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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
五章『奇々怪々怪奇紀行』

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腕相撲三本勝負・決着戦ノ壱


 腕相撲三本勝負の最終戦。

 その展開は意外な立ち上がりを見せました。


 つい数分ほど前の二戦目においては、力の使い方を教えられたルカが一瞬にして勝利。一戦目は技術の優位を活かしてライムが勝ちましたが、そもそもの馬力はルカに分があるのです。双方が全身の筋力を効率良く使えたならば、結果は二戦目の焼き直しになるはず、でした。



「……っ!?」



 しかし、現実はその逆。

 僅かではありますが、開始と同時にライムが押し勝っています。

 もちろん、ルカも負けじと抵抗してはいますが、一時的に気合を入れて押し戻してもなかなか劣勢を覆すことはできません。次第に押し込まれる時間が長くなっていきます。


 いったい、どうして条件的に有利だったはずのルカが押し負けているのでしょうか?

 現在、両者のフォームそのものに大きな差はありません。全身の力を効率的に使う感覚を深く理解しているライムのほうが幾分効率的ではあるにせよ、それだけでは絶対的な筋力差を覆すには至りません。


 ならば、そもそもの筋力が増している。正確には、魔力による肉体の強化度合いが強まっているということになりますが、ほんの数分で見違えるほどの急成長をするはずもなし。

 ましてや、前の二戦でライムが手を抜いていて、この三本目でようやく本気を出した、なんてことも彼女の性格上あり得ません。

 何かしらの原因、たとえばシモンからの励ましで精神が高揚し、魔力の運用にプラスの効果を及ぼしているという可能性も考えられますが、いくら愛の力で強くなるにしたって限度というものがあります。

 この時点ではまだ誰も気付いてはいませんが、ライムの突然の変わりようにはもっと別の現実的で壮絶な理由があったのです。






 ――――ぱきり、と。

 乾いた枝を踏み割ったような音が響きました。







 ◆◆◆







「うへっ!?」


「おや、どうしました、レンリさま? 急にそんな面白い声を出して」


「いや、ちょっと……ううん、すごく驚いてるんだよ。あの人、とんでもない事するなあ」


 ライム本人を除いて、最初にその事実に気付いたのは解説席のレンリ。白熱した勝負から目を離さないまま、彼女はライムのしていることについて説明を始めました。



「普通、身体強化っていうのは意識しないと全身に大体均等にかかるものだろう。でも、ライムさんは意図的にそれを偏らせているんだ」



 腕相撲の動作が実は腕以外の筋肉も用いる全身運動だとしても、爪先から頭までの全部を均等に使っているわけではありません。現在、ライムとルカは右手同士で勝負をしていますから、当然右腕にかかる負担はより大きなものになります。

 ならば、比較的重要度の薄い箇所の魔力配分を抑え、それで生まれた余力で必要な箇所の筋肉を強化すれば全体としての消費魔力は同じでも、より強い力が発揮できます。



「でも、それだけなら別に驚くほどのことではないのでは?」


「それだけならね。でも、本題はここからだ。そもそも、魔力による身体強化っていうのはね」



 レンリ曰く、身体強化の魔法というのは、何も筋肉を強めて大きなパワーを発揮するだけのものではありません。具体的には、血管や神経、骨格、皮膚、脂肪、内臓、脳……それら、人体の器官の多くを頑強にする効果もあります。見た目のインパクトから、運動機能を強める効果ばかりが注目されがちですが、実際には肉体を丈夫にする効果のほうが重要かもしれません。

 何の強化もない状態で魔物の攻撃を受けたり、高所から落下したりすれば人体などいとも簡単に壊れてしまいます。いくら高価な武具を身に付けていようとも、中身の肉体を完璧に守りきることはできません。

 時には、身に付けていた鎧や兜が無傷のまま中の人間だけが死んでいる、なんてこともありえます。いくら頑丈な装備があっても、それだけでは不十分。常日頃から鍛錬を積んで身体を鍛え、また魔力で強化する術を学ぶことも大切なのです。



「で、これが肝心なんだけど肉体の耐久性を上げる理由は、何も外からの攻撃や事故に備えるってだけじゃないのだよ。内側からの、強化された自分自身の筋肉に耐え切れずに骨格が圧迫されて押し潰されたり、動作に伴う負荷を許容し切れずに血管や神経が千切れたりとか。そういう自壊を避けるためでもあるんだ」



 ただの人間が自分よりも大きな岩を軽々と持ち上げ、建物の屋根まで跳躍する。魔力で強化された人体はそんな性能を発揮することも決して不可能ではありませんが、仮にパワー以外の肉体強度が素のままで同じことをしたらどうなってしまうでしょう。

 いくら強靭な筋肉があろうとも、骨は物体の重量を支えきれず、あるいは自身の運動に耐えられず砕け、皮膚は裂け、血管や神経は千切れてしまいます。大きなパワーを発揮する際には、筋肉以外の部位にも相応の強化が必須なのです。



「十の魔力を強化に使うとしたら、最低でも五、できれば六から八くらいは肉体強度を上げることに回すべきだね。ま、普通に強化を使う分には、そんなことをいちいち考える必要はないんだけどさ」



 レンリの言う通り、一般的な身体強化魔法を使っているだけならば、わざわざ配分を考える必要などありません。人間には生来、自分の身を守ろうとする本能的なリミッターが備わっています。術者が意識する必要もなく、パワーを発揮する分と己の肉体を保護する分とで、魔力配分が自然となされるものなのです。

 限界以上のパワーを出すべく意図的にバランスを崩そうにも、前述のような肉体の自壊による痛みで集中力を維持するのは難しいために現実的とは言えません。



「実を言うと、私も似たような術を使うから分かっただけなんだけどさ」



 レンリの奥の手の一つである身体制御術。

 限界以上に強化した身体を短時間だけ完璧に制御できるようにするという、それだけ聞けばそれなりに使いどころのありそうな技ですが、彼女がこれを使用することは滅多にありません。

 まだ魔法としての完成度が低いためか制御が甘く、ちょっと使っただけで反動で激痛が走り、骨折をはじめとした大怪我を覚悟しないといけないのです。いくら強力でも、これでは魔法としては欠陥品の部類でしょう。


 この身体制御術の反動と似通っていたために、レンリには今のライムの状態が即座に理解できたのではありますが。



「ほほう。つまり結論は?」


「うん。あの人、腕相撲に使う以外の部分は肉体の保護を切って、その余剰リソース全部を筋力アップに回してるんだ。当然、骨格とかの強度は素のままだから、あちこちの骨が折れ始めてるはずだよ。痛みで集中が切れないのもビックリだし、そもそも意識を保っていられるのも驚きだ」


「おおぅ…………さっきからポキパキ鳴ってる音ってそれですか。ライムさま、いくらなんでも根性が据わり過ぎでは?」


「……だよねぇ」



 普通に考えれば現実性のない、肉体の保護に回す魔力を絶って限界以上の筋力アップを可能としたライム。腕相撲での重要度が比較的低い左半身を中心に、彼女の骨格は今も自分自身の筋力の反動でひび割れ、砕けつつあるはずですが、その痛みを周囲に悟らせることもなく、いつも通りに表情を変えることなく勝負に集中しています。

 一言で強化のバランス配分を偏らせるといっても、その魔力操作は通常の身体強化とは違い極めて精密な正確さを要求されるはず。ほんの少しでも痛みで集中が途切れたら、途端に全てが破綻する無茶苦茶を驚異的な精神力で無理矢理に成立させているのです。


 その、常識外れの根性が如何ほどのものか。あのコスモスが思わず言葉を失ってしまうほど、と言えば凄まじさの程が分かることでしょう。







 ◆◆◆







 最後の勝負を始める前。

 ライムは、ルカに手を抜くなと念を押していました。

 その時点で、こんな強引な手段に出ることを決めていたのでしょう。ライムが自壊覚悟の危険な手段を取ると知れば、ルカは怪我をさせないために最終戦を放棄しかねません。

 互いが全力を出し切った末の勝利にこそ価値がある。試合放棄や手加減されて勝ったとしても、ライムにとっては意味がありません。


 地力で勝るルカを超えるには並大抵の手段では不可能だったとはいえ、あまりに無謀。とはいえ、その無謀を押し通したからこそ、ライムの勝利はもう目前まで迫っています。



「……ぐ……うぅ、うっ」



 もうルカの手の甲は台に付く直前。

 あと二センチか三センチも押し込めば、それだけで勝負は決まります……が。




◆今回のレンリはそこまで見抜けていませんでしたが、ライムは重要な神経とか太い血管だけはピンポイントで耐久性を維持するという離れ業をやっています。逆に言えば、生命維持と勝負に必要ない箇所なら骨が砕けようが肉が千切れようが問題ないと割り切っているので、頭がおかしいことに変わりはありませんが。このエルフ、根性ありすぎである。

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