エピローグ②
物事の後始末というのは大抵の場合楽しいものではなく、また決して進んでやりたいものでもありませんが、しかし誰かがやらねばなりません。
問題から目を背けていたらいつの間にか綺麗になくなってくれるのではないか? 自分以外の誰かが終わらせてくれるのではないだろうか? そんな風に考えてしまうのも、まあ愛すべき人間らしさではあるのですが、明確な期限がある場合はそう悠長なことは言っていられません。
世に数多の敵あれど、『時間』ほど融通の利かない強敵もなかなかいないでしょう。一分一秒をも惜しんで、弱音を吐く時間すらも惜しみ、心と身体をガリガリ削りながら、血を吐くような強行軍でもって終わらせねばならない場合もあるのです。
今回の件がまさにその類の無理をしなければならない状況でした。
作業そのものは大きく分けて、
①事件の情報を押さえ込む情報操作。
②火災があった劇場の修繕や清掃。
③本来の公演そのものの準備・練習。
もっと細分化しようとすればできますが、主となるのはこの三種類でしょう。
公演そのものに対する悪評や醜聞を避けるためにも、この①の工程は重要です。まあ、どれ一つ取っても、重要でない工程なんてありませんが。
そういう意味では、この①はまだマシなほうでした。
情報操作に関しては、関係者や劇場職員への口止め。新聞社などに睨みを利かせれば、そう難しくもありません。簡単ではありませんが、相対的に見ればまだ現実的に可能な部類。
劇場のオーナーである伯爵は、新聞社にも強い影響力があります。
決して気が進まなかったにしろ、新聞記事の内容を作戦上の都合で差し替えたことからもそれは実証済み。
それでも街の噂レベルの情報まで完全に拭い去るのは難しいでしょうが(火災発生時、屋内だけで火勢を押さえ込んだとはいえ、焦げ臭い匂いが漏れ出たことで劇場付近では少々の騒動はあったようです)、その程度なら捨て置いても自然消滅してくれるはず。
実際に火災に関して多少の噂にはなったものの、劇場の外観に影響がなかったおかげで、ちょっとした小火程度だと思われたようです。そう長く街の話題になることはありませんでした。
自分の劇場があわや焼失しかけたと知った伯爵は、哀れ、心労のあまり胃潰瘍を煩って最後には寝込んでしまいましたが、それでもどうにか役割は果たしたと言っていいでしょう。
だから、問題となったのは残る二つ。
②と③に関しては、真っ当な手段では明らかに達成できないように思われました。
②に関しては、焼け焦げて再利用不可能になった幕が数枚と、舞台上に置かれていた大道具小道具の類、演出に用いる機材、そして舞台上に開いた大穴。いずれも時間とお金をかければ修理可能ではありますが、しかし今回はその時間がありません。
世の中にはお金を出しても買えないような貴重品も存在します。
今回犠牲になったような舞台道具はそこまでの貴重品ではないにしても、基本的に一般の需要がない特殊な品ばかり。流通は極めて限られており、そこらの店で買えるような物はほとんどありません。普通なら発注してから完成までに数週間~数ヶ月かかるのもザラで、いくら大金を積んでもすぐに手に入る物ではないのです。
まさか、他所の街にある劇場から臨時で借りるわけにもいきません。それ以前に、相当に太いコネがなければ相手方との交渉に入ることすら不可能。まともな感覚をしていれば、話を持ちかけても悪い冗談と思われて門前払いが関の山でしょう。
真っ当な方法では、どうやっても不可能。
「これだけは、この手だけは使いたくなかった……っ!」
「ん。仕方ない」
だから、シモンは真っ当とは大きくかけ離れた反則に手を染める決断をしました。
まともな人間なら取り合わないような案件だというなら、まともではない、頭のおかしい相手に頼るというのは……たしかに、それはそれで一つの答えではあるのでしょう。
◆◆◆
火災発生の翌日。
学都南端の鉄道駅前にて。
「やあ、どうもこんにちは、シモンさま。私が来ましたよ」
「う、うむ、急に悪かったな、コス――――」
「この私が! どうしてもと頼まれたので! 遥々来てさしあげましたよ? ふふふ、いえ、いいのですよ。私とシモンさまの仲ではありませんか。我ら二人、生まれた時と場所は違えど死ぬ時は一緒だと、桃缶を食べながら誓い合った仲ではありませんか」
「いや、そんな武将のような誓いをした覚えはないぞ……」
昨夜のうちに手紙を送り、そして翌日のうちには到着した迷宮都市の友人は、いつも通りの平常運転。シモンとしては、早くも自分の決断を後悔しかかっていました。
わざわざ呼び寄せたのを即座に追い返そうかという考えも、割と真剣に検討しましたが、この頭のおかしいホムンクルスが恐ろしく有能なのも確かなのです。彼女が手伝ってくれるならば、あるいは不可能に思える状況を解決し得るくらいには。
頼りになる知り合いというなら、他にも数名ほど心当たりがなくもないのですが、頼れるといってもそれは基本的に戦闘力の話であり、修理やメンテナンスのような作業にはあまり向いていないのです。事実上、選択肢はないも同然でした。
「すまぬが、今は時間がない。概要については手紙に書いた通りなのだが……」
「ああ、劇場がなんちゃらってやつですか。シモンさまに貸しを作れるのが嬉しくて、どんな風に埋め合わせをしてもらおうか考えるので手一杯になりまして。じつは手紙の後ろのほうは適当に流し読んだだけなのですよ」
「いや、流すなよ!? ちゃんと読めよ!」
シモンはなんだか泣きたくなってきました。案件を全く把握していないとなると、最悪、役立たずが一人増えただけということになりかねません。
ただ話しているだけなのに、精神がカキ氷のようにガリゴリ削れていきます。この調子に付き合っていたら、いつか心が削れてなくなってしまうかもしれません。
「まあ、それは冗談なのですが」
幸い、案件の内容は理解していたようです。
「必要になりそうな資材はあっちで一通り揃いましたので、貨物車を借り切って運んできました。舞台の寸法に合わせて多少の調整は必要になるでしょうが……まあ、なんとかなるでしょう」
「お、おお、そうか。頼んでおいてなんだが、よくこの時間で揃ったな?」
「ええ、私が個人的に経営している淫魔族のストリップ劇場に予備の資材があったもので。そうだ、無料券を差し上げますので、お近くにお寄りの際にでもご利用ください」
「お……おお、そうか。いや、使う予定はないから遠慮しておく」
「そうですか? 先日、お忍び旅行中だったシモンさまのお父上もいらしたのですが。支配人の報告によると随分と豪快にチップを弾んだそうで、お店の娘たちに大層モテていたとか」
「な、何をやっているのだ父上……」
「まあ、考えてみれば親子だからといって性癖が同じとは限りませんか。ちなみに、お父上はおっぱいの大きい娘が好みだったそうですよ。こう、金貨を一枚ずつ胸の谷間に挟んでいって落とさなかった分だけプレゼントという高尚な遊びをしていたとか。いやはや、やんごとなきお方は考えることが違いますなぁ」
「ち、父上ぇっ!?」
品物の出所はさておき、一番のネックだった資材の調達はどうにかなりそうです。
それと引き換えに何か大事なものを失った気もしましたが。
シモンの父であるこの国の前王は高齢を理由に退位して公務を離れ、今はちょくちょく国内外を行き来して余生を送っています。諸国漫遊の旅を楽しんでいるという概要はシモンも聞いていましたが、息子が考えていた以上に引退後の人生をエンジョイしているようです。むしろ、王位に就いていた頃よりも若々しく活動しているかもしれません。
「修理の人手に関してもご安心を。じつは不肖この私、将来の夢は大工さんだったのです」
「いや、一秒でばれる嘘をつくなよ」
「ふふふ、そこについては嘘なんですが、人手は嘘ではありませんよ。私の頼れる弟妹たちを連れてきていますので。将来の夢は大工さんの弟妹たちを」
「同じネタを引っ張るな。それはともかく、劇場の修理とかできるのか?」
「さあ? みんな日曜大工くらいの経験はあるので、なんとかなるんじゃないですかね?」
「日曜大工って……その情報、逆に不安しかないぞ」
「不安ですか? 休日に一夜城とか作って遊んでいるんですが。魔界にあるお父さんの城の前に、夜中のうちにそっくり同じのを建てて城勤めの皆さんを驚かせたりしたものです。ふふ、我々が『どっきり大成功』のプラカードを持って出てきた時の反応は傑作でしたね」
「『日曜大工』とか『一夜城』ってそういうのではないだろうに……いや、頼もしいのは分かったが」
話せば話すほどに突っ込みどころが増えていき、冗談の中に冗談のような真実が混入されているので非常に読み取るのが難しくはありますが、この助っ人たちが頼りになるのは間違いなさそうです。天才的を通り越して、もはや天災的ですらある能力は、たとえ目的を完遂できてもその過程でどれほどの被害を生むかわかりませんが。
「さて、来る時の列車の中で学都の観光プランを練っていたので、ひとまず街をぶらぶら観光して暇な空き時間にでもそちらの用事もパパッとやっちゃいましょうか。片手間で」
「頼むから! 観光なら、こっちの用事を終わらせてからにしてくれ!」
「やれやれ、仕方がありませんねぇ」
この後も万事が万事、この調子。
迷宮都市から招聘された助っ人は、その確かな能力で劇場の修理、清掃、点検等に取り掛かり、作業中にも絶え間なくボケ続けてシモンの胃と精神に多大な負担をかけ……その尊い犠牲の甲斐もあって、どうにか本番までに間に合わせたのでした。
◆◆◆
そうして、前述の①と②の工程には目処がつきました。しかし肝心の芝居そのものの準備、③の工程が終わらないことには全てが無駄になってしまいます。
本来はこれだけで良かったはずの、当初のスケジュール通りに進めていれば余裕をもって終わっていたはずの工程ですが、事件のせいで進行は遅れに遅れています。それを間に合わせるためには、やはり真っ当な手段では難しいと言わざるを得ませんでした。




