表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
268/1047

潜入せよ、エスメラルダ大劇場!


 時間的にはそろそろ夕方頃。逢魔が時と言うにはまだ早く、その手前の、真っ赤な夕日が街を染め始めたあたりでしょうか。



『くるるるる』


「ふんふん。兄ちゃん、あの建物の中にいるっぽいってさー」



 ロノの嗅覚を頼りに進んでいた一行は、より具体的にはロノとレイルとルカとルグとレンリとウルとゴゴは、学都(アカデミア)の南側に位置する『エスメラルダ大劇場』の前で足を止めました。


 合流してからここまで移動するのに、普通に歩くよりも遥かに時間がかかってしまいましたが、まあ、それに関しては仕方がありません。

 手がかりとなる「匂い」はもちろん常時放散されているものですが、密閉空間ならともかく屋外では時間の経過と共に拡散し、最終的にはロノの嗅覚をもってしても判別できないほど薄まってしまいます。途中で強風が吹いたり、雨でも降ったりしていれば追跡を断念せざるを得なかったであろうことを思えば、これでも上々の結果と受け入れるべきでしょう。


 それに、追跡に時間がかかった理由は他にもあります。

 彼らが追っているラックが(正確にはラックはオマケで、目的は彼と一緒にいるであろう有名人ですが)、どうやら街中をあっちこっち不規則なランダム軌道で進んでいるようで、それを追う彼らも自然とその不合理的なルート選択に振り回される形になってしまったのです。

 不合理的というのはあくまで追う側からした場合で、人目を避けながら逃げる側にしてみれば合理極まる最短ルートなのですが、それは言っても詮なきこと。



「ここに……いる、のかな……?」



 追跡の終着点が劇場というのは、目指す相手の肩書きを考えると、いかにも「それっぽい」感じがします。ルカ達にしてみれば、最悪、ラックと歌姫が一緒にいるという推理が全くの的外れという線もあり得るわけで――なにしろ、ここに至った理由は昨日の時点でのロノの『目撃証言』が元になっています。その情報自体は信頼に値するとしても、その後も二人が行動を共にしているとは限りません――だから、劇場というラック一人だったら絶対に行かなさそうな場所に彼がいるという事実は、「同行者」の存在を期待させました。


 しかも、どうやら本日は劇場は休館日のようです。

 より正確には、これより前の興行が終わり、次に件の芝居をやるための入れ替え期間。大掛かりな大道具の搬出・搬入や設備の調整には相応の時間がかかりますし、そうした舞台裏の部分をお客に見せないための措置でしょう。


 これだけ巨大な施設ともなれば、休日であっても当直の職員なり警備員なりはいるのでしょうが、逆にそうした関係者でもなければ誰も来ないはず。そう、たとえば間近に迫った公演の主演女優などであれば、それは十分に関係者と言えるでしょう。

 仕事前に現場の下見をするとか、劇場スタッフと顔合わせをしておくとか……まあ、その辺りは一ファンに過ぎないルカにはぼんやりと想像することしかできませんが、いかにもありそうな話です。ますます、期待が高まってきました。


 それと同時に、ここまで予想だにしていなかった問題にも気付きましたが。



「どうしよう……入って、いいの……かな?」



 別に強盗に入ろうというのではないのですから、こっそり忍び込んで館内の警備員に見つかったところで法的な罪に問われたりはしないでしょう。きっと。

 最悪の場合でも、恐らくは悪質なファンとして厳重注意を受ける程度で済むでしょうが……ですが、もちろん進んでペナルティを受けに行きたいとは思いません。


 かつてはルカも消極的ながら列車強盗という大それた真似に与したものですが、彼女も随分と丸くなったものです。もっとも、当時と今とでは切迫度合いが天と地ほども違いますが。

 生活や生命の危機といったものが実感を伴うほどに追い詰められない限りは、ルカは悪いことをしようとは思いません。根本的に悪事というものに向いていないのです。


 そもそも本日のあれやこれやに関しては、ルカにしてみれば遊び半分どころか十割全部が遊びそのもの。いくらなんでも自身の好奇心を満たすために犯罪行為に手を染めるのは流石に憚られます。

 こんな落とし穴が待っているというのは全くの予想外。目の前の建物内にいるのがほぼほぼ分かっていながら、手を出せなくなってしまいました。


 しかし、簡単に諦めて帰るというのも抵抗があります。

 ここまで来たのがルカ一人であったなら、あるいは、そのまま後ろ髪を引かれながらも未練を断ち切って、とぼとぼ帰ったかもしれませんが、捜索のために友人や弟を巻き込んで午後いっぱい付き合わせてしまったのです。

 ルカ以外は件の歌姫にさほど興味がなさそうではありましたが、彼らとしても折角時間と労力を費やしたのだから、全く成果なしというのは好ましい結果ではないでしょう。



「えと……そ、そうだ、みんな……」



 だからルカも知恵を絞って、兄か目的の人物が建物から出てくるのを待つという、消極的かつ平穏な出待ち作戦を考えました。これだけの規模の建物になると出入り口の数も相当多くなってくる上に、下手をすると相手が出てくるまで何時間も待たなければならないという、穴の多い作戦ではありましたが。兎も角、ルカは連れの面々にその消極策を提案しようと思ったのですが……、



「おーい、ルカ君。こっちこっち。裏口から忍び込めそうだよ」


『このくらいの鍵でしたら簡単なものですね。もし咎められたら、その時は元々鍵が開いてたって言えば大丈夫でしょう』


「え……? えっと、あの……え?」



 幸いと言うべきか、残念ながらと言うべきか。

 ルカの連れの面々、その大半はルカよりも遥かに悪事に抵抗がなく、そしてルカが気付いた時には既に裏口のピッキングを完了させていました。仮にも非合法行為を生業とする家の娘をして、驚嘆を余儀なくされるほどに鮮やかな手際です。


 どうやら、目立たずに出入りできる職員用の通用口をレンリが目ざとく発見し、ゴゴが指先を鍵に変形させて一瞬で解錠を済ませたようです。

 身体の一部、または全部を剣に変形させられる(厳密には剣が人の形になっているというのが正確ですが)ゴゴの能力は、「剣」という言葉を「金属の塊」と拡大解釈することによって、どんな形状の扉にも対応した万能の鍵にもなり得るようです。

 ゴゴの場合、扉そのものや壁を物理的に切り開いたほうが早くはあるのですが、今回は痕跡を残さないことを優先したようです。


 ちなみに、この場のメンバーの中でもルカと同じく常識人寄りの感性を持つルグは、



「まあ、なんだ……言って聞く奴らじゃないし、見つかったら俺も一緒に怒られてやるから」


「ご、ごめん……ね」



 ……と、すでに色々と諦めていました。

 もちろん不法侵入を見逃すことに抵抗がないわけではないのですが、口の上手さでレンリに敵うはずもありませんし、実力行使でも止めるのは無理でしょう。怪我をしていなかったとしても、恐らく彼一人では止められません。

 一応、傷害や盗難といった本当に洒落にならない犯罪には手を染めないだろうという、友人達に対する後ろ向きな信頼もあり、既に彼の中では尻拭いに注力する方向で覚悟が決まっているようです。


 なお、そんな形であっても彼からの気遣いを受けたことを嬉しく感じてしまったり、それで緩んでしまいそうになる頬の筋肉を押さえつけたりと、ルカもルカで忙しくしていました。

 ちょっと前に比べればこれでもだいぶマシにはなりましたが、彼女の恋の病はかなり末期的な段階まで進行しているようです。その病因と特効薬が同一人物なのが悩ましいところですが。


 まあ、そういった事情により一行のほとんどは劇場内にこっそりと忍び込み……そして、結果的には不法侵入を誰かに咎められることもありませんでした。なにしろ、この後すぐに、それどころではなくなってしまったのです。







 ◆◆◆







「流石に、ここはロノじゃ入れないしなー」


『きゅぅ……』


 そして、ルカたち一行とあっさり別れた一人と一匹。

 レイルとロノは特に未練もなくその場を去ろうとしていました。いくら巨大な劇場でもロノが入るには狭すぎますし、よしんば入れたとしても誰にも見つからずに中を歩き回るのは不可能です。

 元々、流れで姉の手助けに向かっただけで、さして興味があるわけでもなし。結果的に仲間はずれのような形になってしまったせいか、ロノは少々残念そうですが。



「気にすんなって、ロノ。ほら、人生って思い通りにならないのが普通だしさー?」


『くるるぅ……』


「あれ? グリフォンの場合でも『人生』でいいのかな? それとも『グリフォン生』?」


『くるる?』



 妙に悟ったようなことを言う五歳児の励ましを受けて、心なしか余計に落ち込んだようにも見えますが、ともあれ彼らは一足先に帰宅することにしました。

 幸い、近くには公園(彼らは知りませんが、数日前に酔っ払ったタイムが野宿していた場所です)もあるようです。人通りを見て空いたタイミングを狙えば、飛び上がるのに必要な助走距離も軽々稼げます。

 一度空に上がってしまえば、屋敷まではあっと言う間。思ったより遅くなりましたが、これなら夕食までに間に合うでしょう。



『きゅ?』


「ん? あれ、シモンの兄ちゃん?」



 空を飛んで帰る途中、同居人の青年が何やら慌てた様子で劇場のほうへと向かうのを見ました。ロノが飛ぶのと同じかそれ以上の速さで建物の屋根から屋根へと駆けているのを見るに、どうやら相当急いでいるようですが。



「ま、別にいいかー」



 着陸場所を探すのも面倒だし、急いでいるなら邪魔をするのも悪い。何よりお腹が空いていた彼らは地上と上空とですれ違い、そのまま何事もなく帰宅しました。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ