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迷宮アカデミア ~咲き誇れ、きざはしの七花~  作者: 悠戯
四章『響楽紅蓮劇場』

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取り戻せ! 失われた記憶


 どうやら、ここはハズレだったようだ。


 ルカ達が通用口からの不法侵入を決行した、その少し前。

 一足先に劇場内に侵入し、そして客席から無人の舞台を目にしたフレイヤは、そのような感想を抱いていました。


 それは論理的な考えに基づく結論ではなかったけれど、舞台を見ても心に響くものがない。記憶の手がかりにはなりそうもない。得られたのは、そういった感触のみでした。

 もしかしたら来たことがあったかもしれない。

 あるいは、たとえ来たことがなくとも元の己の仕事に関係深い場所を訪れれば、それが刺激となって記憶が蘇るのではないかという目論見は、残念ながら外れてしまったようです。


 作業日程の関係か、フレイヤたちが辿り着いた時は舞台周辺に人の姿はなく、また劇場内にいるであろう職員や警備員は、ライムがさも当然のように気配で位置を把握していました。

 ライム曰く、これだけの広さの建物全体に気を配ろうとすると、気配を殺せる使い手は見逃してしまう恐れがあるそうですが、それに関しては杞憂というものでしょう。


 また侵入に当たっての鍵開けは、こんなこともあろうかと、いつも針金を服の縫い目に仕込んでいるらしいラックが、ものの十秒もかけずにあっさり開けていました。本人は「手先が器用だから」といつも通りの適当な調子ではぐらかし、ライムはその説明で納得していましたが明らかにプロの仕事です。

 鍵師や犯罪捜査をする人間もその手のスキルは持っているでしょうし、よってイコールで犯罪者とまでは言えませんが、ラックが錠前破りについて専門の知識と技能を有しているのはほぼ確実だと思われます。そんなに分かりやすいのは、彼自身にその手の技術を隠す気がロクにないからというのもありますが。

 「こんなこともあろうかと」と言う彼が、どんな事態を日常的に想定しているのか気にならなかったと言うと嘘になりますが、あまり深く追求すると数少ない協力者を失ってしまいかねません。フレイヤもその点については見なかったことにしました。


 まあ、ライムにしろラックにしろ頼もしい、過剰に頼もしすぎる味方であることは確かです。二人の尽力もあって、不法侵入を咎められてトラブルに発展する恐れが少ないのは幸いでした。が、苦労してここまでやって来たのに、成果なしの空振りというのは、少なからず堪えるものがありました。


 もう随分と前に思えますが、ライムやシモンと運良く出会った時点で劇場に向かう意味は薄れていて、こういう結果も可能性の一つとして受け入れてはいました。

 そういう覚悟もしていたつもりでしたが、それでも想像するのと実際に体験するのとではダメージは大きく違ってきます。


 人目を避けながらこそこそと、そして途中からはフレイヤの爆弾のような「体質」のことを聞かされたせいで重圧が増し、心身には少なからず疲労が溜まっていました。

 今朝からここまで身を休める機会などなく、それでも気を張って、気力だけで動いているような状態でした。それがここへ来て空振りという区切りがついてしまったせいで、忘れようと努めていた疲労を自覚してしまったのでしょう。

 ずっと行動を共にしていたラックも、そして何やら元々疲れ気味だったらしいライムも、フレイヤの面持ちから悪い意味での手応え、もしくは手応えの無さを感じ取っている様子です。



「さて、どうしようかねぇ?」


「休憩」



 だから、ラックの独り言のような呟きに対し、ライムが返した提案は、ある意味とても的確ではあったのでしょう。どんな人間も、あるいは魔族であろうがエルフであろうが、動き続ければ疲れます。疲れたままでは、いざ動こうという時に十分な働きができませんし、注意力や思考力も少なからず鈍ってくるでしょう。


 疲れたから、休む。

 赤ん坊でも、動物でも、記憶喪失でも知っているような単純明快な論理です。

 そして、それは非常に魅力的な誘惑でもありました。

 三人の気分的にはこのまま明日の朝までぐっすり眠りたい気分ではあったけれど、流石にこの劇場内でそこまで気を抜くことはできません。現在は夕方ですが、日が完全に落ちるまでの一時間か長くとも二時間程度。その間だけ劇場内のどこかに隠れ、日が完全に落ちたら夜闇に隠れて出て行けば、街中でもスムーズに移動ができるでしょう。


 そこから先は迷宮内のライムの家かシモンの屋敷か、そのどちらかに辿り着ければ安心できる。「悪の組織」がどれほどの規模であれ、易々とは手が出せなくなる……と、彼女達はそのように考えていました。安易にも。

 その予想を楽観的と切って捨てることは容易いですが、未だ思考材料の不足している彼らにしてみれば仕方のないことでもあったのでしょう。

 またフレイヤとラックに関しては、先程の賊の一味(と、彼らが思い込んでいる伯爵の配下)に襲われた際に、ライムがあまりにも鮮やかに屈強そうな連中を倒してのけたものだから、万が一再び襲われるようなことがあっても同じように撃退できるだろうという無意識の油断もあったかもしれません。


 あるいは、その判断こそが疲労からくる思考力の低下の顕れだったのでしょう。

 記憶という指針を持たないフレイヤはともかく、ラックとライムについては、少なくとも普段の彼と彼女であれば休憩を取るにしても、成果なしと判明した段階で劇場からは即座に離れていたはずです。


 たしかに劇場は、どこに人目があるか分からない屋外と違って、隠れるに易い。

 座席の隙間に身を伏せたり、倉庫や控え室などの部屋数も多い。それらのメリットだけを見れば、一時的な潜伏場所とするには悪くなさそうにも思えます。

 しかし、出入り口の数が限られている建物は探すにも易いもの。

 たとえば敵が人海戦術でもって施設を封鎖し、虱潰しに建物内を捜索するようなことがあれば、簡単に見つかってしまうでしょう。


 まあライムなら、いざという時には劇場の天井なり壁なりに大穴を開けて強引に脱出できるかもしれません。それこそ、いざとなれば大規模な攻撃魔法で劇場を木っ端微塵に粉砕すれば追い詰められるも何もありません……が、いくら彼女でもそこまでの被害を出すことは、なるべく控えたいと思うでしょう。思うはずです。たぶん思うんじゃないかと思います。

 彼女一人ならそこまで思い切ることはないかもしれませんが、今回の件についてはシモンから二人の身を任されたという責任感が悪い方向に作用する可能性もあります。これに関しては「いざという時」が来ないことを祈るほかありません。







 ◆◆◆








 三人が隠れ場所として選んだのは劇場で一番目立つ場所、すなわち舞台上でした。舞台全部を隠せる緞帳(どんちょう)も上がったままでしたが、しかし、客席からは彼らの姿は見えません。

 舞台の「幕」と一口に言っても実際には多々種類があるもので、前述の緞帳や、舞台端の見切りを隠すための袖幕、劇中の演出に使う暗転幕……等々、それ以外にも色々ありますが、現在彼らは舞台端にかかっている袖幕の裏に潜んでいました。


 都合の良いことに、近くには製作途中らしい背景の書き割りが置いてあって、それも姿を隠す一助となっています。当然、照明も落ちているので、物音を立てない限りはかなり近付いても見つかることはないでしょう。

 もし彼らを探す者が劇場に辿り着いたとしても、これほど目立つ場所は逆に意識の死角になって気付かれにくいのではないか。そんな考えも全くなくはありませんが、舞台上という休憩場所を選択したのは、単に疲れてそれ以上歩きたくなかったからという理由が大きいでしょう。

 柔らかなベッドとは比べ物にならないにしろ、板張りの床のひんやりとした感触が疲れた身体に心地良く、うっかり気を抜くとそのまま寝入ってしまいそうです。



「おお、こりゃ結構気分がいいもんだねぇ」



 眠気を紛らわすためのお喋り……というだけではないのでしょう。ラックは、大劇場の舞台上という珍しい場所に好奇心を刺激されているようです。

 たしかに、本来であればこの舞台には役者か施設関係者くらいしか立ち入れないはずで、一般人が上がることはできません。ある種の聖域とすら言えるでしょう。差し迫った事情がなければ、ゆっくり見学するのも面白いかもしれません。



「ちょ、ちょっと、ラック。ちゃんと隠れてってば!?」


「大丈夫、大丈夫。誰もいないしさぁ」



 冒険心と、それと少しばかりの悪戯心ゆえか、ラックはスタスタと舞台の中央へと歩いていってしまいました。フレイヤはそれを見てビクビクしていますが、現在舞台が見える位置には他に誰もいません。

 誰かが近付いてきたら察知したライムが止めるでしょうし、施設が施設なので壁や扉の遮音性能もしっかりしているようです。話し声くらいなら外に漏れることはないでしょう。

 まあ、だから見た目ほどの危険はありません。

 フレイヤも言葉ほどには彼を諌める気はないようです。単に疲れているから立ち上がるのが億劫だという理由もあるかもしれませんが。


 片や舞台中央、片や袖幕の裏。

 お喋りを楽しむにはやや遠い間合いですが、お互い気にする様子もなし。

 お互いのことを詳しく知っているとは到底言えないけれど、それでもこの一日で、相手の無作法を気にせず飲み込める程度には近しい関係になってはいました。男女の色っぽさとは無縁の友人関係。あるいは、友人ではなく共犯者と称すのが相応しいのかもしれませんが。


 見慣れない装置を見つけては「あれはなんだろう?」とか「これはどう使うんだろう?」とか。

 話した内容は特に意味のない雑談ばかり。

 でも、出会って丸一日と数時間、ラックとフレイヤの会話は記憶がどうの追っ手がどうのという真面目な話ばかりだったせいか、二人にはそんな無意味な雑談がやけに新鮮に面白味をもって聞こえていました。


 人目を気にしなくていいというのも相当に気楽で、開放感を感じるものでした。問題は何も解決していないに等しい状況であり、その開放感は錯覚にも等しいのですが。

 しかし、その錯覚を錯覚と理解した上で、その心地良さにこのまま浸っていたいと願うのは、ここまでの過酷な道程を思えば無理からぬことではあるのでしょう。




「いやぁ、絶景かな絶景かな」


「絶景? そこから何か面白いものでも見えるの?」


「観客席」



 雑談の最中。そんなやり取りがありました。

 フレイヤが観客席を見ても、当然ながら空席が並んでいるばかりで、とても絶景とは言えないように思えます。



「なぁに、ちょっと想像してみたのさ」


「想像って?」


「ほら、客席にはお客が付き物だろう?」



 いえ、正確にはラックも現在目に映る光景そのものを指して言ったのではありません。観客席は、お客がいなければただの椅子。

 だから、ガラガラの空席に無数のお客が座っていて、そして舞台上のスターである自分に拍手喝采を送っている……みたいな、愉快な妄想をしていたようです。

 列車強盗なんて大それた真似を企んだり、カジノでギャラリーが集まるほどの大勝を繰り返した彼には当然目立ちたがり屋の気があるのでしょうし、そんな想像はたしかに気分が良さそうです。

 軽薄な雰囲気が台無しにしていますが、顔だけ見れば相当なハンサムであるラックは、黙っている限りはそうして舞台に立っているのが様になっているようにも感じられます。



「……あ」


「うん、どうかしたのかい?」



 ラックとしては、今言ったようなことは単なるお喋りの一環であり、別にそのアイデアで何らかの問題解決を図ろうなどという気は全くありませんでした。観客云々の妄想も、それで笑いの一つも取れればいいという冗談のつもりで口にしただけです。



「あ……あ、あ」



 フレイヤが観客席から舞台を眺めた際には、特に感じるものはありませんでした。

 それは当然。なにしろ、本来の彼女は舞台の上に立つ者であり、ならば見せるべきは、彼女が見るべき場所はどこか?

 

 そう、歌手であれ俳優であれ、舞台の上に生きる者が見るべきは観客席。

 それもガラガラの空席ではなく、大勢の観客が所狭しと詰め掛け、その誰もが夢の世界に目を輝かせている。そんな「絶景」を、たとえ言葉に釣られて想像しただけにせよ、そのイメージはあまりにも強烈で……そしてフレイヤには見覚えがありました。



「もう少し……あと、ちょっとで思い出せそうな感じが……」


「フレイヤちゃん、もしかして記憶が!」


「しっ。静かに」



 ラックとライムも少し遅れて彼女の異変に気付き、しかし、思い出すのを横合いから邪魔してはいけないと口を噤んでいます。素人目に見ても、今の彼女が非常に不安定な状態にあるのは明らか。下手に声をかけると、思い出しかけた記憶を取りこぼしてしまう恐れがあります。



「あ……そうだ、アタシ、は……っ」


 

 その不安定な状態のまま、三分が過ぎ、五分が過ぎ……そして十分に届こうかという頃。最初はぼんやりと曖昧だったフレイヤの幻視は、今ではもう観客一人一人の顔まで鮮明に思い出せるくらいになっていました。

 そのイメージに引きずられるかのように他の記憶も次々に浮かび上がってきて、もうあと一息で全部を取り戻せそうなところで――――。






『あっはっは、お久しぶりね! ここで会ったが百年目。さあ、覚悟するがいいの!』


「え……あ、あれ? アタシは……なんだっけ? えっと、喉元まで出掛かってる気はするんだけど」



 どこからともなく大音量で聞こえてきた幼女の宣戦布告によって、思い出しかけた記憶はすっかり引っ込んでしまいました。



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