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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
五章『奇々怪々怪奇紀行』
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パンチ!


 一方、その頃。

 ようやく寝床から起きてきたウルは、マールス邸のキッチンで朝ご飯の準備をしていました。とはいっても手の込んだ料理はできないので、食料庫に入っているハムやチーズなどのそのままでも食べられる物を薄く切って、パンに挟んだだけの簡単なサンドイッチ。

 彼女の背丈では調理台は高すぎるので、椅子を足場にして包丁を振るっていました。危なっかしい慣れない手つきですが、彼女の場合は包丁で指や手を切っても、そのくらいなら粘土のようにくっ付けられる上に痛覚もコントロールできるので、一般的なそれとは違う意味で怪我の心配は無用です。

 ちなみに、パンが配達された時間にはウルはまだ寝ていたのですが、レンリが使役する綿コットンゴーレムが勝手口を開けて受け取っておいてくれました。ゴーレムたちに発声器官はないので会話はできない、そもそも擬似的に付与された思考力では臨機応変な会話は不可能ですが、身振り手振りだけでも配達物を受け取るくらいはなんとかなります。慣れていない配達人がたまに驚いていますが。



『……んにゅ? 今ちょっと揺れたかしら?』



 そうして完成したお手製のハムチーズサンドを食べ始めた頃、ウルは軽い揺れを感じました。地震かとも思いましたが、それにしては揺れが続きません。普通、地震というのはある程度、数秒から長ければ数分は揺れ続けるものです。

 結局、揺れを感じたのはその一回きりで、それも歩いていたら気付かなかったであろう程度の弱い振動だけ。



『食べ終わったから遊びにいくの!』



 ウルもそんな揺れのことはすぐに忘れて(厳密には、ここにいるウルが見聞きした情報は本体の迷宮に蓄積されているので完全な忘却ではありませんが)、これだけは忘れないようにと言い聞かされている戸締りのチェックを済ませると、お小遣いの入った財布を持って出かけてしまいました。







 ◆◆◆







「ふふふ……お見事です、ルカさま。しかし、この私を倒したところで人間に悪の心がある限り、いずれ第二第三の私が現れて貴女の前に立ちはだかることでしょう……そう、具体的には来週あたりに……今は束の間の平和に酔いしれておいでなさい……ぐふっ」


「いや、アンタどこも怪我してないだろ」


 道端で謎の一人芝居をするコスモスに、ルグが正論によるツッコミを入れました。


 つい先程、ルカの繰り出した必殺のストレート、比喩ではなく必ず殺すという表現がしっくりきそうな威力のパンチを顔面に受けそうになったコスモスは、しかし激突の直前にブリッジで身体を後ろに反らして見事に回避していました。

 状況からするに、ルカからの反射的な、無意識の攻撃を引き出したのは意図的な行動だったようですし、あらかじめ来ると分かってさえいれば、目にも留まらぬ高速度の攻撃だとて避けることは不可能ではありません。



 ルカとしても、予期せぬセクハラに対して思わず手が出てしまっただけで、明確な攻撃の意思があったわけではありません。これでコスモスが怪我をしていたり、あるいはそれ以上の重大な事故が起きていたらルカの心はまたもや深く傷付いていたことでしょう。もっとも、それがなくても心にダメージは負っていましたが。



「ううぅ……あ、ああいうのは、ダメ、ですっ」



 ルカにしては大変珍しいことに、明確に抗議の言葉まで発しています。

 コスモスとの間にレンリを挟み、その背に隠れながらでしたけれど。

 長い前髪で隠れていますが、目尻には涙が浮かび頬は真っ赤に染まっていました。やはり、いきなり胸を揉まれたのが相当に恥ずかしかったのでしょう。



「大丈夫、お気になさらず。女性同士ならノーカンです! ほら、友達同士のスキンシップの延長と思えば全然アリですって。レンリさまもそう思うでしょう?」


「え、私? うーん……まあ、そういうことにしておこうか。ルカ君も、この人のやる事はあんまり気にしないほうがいいよ? うん、なんとなく接し方が分かってきたかも」


「うぅ……うん……」



 ルカも、コスモスが悪意を持っているわけでないのは何となく理解しています。

 いえ、悪意がないどころか好意すら感じます。ルカとしては特に好かれるようなことをした記憶はないのですが、少なくとも嫌われているよりはいいのでしょう。

 問題は、好意の表現方法があまりにもヘンテコな点なのですが。

 

 まあ、一歩間違えば悪ふざけが原因で大事故が発生していたかもしれないことを思えば、この程度の結果で済んで良かったと言えないこともないかもしれません。

 そう、たとえ彼女たちのいた訓練場が見るも無残に半壊していたとしても、人的被害が出るよりはよっぽどマシだった……と、無理矢理そんな風にでも思わなければやっていられないことも人生にはあるのです。



 先程、ルカは反射的に正面にいたコスモスの顔に向けて拳を突き出し、しかしブリッジで回避されたせいでそのパンチは空を切りました。

 そこで止まっていたら良かったのですが、あまりにも威力と速度があったために制御不能となった拳はそこで止まらず更に前へと進み、ルカの身体も引っ張られて前のめりによろけます。そしてブリッジにより障害物と化していたコスモスにつまずいて勢いよく転んだ、いえ前方に大きく投げ出されるに伴ってパンチの軌道が急カーブを描いて更なる前方下方の地面へと向かい……結果、運動がしやすいように均された訓練場の地面は一撃の下に打ち砕かれました。


 一度に百人以上が運動できる訓練場には相応の広さがありますし、足元は土とはいえ大勢に踏み固められています。雨の後などであればともかく、晴れ続きでカチコチに乾いた状態ではスコップを使っても掘り返すのは一苦労でしょう。

 そんな地面が、たった一発のパンチで粉々に打ち砕かれました。

 打撃点のクレーターを中心にして四方八方に地割れが広がり、衝撃で場内にいたほとんどの者が転んでしまったほどです。地割れの深さは、もっとも深い箇所で十メートル以上にも及ぶでしょうか。小隕石の落下、あるいは一部の錬金術師が作るような爆発物を土中に大量に仕込んでおき、それらを一斉に起爆すれば似たような光景を作り出せるかもしれません。

 もしも下が柔らかい泥土であれば、衝撃が吸収・拡散されて多少なりとも被害が少なくて済んだかもしれませんが、それは今更言っても仕方がないことです。


 腕の力だけではない、無意識に全身の複雑な連動が成されたルカの一撃には、これほどの威力が秘められていたのです。いえ、転倒により幾分弱まったであろう点を加味するに、更なる威力の向上も望めます。パンチだけでなく、蹴りや投げや絞めなどにも自由にこのパワーを使えるようになれば、武器が力に耐え切れない欠点を埋めて大いに余りあるでしょう。


 なお、彼女たちに知る由もありませんが、先刻ウルが感じた弱い揺れもその一撃による影響でした。都市内のもっと近い位置では更に強く揺れており、極端に短い地震があったと周辺の市民には思われていました。










 当然のことですが、そんな状況で呑気に訓練など続けられるはずもありません。

 この日の合同訓練は即座に中止となりました。

 転倒した人は大勢いましたが、特に強い揺れに見舞われた訓練場内は周囲に高い建物のない開けた場所でしたし、怪我らしい怪我をした者がいなかったのがせめてもの救いです。


 そして、これも当然のことですが、



「……で、追い出されちゃったけど、これからどうしようか?」


「どう、と言われてもなぁ……」


「うん……」



 事態の原因となったコスモスと、その仲間(レンリ達が彼女と知り合ったのは昨日のことで、まだ友人と言っていいのかも分からない間柄ですが、弁解する間もありませんでした)と見なされた三人は揃って訓練場から追い出されてしまいました。

 もっとも、問答無用で逮捕されても文句は言えないのに追い出されただけで済んだのですから、これでもかなりの温情措置と言えるでしょう。それに、そのままあの場に残ったところで、場内の整備が終わらない限りはどうせ何もできません。他の一般参加者たちも、彼らが追い出された少し後に解散していました。

 余談ですが、その整備作業は騎士団の工兵部隊とゴーレムを操る魔法兵が進めることになりました。建物を作るわけでもなく地面を均し直すだけなので、二日もあれば元通りになるでしょう。コスモスや三人への沙汰が軽かったのも、被害が容易に取り返しの付く範囲に収まっていたからこそです。




 そんなわけで、濡れ衣のような形で追い出され、途方に暮れていた三人は、



「いやぁ、運動をするとお腹が空きますね。よろしければ親睦を深めるために一緒に昼食などいかがです? お肉食べましょうよ、お肉!」



 全然、まったく、これっぽっちも反省の色がない誰かさんに引っ張られるような形で、何故か一緒にご飯を食べに行くことになりました。 



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