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エピローグ⑦


 およそあらゆる芸事というものは、長い永い気の遠くなるような地道な積み重ねによって少しずつ上達していくものであり、安易な近道など望んでも大抵はロクな結果にならないでしょう。

 地道に、地道に、砂粒を積んで山を作るが如し。

 それこそが王道にして正道なのは間違いありません。


 しかし、何事にも例外というものは存在します。

 堅実に、着実に歩む時間や資金が足りないなどの理由があれば、やむを得ず近道を選ばざるを得ないこともあるでしょう。道理を踏み壊して、道なき道を行く無謀な賭けに出なければならない局面というのも、人生には存在します。常に万全の準備と余裕をもって本番に臨めるのなら、無論それに越したことはないけれど、予期せぬトラブルであったはずの余裕が失われることも時にはあるものです。


 演劇や芸術、武芸やスポーツなども含む、鍛錬による上達を要する世界においては、時に正気では成し得ないような大業を成す者が出てきます。狙ってできるものではないし、そもそも意図して目指すようなものではないけれど、理屈を超えた狂気、邪道によってしか届かない領域というものは確実に存在します。


 そういう意味では、此度の公演はその領域の一端に至っていたと言えるでしょう。

 拷問のような練習風景。絶対的に不足している時間。身を焼くような焦燥。

 比喩ではなく懸命に、命を懸けて本番に臨んでいました。

 演者から裏方までが、ある種の狂的な雰囲気に呑まれ、それゆえに本来の実力を超える成果を出すことができました。決して狙ってやったわけではなく、本人達も二度とやりたいとは思わないでしょうけれど。







 ◆◆◆







「……はあ」


 劇は前半と後半の二部構成。

 その間に挟まれた休憩時間になって、ルカはようやく感嘆の息を吐きました。

 貴賓室内にいた他の皆も、どこか呆けたような異様な様子。

 開始前までは果物を食べることに一所懸命だったレンリやウルでさえも、前半が始まった直後から飲食の手を止めて舞台上の光景に見入っていました。


 遮音の仕組みがある貴賓室であれば、劇の進行を邪魔する心配もなく逐一感想を言ったり雑談に興じても問題はないというのに、誰もが声を出すことも忘れてすっかり見入っていたのです。

 眼下に見える一般席の観客も似たようなもので、つまり観客の全てが舞台上の物語に夢中になり、圧倒されていたのでしょう。


 技術的に優れているというだけでは、恐らくこうはなりません。

 むしろ、単純に演技力だけを問うならば、今回の出演者達を上回る役者は探せばそれなりにいることでしょう。特別見劣りするというほど稚拙ではなくとも、目を見張るほどの技はありません。


 しかし技術ではなく役柄への入り込み具合、没入の度合いにおいて、今回の芝居は神懸かっていました。鬼気迫るとでも言うのでしょうか。登場人物を演じているのではなく、舞台上に本当に作中のキャラクターが生きて動き回っているかのような、圧倒的な存在感があったのです。



「す、すごかった……な」



 正直、炎天一座のファンであるルカをして不安がなかったわけではありません。

 昔、ルカの両親がまだ揃って生きていた頃なので、もう六年か七年ほど前でしょうか。故郷であるA国の王都にて、ルカはフレイヤの歌を聴いたことがありました。

 当時は一座の規模も今とは比べるべくもない小さなもので、飛空艇を拠点に使う話題性こそありましたが、人気に関しては他の伝統ある劇団や音楽団より遥かに小さなものでした。


 だからこそ、苦労してチケットを取るまでもなく歌を聴くことができたのでしょう。当時のルカはすでに内向的で引きこもりがちな性格が固まりつつある難しい時期でしたが、彼女の親はそんなルカを慮って時折そういったイベントに連れ出していました。そして、一目見るなり……いえ、この場合は一耳聴くなりでしょうか? とにかく一発でファンになって今に至るというわけです。

 生憎と、その後はA国での興行があっても一座の人気が高まってチケットが取れなかったり、ルカの家が経済的に一時困窮していたりで、最初の一回以来フレイヤの歌を聴く機会はなかったのですが、それだけに今回の公演はかなり楽しみにしていました。


 とはいえ、あくまで歌を本分とする者が、女優としてどこまで出来るのかは未知数。不安要素として感じられていました。ルカだけでなく他の多くのファンにも同様の懸念はあったことでしょう。話題性こそあれど、それは人気取りのための小手先の配役ではないのか、と。


 ……しかし、こうして蓋を開けてみれば全ては杞憂。


 不安を抱いていた者は、皆、己の見る目のなさを恥じ入るばかり。

 なるほど、歌唱の天才は演技の天才でもあったのか。

 天は二物を与えずなどと言うけれど、世の中には二物も三物もあるような例外的な才人もいるのか……などという率直な感想は、もしフレイヤや他の出演者が聞いたら猛烈な勢いで首を横に振って否定するでしょうけれど。








 ◆◆◆







「やぁ、みんなお疲れさん。はい、飲み物いるかい?」


 一方、その頃。

 ラックは劇場の控え室で舞台から戻ってきた役者たちに飲み物を配ったり、衣装や髪の乱れを直す手伝いなどをしていました。

 何故、部外者の彼がそんな裏方仕事をしているのかと問われれば、



「さぁ? えぇと、なんとなく流れで?」



 実は、本人にも周囲にもよく分かっていません。

 先日からほとんど泊り込みで、一座の身内のような扱いで手伝いに奔走し、そのまま惰性で本番に突入してしまったというだけです。しいて理由を挙げるなら、切り上げ時がなかなか見つからないせいでしょうか。

 まあ、指先が器用で何気に気配りもできるので、意外にもこういう裏方仕事が性に合っているのかもしれません。ラック本人も深く考えず、境遇を苦にしてもいないようです。


 もう少ししたら、正確にはもう明日には、ずっと前から計画していたロノの遊覧飛行が始まる予定なので流石に引き上げなければいけませんが、そちらの準備はとっくに終わっています。以前から宣伝しているので開始予定日は動かせませんが、客を乗せる鞍さえあれば他に準備らしい準備は要りません。

 それならばこの劇の初日公演を見届けて、それでキリ良くこの一座との関わりも終わりにしようかと、ラックは大雑把に考えていました。そんな風に考えていたのです……が。



「おや、フレイヤちゃん、お疲れ。飲み物いるかい?」


「あ、うん、ありがと。じゃあ、お茶は喉に良くないから湯冷ましを。あのね、ラック……」


「うん、なんだい?」


「ちょっと言っておきたいことが。えっと……なんて言ったらいいかな」



 と、ここでフレイヤは珍しく言い淀みました。色々あって多少の思慮分別が備わったとはいえ、基本的に自由闊達な彼女にしては珍しく言葉を選んでいるようです。



「ええと、ありがと。色々手伝ってくれて」


「なぁに、ほとんど僕が勝手にやってたようなものだしねぇ。お礼には及ばないさ」


「ううん、劇の準備もそうだけど、その前のことも」


「その前? ああ、でも、あれも結局僕が手を出したせいで話が拗れたみたいだし。やれやれ、慣れないことはするもんじゃないねぇ」


 ラックの言うことは決して謙遜というわけではありません。彼が気紛れを起こして人助けなどしようとしなければ、先日の事件がより早い段階で終息していた可能性は少なくないでしょう。ですが、それでも……、



「でも、さ。あの時、全部忘れて何も分からなくなって、ホントはすごく不安だったんだ。だから、ラックが助けてくれたのがすごく嬉しくて、えっと、だから、その……ありがとうございました」


「ああ。じゃあ、こっちもどういたしまして。さっきの『慣れないことはするもんじゃない』って台詞も撤回しておくよ。うん、たまには慣れないこともするもんだ」



 物語の主人公のように、華麗に格好良くヒロインを助けることはできなかったけれど、それでも彼がやったことは決して無意味ではなかった。

 たとえラック自身が否定しようとも、彼の行いで救われた者がいる以上、その一点だけは動かせないし、動かすべきではありません。


 事件以降、休む間もなく(比喩表現ではなく本当に不眠不休で)練習していた為に、ちょっとのお喋りをする程度の余裕もありませんでした。ついでに、精神的な余裕はもっとありませんでした。幾度となく本気で死を覚悟したものです。

 こうして本番を迎えて、まだ後半が残っている劇の途中でようやく時間が取れたというのもおかしな話ですが、お礼を伝えられたフレイヤはようやく肩の荷が下りたような気持ちを感じ……しかし、話の本題はここからでした。



「あのね、ラック。この公演が終わった後なんだけど、学都を離れてアタシ達と一緒に来る気はない……かな?」



あと二話くらいで今章は終わりです。たぶん。

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