みんな、正直になぁれ♪
セルフイメージ。
他者がどのように自分を見ているかとは反対に、自分が自分自身をどのように捉えているかという意味合いの言葉です。
意識的にしろ無自覚にしろ、人は誰しも「自分はどのような人間であるか」という考えを抱いており、そこに例外は……基本的にはありません。
流石に自我が確立する前の赤子であるとか、あるいは記憶喪失者のようなレアケースは別にしても、世の大半の人間はそのセルフイメージをある種の頼りにしたり、もしくは縛られているのです。それ自体はごく当たり前の、良いとか悪いとかの判断以前の前提条件みたいなものでしょうが。
タマゴが先か、ニワトリが先かみたいな話にもなってきますが、人は各々が抱く「自分はこういう人間である」という基準に従って、それっぽい「自分」を演じているとも言えるのです。
よく「生まれ変わったような気持ち」で物事に取り組むだとか、「本当の自分」を探すだとかの言い回しがされますが、実際には時間をかけて強固に作り上げてきた「自分」から逸脱するのは生半なことではありません。
それは言わば人生という道を進むための道標や羅針盤のようなもので、よっぽどの決意をもって思い切るか、あるいは文字通り自分を見失うほどのショックでも受けなければ手放すことは難しいでしょう。そういう観点からすると、炎天一座が誇る才女オルテシア女史は現在とても貴重な経験をしていました。
「殺してください。さもなくば死にます」
「それ、取引として成立しておらぬだろう。いや、それ以前に死なれては困るのだが」
大勢が領主館の廊下を全力ダッシュしたせいで少なからず揺れが発生し、それを地震と勘違いしてパニックに陥った女史は、普段の彼女を知る者が見れば信じられないような醜態を晒してしまいました。
いえ、体験したことのない災害に慄くのも、それで怖くて泣いてしまうのも、決して恥ずかしいことではなく醜態などと呼ばれるべきではないのですが、他の誰でもない女史本人がそう思っているのだから正しようもありません。幸い正気に返るまでに時間はかかりませんでしたが、今度は自身の振る舞いに絶望して冷静に自害を検討していました。
ちなみに、揺れと悲鳴には数分ほどのタイムラグがありましたが、あれは単に怯えすぎて声も出せない状態から、どうにか声が出せるまでに回復するのにそれだけかかったのだとか。
悲鳴を聞きつけてやってきたシモンとしては、なんらかの被害者が生まれるような事態でなかったのは良しとしても、しかし、これはこれで対応に困る状況です。言うまでもなく要求を聞いてやるわけにはいきませんし、されど殺してくれないなら死ぬというのですから。
「…………」
しかし、普段はとても聡い人物である女史は、表面的な言葉ほど思い詰めていたわけではありません。たしかに、物凄く恥ずかしいし、醜態を帳消しにするために消えてしまいたいと思いはしたけれど、冷静な彼女は自身のそうした気持ちが、平静を失っているが故の一時的な衝動に過ぎないということも理解していました。理解できてしまっていました。
オルテシア女史は周囲からは融通の利かない堅物であると思われていますし、彼女自身も大方の部分についてはその通りであると思い、自他に対して厳しくあるよう努めています。形容するなら「鉄」とか「氷」とか、そんなカチカチした感じでしょうか。
座長のフレイヤを代表例として、一座のメンバーは大なり小なり自由奔放に過ぎるため、ブレーキ役としてはそういう性格だと思われていたほうが、なんなら怖がられているくらいのほうがまとめ役として業務上好都合ではあるのです。女史本人もそれを自覚した上で、意識的にそういう「自分」を演じていた部分がないでもありません。
一人の女性としては、一座の明るく可愛らしい女の子達に憧れるような気持ちも、自分がそういうイメージとは全く縁のない可愛げのない性格であることに対する劣等感も、それぞれ全く無くはないにしても、そういった弱みになる部分は極力隠すようにしていました。
しかし、そんな彼女も当然生まれながらにカチカチの堅物だったわけではありません。まだ幼い頃には、将来の夢を聞かれて「お嫁さん」と朗らかに答えるような、可愛らしい女の子だったこともあるのです。
残念ながら当時の夢は未だ叶っていませんが。なおかつ三十路の壁の圧迫感が年々強まってきてはいますが、まあ、それはそれとして……自身が自身に対して抱くセルフイメージとは、たしかに多くの場合は他人が抱くそれよりも正確ではあるのでしょうが、決して100%正しいとは限りません。
むしろ、自分自身のことを全部正確に把握しているような人間なんて、この世のどこにもいないでしょう。他人を客観的に見ることは容易くとも、見る対象が自分であるなら、どうやっても主観というフィルターを通さざるを得ず、また距離があまりに近すぎるが故に見えにくくなっている部分も確実に存在するはずです。
だから、この時のオルテシア女史は羞恥からくる自己嫌悪で頭を抱えながらも「ああ、自分にもこんな風に危地にあって悲鳴をあげるような可愛げが残っていたのだなぁ」と、自分自身も知らなかった新たな一面を発見して奇妙な感慨を覚えたりしていました。
そうこうしている間に、次第に落ち着きを取り戻してきて――、
「ええと……先程は何も見なかったということで、どうか何卒」
「う、うむ。よくわからぬが、それで落ち着いてくれるなら是非もなし。ところで、どうやらこの家の者ではなさそうだが、貴女は何者なのだろうか?」
◆◆◆
「じゃあ、あんまり時間がなさそうだから細かい自己紹介は端折っちゃうとして、皆の情報を整理しようか」
物語のキーパーソンとなり得る面々が領主館に集ってからも紆余曲折がありましたが、それはもう曲折しすぎて捻じ切れてしまいそうな勢いでしたが、ようやくシモンとタイムと伯爵とオルテシア女史が顔を合わせるに至りました。
ちなみに、現在の場所は先程までシモンと伯爵が話していた応接室。話の流れを仕切る進行役はタイムが務めています。どうして、この中で一番関係がなさそうなタイムが重要な役を任されているかというと、それはすなわち、どう考えても彼女が一番無関係そうだから。
この場に集った面々の誰もが、状況と情報の間にある違和感を少なからず抱いており、その違和感を明らかにするならば、変な思い込みや予備知識が少なく事件を客観的に見られる者が適任だろう、といった具合です。
加えて、タイムの空気の読まなさというのも、公平なジャッジが求められる司会向きの素養でした。
読めなさ、ではなく読まなさ。
文字にすると僅か一字の違いですが、この差は決して小さくありません。
タイムは決して場の空気を読めないわけではありませんし、むしろ敏感に雰囲気を感じ取れる感性を有してはいますが、それはそれとして、しっかり空気を読んだ上でそれを平気でブチ壊せるような恐るべき人格を有しています。
変に相手の身分とか立場を斟酌して気後れするということも全くありません。ある意味、爆弾そのものとも言える危険人物ですが、危険物も使い道次第で役に立つのが世の常というもの。
「みんな、聞かれたことには正直に答えるようにね。この期に及んで嘘を吐いたり、変な駆け引きとかしようとしたら、一生消えないインクで顔に落書きの刑だから。ピンクの豚とか可愛いと思うんだけど、どうかな?」
進行役というよりも、まるで拷問吏か何かのようですが、しかしどっちにしろ優秀な人材には変わりません。タイムは「やる」と言ったら、相手が国王だろうが聖人だろうが構わず実行するでしょう。
他二人と違いタイムとはこの場が初対面のオルテシア女史も、伯爵と王弟たるシモンが本気で罰を恐れているのを見て、懸命にもこれが単なる脅しという可能性は即座に捨てました。
もし怪しいと思われたら、問答無用で顔面にピンクの豚を背負う羽目になるでしょう。顔なのに「背」負うというのもおかしな表現ですが。また、答えが嘘かそうでないか、駆け引きを企んでいるか否かを判断する権限をタイムに委ねるのも非常に不安ではありますが。
問題が大いにある、むしろ問題のほうがメリットよりも多そうな人選ですが、それでもシモンと伯爵がタイムを推したのは、彼らが慎重な腹の探りあいに疲れていたからでしょうか。本来、親しい誰かを疑うというのは決して気分良くできるものではありません。
ならば、もうこの際少々の危険に目を瞑ってでもスピード解決を優先してしまおうという捨て身の姿勢。もう誰も嘘を吐けない状況を作り出してしまえば、解決まで時間はかからないはずです。この場にパズルのピースが全部揃っているとは限りませんが、それでも彼らが下手に隠し事などせずに協力して、各々が持っている情報を重ね合わせれば、真相までかなり近い部分まで迫れることでしょう。
「じゃあ、順番に聞いていこうか。それじゃあ、まず――――」
こうして、情報整理という名目の尋問が始まりました。
◆◆◆
そして、情報整理という名目の尋問が終わりました。




