迷宮グルメ情報とシモンの心穏やかだった日々について
「ふむ、それは俺も知らなかった。災難だったな」
ルカ達が第三迷宮から戻った翌朝、朝食の席にて。
例の巨大な亀の話を聞いたシモンは、ルカがお土産として持ち帰ってきた南国フルーツを口に運んでから、同情のこもった苦笑を浮かべました。
既に第三迷宮を突破している彼が知らなかったということは、あの大亀が海に潜ったり、そうでなくとも生き物だと分かるような動きをするのは本当に珍しいことなのでしょう。運の悪さに自信のあるルカとしては、その極僅かな例外を引き当てて全身ずぶ濡れになったことに、むしろ納得するくらいでしたが。
テーブルの上には、塩コショウで炒めた挽き肉と玉ねぎをふんわり包んだオムレツ。まだ少し未熟なパパイヤの、シャキシャキとした食感が楽しいサラダ。評判の良い店で買ってきたクロワッサン。そして、ルカ達が三人で分けてもまだまだ大量にあった果物が並んでいます。
「いや、食材を持って帰ってきてくれるのはありがたいわ」
「うん、さっきロノにもやったけど美味かったってさー」
「じゃあ……また、採ってくる、ね」
これまでにも迷宮で採れた肉類や山菜などを持ち帰ることはありましたが、女性と子供の比率が高いこの屋敷では、甘い果物は特に喜ばれるようです。
ルカ自身も甘い物は好物ですし、今は生活に困っていないとはいえ食費が浮くのは大歓迎。モモが持っていった残りを、そのまま捨て置くのがもったいないからというだけの理由で持ち帰ったモノでしたが、今度からはもっと積極的に探してみようと思いました。
「ああ、そうだ、第三の最初の辺りなら海老なんかも良いぞ。魔物の一種なのだが、浅瀬に棲むヒスイ海老という緑色の海老がいてな、これが甘みと旨味が濃くて実に美味いのだ」
そんなルカに、シモンから更なるグルメ情報が。
「大きさも片手でどうにか掴めるくらいだし、おとなしいから危険も少ない。気が向いたら探してみるといい。それから黒い岩礁に擬態して見過ごしやすいのだが、岩鉄牡蠣というのもいてな」
話しているうちに興が乗ってきたのか、あるいは自分で話した内容に食欲を刺激されたのかはさておき、シモンは己が足で集めたのであろう迷宮食材の情報を色々と教えました。
濃厚な旨味と甘み、プリプリとした食感が堪らないヒスイ海老。
その名の通り鉄剣をも弾き返すくらいに硬い殻と、対照的にほとんど液状とすら言えるほど柔らかいミルキーな身肉の岩鉄牡蠣。
人の頭サイズの肉塊がいくつも寄り集まっている、とてもグロテスクで不気味な外観ながらフルーティーで臭みのないホヤ葡萄。
あまりに旨味成分が多すぎるため周囲一帯の海水の味が変わってしまう、ほんの爪の先ほどの一欠片だけで大鍋一杯分の出汁が取れるプラチナ昆布。
海水の塩分を取り込んで表面に結晶化させて纏い、ウニ等の天敵から葉を守る性質を有する、アーマード塩昆布。
水中では小さいのに、空気に触れさせると凄まじい勢いで体積を増すフエール若芽。
栄養成分豊富で、食べれば病気の予防になるという百薬メカブ。
適度な酸味と独特の食感があって、いつまで噛んでいられるガムガム酢昆布。
「なーなー、シモン兄。なんか海草系多くない?」
「そうか? だが海草は健康にいいのだぞ。ワカメのミソスープとか、もずく酢とか美味いし。あと海苔のツクダ煮で白いライスを食うのも好きだな」
まだ十八歳の青年にしては、そして幼い頃から贅を凝らした美食に慣れた王族にしては、やけに食の好みが渋いシモンですが、それには色々と深い事情があるのです。主に、子供時代の留学先にあった行き付けの料理店あたりに。
魔界からの輸入品であったり、昨今ではこの国でも味噌蔵や醤油蔵が造られて国産品が出回り始めたりで、まだこの世界での歴史が浅い調味料も随分と普及してきました。
十年ほど前には舶来の高級品扱いであったそれらも供給量の増加や交通網の発達に伴って徐々に値下がりし、昨今では一般家庭の食卓で見かけることも珍しくはありません。
この屋敷の広すぎて機能を持て余しているキッチンにもいくつかの調味料が揃っています。今後、ルカがお土産として食材を持ち帰ってきたら、食卓にシモンの好物が並ぶことでしょう。もしかしたら、貴重な情報を教えたのはそれを期待していたからかもしれません。
「っていうか、シモンも最近ずっと迷宮に行ってるんでしょ? どうせなら、アンタも何か採ってきなさいよ」
と、オムレツのお代わりを焼いて戻ってきたリンがシモンに話を振りました。シモンは最近、日帰りではありますが、毎日一人で迷宮に入っては厳しい鍛錬を積んでいます。
「ああ……それがな。俺が最近出入りしているあたりは食えそうなモノが少なくてな」
シモンが近頃通っているのは、彼が行ける中では最も過酷な第五迷宮。
あちこちに流れる溶岩の川と活火山、あとは果てしなく続く砂漠という苛烈な環境で、しかもその環境でも活動できるゴーレムやアンデッドのような非生物系の魔物がわんさかいるのだとか。
ルカなどは話に聞いただけで腰が引けてしまい、できれば将来的にも入らずに済ませたいと思ってしまったような迷宮ですが、彼はそんな場所で朝から晩まで連日激しいトレーニングをしているのです。
「仕事に復帰したら、なかなか自分の鍛錬もできぬからな」
……とは本人の弁。
半年という休職期間は最初とても長く感じられましたが、いつの間にやら半分以上が過ぎていました。季節は既に冬。このまま何事もなく年が明けて少しすれば、シモンは騎士団長の職に復帰することになっています。
仕事をしていないと落ち着かないというワーカーホリックの気も抜けて、最近は落ち着いて休暇を楽しめるような心のゆとりを持てるようになってはきましたが、それはそれとして怠けてはいられません。
仕事がある時にも部下の指導を兼ねた鍛錬はしていましたが、全力を出したら怪我人が続出してしまいます。周囲にある街や自然環境に与える影響も考慮しなければなりません。
またシモン自身も多くの部下を指揮する責任ある立場にあっては、怪我を負う危険と紙一重のハードトレーニングをするわけにもいかず、自重せざるを得ませんでした。いえ、団長職のことを抜きにしても無闇に危険な真似をしていい身分ではないはずなのですが……まあ、それはそれとして、細かい問題には目を瞑りつつ、彼は自由な時間を使って日々自己の研鑽に勤しんでいるのです。
迷宮の中には、彼が全力で戦っても易々とは勝てないような強敵もいます。
意思を持つ溶岩流という表現がぴったりな溶岩スライム。
何種類もの魔法金属が高熱で熔けて混じり、魔力を帯びて動き出した超合金ゴーレム。
普通の物理攻撃が効かず、魔力を帯びた武器か強力な魔法でないと倒せない死霊王。
ちなみに迷宮に出現するアンデッド系の魔物は、生み出された時から死体であったり霊体であったりという矛盾した存在なのですが、性質は死者由来で発生する通常の魔物と変わりません。しいて違いを挙げるなら、生前の人物や遺族に配慮する必要がない点で、幾分心情的に倒しやすいくらいでしょうか。
他にも細かく挙げていけばキリがありませんが、そこまで辿り着いた強者を相手にすることが前提になっているからか、第五迷宮には低層から強力な魔物が大量に出現します。
縄張り意識や食欲によって凶暴性が左右される生物系と違い、気付かれたらただただ機械的・盲目的に襲いかかってくるので、刺激せずにやり過ごすなどの手も使えません。
前述した環境の厳しさもあって、いくらシモンでも決して油断はできないはずなのですが、
「ただ敵を倒すだけで解決するとか、なんと気楽な……ううむ、こんなに楽でいいのだろうか?」
ここしばらく、望まぬ形で人間社会の荒波に揉まれ、すっかり心が疲れてしまったシモンにとって、ただ戦って勝てば解決するシンプルな状況など、むしろ癒しを感じるほど気楽なものだったようです。
以前はここまで戦闘狂の気質はなかったはずなのに、ある種のリラクゼーション的な効果を求めて強敵と連戦する日々が続き、結果的に元々並外れていた腕前がぐんぐん上がるような好循環が生まれていました。いえ、そんなにも荒んでいた彼の心情を思うと、本当に「好」循環と言ってしまっていいのかは大いに疑問ですが。
「ご馳走様でした。さて、朝食も食べたことだし俺はまた修行に出てこよう」
今朝も、いつもと同じように朝の食事を終えると、部屋にある愛剣を手に早々と出かけようとしました。今日もまた、一日中迷宮で修行に明け暮れるつもりなのでしょう。
……ところで、シモン本人は決して口に出しませんが、彼がこんな修行漬けの毎日を送るのにはもう一つ重大な理由がありました。いえ、本当はそちらの理由が本命で、自由に修行をする時間云々というのは、丸々嘘とまでは言えないにせよ後付けで捻り出した理屈なのです。
ヒントは彼がこんな荒行を開始した時期。
それは、とある人物が学都を訪れた直後からであり……。
「シーモーンさーまー、あーそびーましょー! やあやあ、皆様おはようございます。シモンさまの親友である私めがやってきましたよ」
「しまった、油断した!? おのれ、時間をずらすとは小癪な!」
「ふふふ、いつ会いに来てもお留守だったもので、今日はいつもより早めにお邪魔しました。さあ、何をして遊びましょうか?」
まあ、つまりはコスモスから逃げるために、表向きは修行という名目で連日迷宮に引きこもっていただけなのです。




