


「あ、あれから、そんな長い時間……」



 柔軟体操に始まり、あれこれと激しい筋トレに励んだ二人は、ぐっすりと熟睡できたおかげで、多少の筋肉痛はありますが夜更かしの疲労感や眠気は残っていません。



「ちょっと、痛かった、けど……気持ち良かった、よ。あれなら、毎日でも……したい、かも」


「そ、そうなんだ……そうなんですか、ルカ君。いや、ルカさん」


「なんで……敬語、なの?」



 念入りに柔軟体操をしたおかげか、ルカの体調も普段より良いようです。

 関節の可動域が広がれば怪我をしにくくなりますし、筋肉が伸ばされることで血行が良くなり、貧血や肩凝りにも効果的。肉体的な疲労も抜けやすくなるので、ちょっとの痛みは我慢してでも継続するメリットは少なくありません。



「そうだ、今度は……レンリちゃん、も……一緒に、しよ?」


「え……い、一緒に!? 三人でってこと? 本気!?」



 だから、健康増進のために、ルカと同じく身体が硬そうなレンリに勧めるのも自然な流れ。

 新しい習慣というのは、一人では怠け心が出てサボりがちになることでも、複数人で取り組めば互いが助け合うことで続けられる可能性が高まります。



「うん……気持ち、いいよ…………柔軟体操」


「いやいやいや! たしかに気持ちいいのかもだけど、でも、そういうのは良くないっていうか、私の知ってるルカ君はどこに行ってしまっ…………………………………………………柔軟体操?」



 寝不足で鈍っているとはいえ、レンリの明晰なる頭脳にはその一言のヒントだけで十分。一瞬にして自らの誤解に思い至りました。隣にいたゴゴも同時に気付いたらしく、ウルに真相を耳打ちしています。



「ところで、レン。さっきから何か様子が変じゃないか?」


「どうか……した、の?」


「いや、何か変だとしたら寝不足のせいだから。それだけだから。ははは……」



 安堵や羞恥や徒労感。レンリはただただ、それら複雑な感情が混ぜこぜになった乾いた笑みを浮かべることしかできませんでした。




夜の運動会(意味浅)

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