レンリとコスモス
おまたせしました
愉快犯。
道化。
享楽主義者。
彼女の在り方を形容するならそんなところでしょうか。
彼女をよく知る者達からの評価も大方そのあたりに落ち着くでしょう。
行動の指針は極めて明確。
愉しいか、否か。
悪人か、と問うたなら是とはならず。
されど、断じて善人というわけでなく。
この世の全て、一切合財が彼女の玩具。家族友人に至るまでその例外ではないけれど、同時に、矛盾なく、偽りなき親愛を抱ける精神性。
善いとか悪いとか、強いとか弱いとか、そういった既存の価値観で計ることが極めて困難な人物。コスモスという名の人造生命は、そういうワケの分からない存在として、本日も己が人生を存分に愉しんでいました。
◆◆◆
秋もだんだんと深まり、昼間はともかく朝晩はだいぶ冷えてきました。
人によって感想が割れそうですが、「寒い」と「涼しい」の真ん中くらい。もう半月かそこらもすれば天秤は完全に「寒い」に傾き、外出の際のコートが手放せなくなることでしょう。
そんな時期の朝、いつもより早起きをしたレンリは、動きやすい格好で街中を歩いていました。ジャケットにパンツルックという着慣れた服装。剣帯を巻いて左腰に長剣を差し、愛用のカバンを肩から斜め掛けにしています。まだ起きてから間もないのか、時折眠そうに目元をこすっていました。
ちなみに、さっきまでレンリと一緒のベッドで寝ていたウルは、今もぐぅすかと惰眠を貪っています。睡眠は必要ないはずなのですが、柔らかく温かい布団で眠る心地良さを好むウルは、言ってみれば趣味の一環として人間と同じように眠ります。恐らく、あと二時間は起きてこないでしょう。
「お腹がすいた」
そして、レンリはいつも通りにお腹をすかせていました、
家を出ずにじっと待っていれば契約しているパン屋からパンが配達されるのですが、それを待ちきれずに飛び出してきてしまった……のではありません。わざわざ早く起きて外出しているのには、一応ちゃんとした理由があるのです。
とはいえ、空きっ腹を抱えたままというのはよろしくありません。
幸い、予定の時間までにはまだ余裕があります。多少の寄り道は問題ないでしょう。
一般の商店が開くまでには時間がありますが、日の出と共に開かれる東街の市場周辺はとっくに活動を始めています。河港を用いた水運や鉄道による輸送、あるいは馬車や徒歩で運ばれてきた無数の商品を扱う市場には、多くの労働者が食事を取るための飲食店や屋台も少なくありません。
「ホットドッグを四……いや五つ。マスタード多めで」
そういった屋台の一つでレンリはホットドッグを五つ購入しました。普通に考えれば一人で食べるには多すぎる量ですが、彼女の食欲と胃袋の容量は普通ではないので何も問題はありません。
鉄板の上で表面の皮がぱりぱりになるまで焼かれたソーセージは、ちょっと歯を立てただけでプツリと弾けて熱い肉汁が口内に広がります。粒マスタードのツンとした刺激が脂っ気のしつこさを消してくれ、細長いパンとの相性も抜群。ソーセージとパンの間に酢漬けのキャベツがちょっと挟んであって、その酸味も爽やかで良い具合です。
別の店で砂糖がたっぷり入ったシナモンコーヒーを買って店先で飲み干すと、ようやく眠気も覚めたようです。燃料の補充が完了したレンリは、改めて本来の目的地へと歩き出しました。
学都の南側、鉄道の駅近くの道でレンリは足を止めました。
駅近くの一等地でも特に立派な、泊まったことのないレンリでも名前くらいは知っている「太陽楼」という高級宿の入り口から知人が出てくるのを見かけたのです。
「あれは、たしか……?」
まあ、知人といってもつい昨夕に知り合ったばかり。
年上の友人であるライムやシモン達の旧知であるらしい人物で、交流会の場で軽く挨拶をした程度の間柄です。その時、シモンが何故だか紹介を渋って、彼らしくもなく動揺していたのがレンリの印象にも残っています。
付け加えるならば、レンリ自身や同じ場にいたルカ達も何やら胸騒ぎのような、根拠不明の警戒心にも近い感覚を覚えていましたが、昨日の時点では軽く挨拶をした程度。その挨拶にしても問題のない、礼儀正しいものでした。
シモンと話している様子から、怜悧な美貌に似合わず冗談が好きらしいということは察せられましたが、それにしたって、一般的にはどちらかというと美点に数えられるような特徴でしょう。
それから間もなく、日が暮れる頃には解散という流れになったので、レンリとは軽い自己紹介程度にしか言葉を交わしていません。結局、自身の抱いた感覚の理由も分からぬまま。
一言二言喋った中で、彼女が普段は迷宮都市に住んでいるという情報は把握していたので、宿屋から出てくる点にも疑問はありません。
「おや、そこにいらっしゃるのはレンリさまではありませんか。おはようございます」
「……えっと、おはようございます。コスモスさん」
身を隠していなかったので当然といえば当然ですが、足を止めて視線を向けていたレンリに、コスモスはすぐ気付きました。別にそんなつもりはありませんでしたが、まるで覗き見をしていたのがバレたような気持ちになったレンリは少々バツが悪そうにしています。敬語を使っているのは、まだ距離感を測りかねているからでしょうか。
「ああ、私に敬語は結構ですよ。どうぞ、楽な喋り方で」
「そうかい? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
コスモスは内心を見透かしたかのように言葉を崩すことを勧め、レンリもそれに従うことにしました。貴族令嬢の嗜みとして猫を被る能力は当然のように備わっていますが、気を遣わず省エネで済ませられるなら、それに越したことはないのです。
「コスモスさんはここに泊まったのかい?」
「はい、なかなか良い部屋でした。茶葉の趣味も悪くありません」
「食事が美味しいって話だから、私も一度くらい泊まってみようかと思ってるんだ」
先のやり取りで少しばかり警戒のハードルを下げたレンリが、世間話のつもりでそんな話題を振りました。宿屋には料理店を兼ねたような業態の店も少なくありませんが、「太陽楼」の食堂は宿泊客が寛げるように一般客は利用できないのです。すぐ近くの叔父宅に居候しているので宿に泊まる意味はあまりないのですが、いかにも食道楽のレンリらしいと言えます。
(なんだ、良い人じゃないか)
そして、ここまでの短いやり取りで、コスモスに対してそんな印象を抱いていました。昨日と違って一対一で話しているせいか、違和感もだいぶ薄れてきています。
人付き合いの関係においては「あの人の紹介なら信用できる」とか「この人と親しくしているなら信じられる」みたいに、すでに親しい誰かと近しい相手であれば、現段階で詳しく知らずとも好意的に見るようなことがあります。この場合のレンリの心理もそれに似たような種類のもので、ライム達の友人なら悪人ではないだろう……みたいな無意識下での思い込みが大なり小なりあったことは否定できません。
実際、コスモスが悪人かというと是とは言いがたいので、その判断が間違っているというわけではありません。悪人ではないからといって、その人物が必ずしも善人だとは限りませんが。
「ところで、レンリさまはこんな時間からお出かけですか?」
「あ、そうだった。うん、ちょっと騎士団の訓練場までね」
「ほほう、訓練場ですか?」
それが、レンリが久しぶりに早起きをした理由でした。
普通は騎士団、軍隊の兵が民間人と合同で訓練をするようなことは珍しいのですが、この学都では公民間の連携強化やら技術交換やらを目的として、合同訓練が定期的に行われています。実験的な試みではありますが、今のところは案外上手くいっているようです。
「ルー君……ええと、覚えてるかな? 昨日一緒にいたルグって子が怪我をしてたんだけどさ」
「ルグさまというと……ああ、あのショタっ子、もとい少年ですね」
何やら知らない言葉をコスモスが呟いていましたが、レンリは特に気にせず話を続けます。
「彼の怪我がもうだいぶ良くなってきたから、勘と筋力を戻すための運動をしたいらしいんだ。で、私と、あと一人ルカって子もいるんだけど、私達も最近サボり気味だったから身体が鈍ってるし、彼のトレーニングに付き合おうかとね」
「ふむ、そういう事情でしたか。健康的で実に結構ですな」
一時は死に瀕するほどの重傷を負ったルグでしたが、ようやく医者から運動の許しが出るまでに回復していました。しかし、怪我が治ったとはいえ、そのままでは以前のように動けるはずもありません。療養中に落ちた体力や戦闘の勘を取り戻さねば、護衛の仕事にも障りが出てしまいます。
そして、ルグの治療期間中はレンリやルカもほとんど運動らしい運動をしていませんでした。
彼女達は怪我をしていないので訓練くらいはいつでも出来たはずなのですが、レンリは読書や魔法の研究、ルカはストーキングなどの活動に忙しく、そのままなんとなくサボっている期間が延びてしまったのです。
レンリ達はルグと違い、自分自身を強く鍛えようというモチベーション自体が元々希薄なのですが、流石にこの鈍りきった状態で迷宮に入ろうとは思えません。体力もそうですが、それ以上に精神面の緩みを引き締めることも必要です。
……と、そういった事情を聞いたコスモスは、
「なるほど、なんだか面白そうですね。私もご一緒してよろしいでしょうか?」
今の話のどこに興味を持ったのやら。別に鍛える必要があるわけではないのですが、レンリに同行を申し出てきました。
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