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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
五章『奇々怪々怪奇紀行』
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ルカとコスモス


 徒手(素手)による格闘技は、大まかに打撃系と組み技系に分けられます。

 前者は打撃という名前そのままに殴ったり蹴ったりする技。

 後者は寝技、投げ技、絞め技などの相手に組み付いて使用する技。


 拳闘ボクシングやレスリングなどの、決められたルールの中で戦う競技であれば、どちらか一方に特化して学ぶことも珍しくありませんが、騎士団で教えるような軍隊格闘では両方を総合的に習得することを目指します。

 個々人の適正や才能などによって一方の技術に重きを置くことはあっても、打撃だけに特化すれば組み技を覚えなくてもいい、あるいはその反対のようなことはありません。実際に自分で使うかはさておき、技を知って練習しておけば、相手に使われた際に対応できる可能性も上がります。


 騎士団は軍隊と警察の機能を併せ持つ組織。そこに属する人員が武力を行使する時というのは、基本的にルール無用の実戦となります。

 無論、武器を使ったほうが手っ取り早いのですが、刃物は元より打撃武器であっても加減するのは容易ではありません。また、戦闘中に武器が破損したり紛失する可能性もゼロではありません。

 犯人を殺さずに確保するため、武器を見せて必要以上に敵を刺激しないためなど理由は様々ですが、多様な状況に対応できる徒手格闘を修める理由はそれなりにあるのです。もちろん、そうして頑張って覚えた技を使わずに済むのなら、それに越したことはないのですが。







 ◆◆◆







「や……やあっ」


 ルカは、格闘技グループの教官から教わった通りに握り拳を突き出しました。いいえ、正確には教わった通りにしているつもりで、お手本とは似ても似つかぬチグハグなフォームでストレートパンチらしき技を前方の空間に向けて放ちました。

 手は構えた段階から力一杯に握り締められており、上半身と下半身の連動も働いていない腰の引けた手打ち。これでは全くスピードが乗りません。構えた状態からパンチを放つまでの間に大きく弓を引くように振りかぶっているので隙だらけですし、ついでに拳を突き出す瞬間に反射的に目を瞑ってしまっています。こんなにも分かりやすいテレフォンパンチなら、さぞや簡単に避けられることでしょう。

 そんな打ち方でも元々の腕力が強いので威力だけはありますが、相手が親切にもじっと動かずにいて攻撃を喰らってくれるような状況でもなければ全くの無意味。「当たらなければどうということはない」と、昔の人も言っています。



「ええと、もっと力を抜いてリラックスして、ね?」


「は、はい……えいっ」



 ルカ本人は真面目にやっているのですが、そのせいで考えすぎて緊張から力みが生まれ、やる気が逆効果になっているようです。

 これが適当にアドバイスを聞き流して手を抜いているとか、不真面目な態度でやる気に欠けるとかだったらまだ指導のやりようもありますが、真剣にやってこれでは教える側の教官も困ってしまいます。先程、レンリとルグが思ったように、殴ったり蹴ったりが当たり前の格闘に根本的に向いていないとしか思えません。


 ですが、そんな悩める少女の下に救いの手……かどうかは物凄く怪しいものがありますが、コスモスが声をかけてきました。



「やあやあ、ルカさま。こんなところで奇遇ですな」


「え……? あ、コスモス……さん?」



 自分から声をかけておいて奇遇も何もありませんが、喋るのが苦手なルカが弁の立つコスモスに口で勝てるはずがありません。警戒する間もなく接近を許してしまいました。

 ちなみに、そのコスモスは同じ格闘技グループの別の場所でルカと同じように技のフォームや型を教わっていたのですが、



「もう大体わかったのでヒマになってしまいまして」



 およそありとあらゆる分野に優れた才能を発揮するコスモスは、この短い時間で教わった内容を完璧に習得していました。格闘技の場合、技を覚えても試合や実戦で使えなければ意味が薄いとはいえ、それでも破格の才能には間違いありません。

 この性格で無能であれば単なる狂人ですが、一を聞いて十どころか百も二百も知るような規格外の才覚を併せ持つのが彼女の性質が悪いところです。



「す、すごい……です」


「ははは。いえいえ、それほどでもありますとも」



 人によっては練習の邪魔をされたことに怒るべき場面かもしれませんが、ルカは素直に感心していました。そして、コスモスは素直に増長していました。



「なぁに、ちょっとコツさえ掴めばチョロいものですよ」


「コツ……です、か?」



 武芸に限らず、上達のための修練を要するような物事においては、些細なコツをキッカケに大きく実力を伸ばすような事例はたしかに存在します。

 まあ、その手のコツというのは自分で気付くことが肝要で、人からちょっと聞いた程度で何かが大きく成長するようなことは滅多にないのですが……駄目で元々、上手くいったら儲け物という考え方もありますし、少なくとも聞いて損をするような話ではありません。



「ほほう、私が苦労して会得したコツを知りたいと? ふふふ、だったらタダというわけにはいきませんねぇ。まあ、しかし、他ならぬルカさまのお願いとあらば、今回だけ特別に! 特別に教えて差し上げるのも吝かではないような気がしなくもありませんよ?」


「え、えっと……?」



 ……時には聞いて損をすることもあるかもしれませんが、差し当たり今回は損をせずに済みそうです。そもそも、随分と勿体つけていますがコスモスは苦労などしていませんし、つい数分前まで素人だった人物の言う「コツ」にそこまでの価値があるかというと疑わしいと言わざるを得ません。


 ともあれ、ルカはなんとなく流れでコスモス直々に指導を受けることになってしまいました。先程ルカを見ていた教官氏も彼女だけに付きっ切りになるわけにはいかないので、その様子を黙認しています。

 まあ、徒手の技やフォームの指導くらいならば、失敗したところで大して危険があるようなものではありません。先程の登場シーンにインパクトがありすぎたせいか、なるべくコスモスと関わり合いになりたくないという気持ちも少々あったかもしれませんが。



「では、ルカさま。試しに、先程教わった通りに空突きをしてみて頂けますか?」


「は、はい……コスモス、さん」


「違います! 私のことは老師とお呼びください!」


「え……はい、老師……?」



 本当に指導する気があるのか非常に怪しい前置きを経て、兎にも角にもルカは先程と同じようにストレートパンチもどきを前方の空間に放ちます。

 一発、二発、三発……そして十発目を過ぎた頃、



「ふむ……なるほど、分かりました!」


「え……?」


「分かりました! いやぁ、ちょっとビックリするくらいに覚えが悪いですね!」


「あぅ……」



 とても正直な感想が出てきました。ルカもダメダメな自覚はありましたが、ここまで包み隠さずに言われると流石に少しばかり落ち込みます。

 ですが、コスモスもダメ出しをするばかりではありませんでした。



「私の見立てでは、どうもゴチャゴチャと考えすぎているせいで動作がギクシャクしてしまっているようですね。いっそ、頭を空っぽにして何も考えずに突いてみたほうがいいのでは? 私も、何も考えずに適当にやったらなんか上手くいきましたし」



 意外にも、続けてちゃんとした風のアドバイスも出てきました。

 先程言っていた「コツ」の内容がコレでは半ば詐欺みたいなものですが。


 ですが、ルカにも自覚がないこともありません。色々と頭の中で考えすぎたせいで物事が上手く進まないのは、今回に限らずいつもの事です。

 それに、彼女自身はあまり覚えていませんが、ルグが大怪我をした時に何もかもが嫌になってヒステリーを起こした際は、本能任せの大暴れなのにいつもと見違うような無駄のない動きができていた……らしい、と聞かされています。

 その時みたいに我を忘れては困りますが、動きを阻害する雑念を払って意図的に頭の中を空っぽにすべしという助言には、それなりに説得力があります。少なくとも、試してみる価値があると思えるくらいには。



「頭を空っぽ……空っぽ……」



 早速、ルカは雑念を追い出そうと念じましたが、



「……あの、空っぽって……どうすれば?」



 しかし、そう簡単にはいきません。

 人間の脳味噌というのは、放っておこうにも勝手にあれこれと考え始めるように出来ています。そも無念無想とは、長年修行した達人でもおいそれとは辿り着けないような境地。一朝一夕で簡単にできたら苦労はありません。



「ははは、ご安心を。私に任せていただければ容易いことです」



 しかし、その無想という難行をコスモスは実に軽く語ります。

 口ぶりからするに、どうやら自信がありそうです。



「要するに、強制的に何も考えられないようにすればいいわけですよ。方法は、そうですね……ちょっと、目を閉じていただけますか?」


「は、はい……老師」


「ああ、老師は飽きたのでもういいです」


「えっと……はい……」



 翻弄されっぱなしのルカはもうだいぶ疲れていましたが、それでも自分から助言を求めたということもあってか、言われるがままに目を閉じました。



「そのままゆっくりと呼吸を……ああ、返事はしなくても結構です。なるべく全身の力を抜いてください……そう、息を吸って……吐いて……吸って……」



 まるで胡散臭い催眠術の導入のようですが、ルカは素直に指示に従います。

 たしかに、そうしているとだんだん全身の無駄な力みが抜けて、意識の強張りもなくなっていくかのよう。コスモスの澄んだ声は耳に心地よく、頭の芯にまで柔らかく響いてきます。立ったままでなかったら、意識を手放して眠ってしまったかもしれません。余分な思考が消えていき、なんとなく落ち着いた気分になっていき……、



「はい、ドーン!」


「……え? え?」



 完全に油断しきったところで、コスモスはルカの両胸を正面から鷲掴みにしました。

 そのまま「おお、これはなかなか有望な」などと勝手な感想を呟きながら、感触を確かめるかのように指を動かしてマイペースに揉み続け、



「あ、え…………ひゃあっ!?」



 数秒後、ようやく状況に認識が追いついたルカは、反射的に、なおかつこれまでの苦労が嘘のように、腰の入った見事なフォームからのストレートをコスモスの顔面に向けて繰り出しました。



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