深まる疑惑と謎の悲鳴。駆けつけろ、ヒーロー!
あなたは、どうしてここにいるのだろう?
自分は、どうしてここにいるのだろう?
そんな日常においてもありふれたシンプルな疑問は、しかし、深く考えてみると相当な難問にも思えます。
ここにいる「私」は先祖代々の無数の人間達が繋いだ命の果てであり、進化論に則って考えるならば、その人間達に至るまでにも単純構造の原始生命から、より複雑な高等生物、脊椎動物や哺乳動物へと永い時間をかけてバトンを繋いできたリレーの先頭である。
しかし、一番最初に発生した原始生命が気の遠くなるような偶然、奇跡によって誕生する以前にも水や岩石などの物質は存在し、あるいはそれらが形成されるより前にも分子なり原子なりはあったわけで、そこから現在の「私」に繋がるまでの奇跡のような道程を前提に考えると、果たして一言で自分がここにいる意味など語れるものか。語っても良いものか。
あるいは、そもそも生命がこうして存在することに意味などなく、そんなものは中途半端に脳器官を発達させただけの獣が、勝手に存在しない意味を見出そうとしているだけではないのか。
……などと、深く考えようと思えば「ここにいる意味」というのはいくらでも掘り下げられるテーマであり、それは明確な答えのない哲学の領域にもなってくるけれど、今回の場合は言うまでもなくそれほど深い意味での問いではありません。
あまり本題と関係のない前置きに文字数を割いても、それは深いのではなく単に不快なだけであり、まあ、話の枕としてはそろそろ切り上げるのが良い塩梅でしょう。
◆◆◆
「どうしてキミがここにいるんだい?」
深い意味など特になく口に出したタイムの疑問は、しかしそれを受けた問われたシモンにとっては、正直に全てを明かしにくい内容でした。
「それから、ライムの姿が見当たらないけど、あの子はどこにいるのかな? そうそう、さっきはぐれる前に助けにいった彼らは無事だったかい?」
タイムにしてみれば、たしかにそういった点を不思議に思っても仕方がありません。仕方がないというよりも、この状況に置かれたならば疑問を呈するのは自然なことであり、そして目の前にそれらの謎について答えられるであろう知り合いがいたのだから、そうして次々と質問をするのは必然とも言えます。
「うむ、それはだな……いや、それより前に領主殿に伺いたいのだが」
「な、なな、何でありますか?」
それに対してシモンは、もちろん正直に答えることもできました。
しかし、場所が伯爵の目の前というのがネックになります。実際に会話を交わした感触からすると彼自身がなんらかの悪事に加担しているという疑いは、やはり馬鹿げた妄想であったように思われました。
ならば伯爵に何を聞かれても問題はないかとも思いきや、事はそう単純でもありません。タイムが問いを発するよりも前に、伝令役として発したいくつかのキーワード、シモンの知らなかった「誘拐犯」やら「複数人を一瞬で倒した手練れの男」という言葉は不審の念を抱かせるには十分。
更に、それらの言葉を聞いた伯爵が誤魔化しようもないほど大きく動揺しているのだから、彼がなんらかの隠し事をシモンに対してしていたのは間違いありません。
シモンとは無関係な件だから、あるいはシモンの耳に入れるまでもない些事だと判断したからなどと考えることもできますが、それは些か強引に過ぎるでしょう。
現在は休職中の身とはいえ、この街の治安を預かる立場であったシモンとしては、それらを聞かなかったことにはできません。伯爵を信じるためにも、それらの隠されていた事実を暴く必要がありましたし、また彼が信に足るという確信を得るまでは、迂闊に持っている情報を明かすのは躊躇われました。
「いや、それよりタイム先生。我輩の部下達は無事なのですかな!?」
しかし、伯爵としても問われるばかりではありません。
まず最優先でタイムに尋ねたのが伝言を託した部下の安否だという点に、彼の人の好さが顕れていました。部下を大事にする姿勢そのものに裏はなく、彼が善良な上司であるのは間違いがないのですが……しかし、この局面においてのそういった人の好さは、取り返しのつかない隙になり得てしまいます。
「ああ、うん、気絶してただけみたい。すぐこっちに来たからちゃんと診てはいないけど、目に見える怪我はなかったよ」
「そ、それは何より……彼らが倒れていた場所を教えていただけますかな? すぐに助けをやらなくては!」
シモンからの問いを遮る形でタイムと話す格好になったわけで、身分云々の観点から言えばかなりの非礼に当たってしまうのですが、伯爵にとってはそれほど心配だったのでしょう。シモンとしても彼の部下を案じる案じる気持ちは理解できるものだったので、その非礼を口実に口を割らせようとはしませんでした。
「ええと、ちょっと入り組んだ場所なんだけど」
「ふむふむ。ああ、分かりましたぞ、誰かその場所に――」
幸いと言うべきか、応接室まで不法侵入してきたタイムを追いかけて部屋のすぐ前まで追ってきた使用人達が、まだ廊下に待機して話を聞いていました。
説明の手間が省けたおかげでロスタイムを経ることなく、すぐさま何人かが倒れている同僚を迎えに向かいました。少なくとも、これで倒れた彼らが風邪を引く心配だけはなさそうです。
この館に残っていた者の多くは事件についての詳細を知らされてはいませんでしたが、それでも昨夜から急に警備のシフトが変わったり、部外者が出入りしたり、予定していた来客を追い返したり、そういった人の出入りに伴う緊迫感は感じていました。
詳しい事情は知らないまま、しかし空気を読んでいたおかげで予期せぬ事態への心構えが出来ていた。それが迅速な対応に繋がったというのは決して悪いことではないのでしょう。
まあ、タイムを止めることはできませんでしたが、それは単に彼女が一枚上手だったと見るべきです。むしろ即座に業務の手を止めて追跡に加わるなど、あらかじめ心構えが出来ていたとしても簡単に思い切れるものではありません。門衛、庭師、執事、メイド……疾走ルートの都合上、館の全員とまではいきませんでしたが、それでも門から応接室までのルート近辺にいたほぼ全員が追跡に加わったのは、それは見事な連携でした。
仲間と同じことをしたくなる同調意識も全くなくはないでしょうが、彼らのほとんどは説明を受けることもなく、その時点では侵入者から危害を受けるリスクも承知の上で、それでも主人を守ろうと勇ましく駆けつけたのです。なんとも見上げた忠誠心であり、そのお人好しな人柄ゆえに彼らに慕われている伯爵の人望が窺えます。
……ところで、これは単純な物理現象なのですが、大勢の人間が全速力で廊下を走ったりすれば、当然ながら物音や衝撃が少なからず発生します。まだ新築といっても過言ではないような真新しい大豪邸であろうとも、一度に大勢が走ったりすれば揺れの一つや二つ、三つや四つは発生するでしょう。具体的には、震度換算で三くらいに相当する大きな揺れが発生していました。
事実、この時館の中にいた事情を知らない者は、その揺れを地震だと勘違いしたりしていました。子供に対して「廊下を走ってはいけません」と注意するのは古今東西よく見られる光景ですが、大の大人が、それもいっぺんに何十人も廊下を駆けるなどという奇妙な事態を想像するのは難しいでしょうし、自然現象と勘違いするのも無理はありません。
この学都周辺の地域が元々頻発とまではいかずとも、それなりに地震慣れしている土地柄であり、建築技術も耐震性を重視する形で発達してきたおかげで、その程度の揺れであれば家屋倒壊の危険はありませんでしたが、そうした判断も慣れているからのものでしょう。
地震という自然現象は起こる国では頻繁に起こるもので特別珍しいものではありませんが、それは逆に起こらない国では滅多に起こらないことも意味します。
これは、南国では一生涯に渡って雪を見たことがない人が珍しくなかったり、内陸部に生まれた人間が海というものを正しく想像できなかったりと似たような、地域差に起因する慣れの問題でしょう。
人類のほとんどが見たことのない、実際に見なければ信じられないような現象、たとえば空にかかるオーロラだったり河川が逆流するポロロッカ現象であったりも、地元民にしてみてば日常の光景でしかありません。
それが単なる自然の一部であると知らなければ、国家や世界に対する恐るべき凶兆であると思い込んでしまう。存在しない意味を自然現象から見出そうと躍起になって迷信に走り、徒労を重ねるのは歴史を紐解いてみれば珍しいことではないのです。
だから、そういった不慣れな現象に際して、戸惑ったり怯えたりするのは、決して悪いことではありません。それは仕方のない不可抗力であり、誰にでも起こり得ること。決して恥ずかしいことではないのです。
「ひぃっ!? だ、誰か助けて――――っ!?」
館中に響くような悲鳴が聞こえました。
それは当然、応接室にいたシモン達の耳にも届きます。
「な、なんであるか!?」
「誰かの悲鳴……どこだ!」
ヒーロー気取りならぬヒーロー気質、あるいはヒーロー体質とでも言うのでしょうか。シモンにとってはそれが自然なことで、考えるまでない反射行動みたいなものなのですが、悲鳴を聞いた彼は瞬間的に応接室を飛び出して助けに向かいました。
行く手にどれほどの危険が待っているかなどは完全に思考の外であり、兎に角、どこかの誰かが危機に瀕しているなら、知覚範囲内に助けを求める者がいるなら向かわずにはいられないという……ある意味では自らを破滅させかねない気質です。まあ、今回のような形で実際に助けを求められるのは、平和な街中においては稀な事例ではあるのですが。
「ここか!」
大小合わせて何十室もある領主館の中から、悲鳴の発生源をピンポイントで探すのは簡単ではないように思われましたが、幸か不幸か、悲鳴の主はかなりのパニック状態にあるようで、断続的に声を挙げていました。
シモンは瞬く間に館内を駆け抜け、悲鳴の主がいると思しき扉を開けると、
「大丈夫か!」
「た、助けて! 助けてください!」
「うむ、助けるぞ! 何があったのだ?」
出身地域の関係で二十代の後半になっても地震という災害を体験したことがなく、そのせいで必要以上に怯えて取り乱してしまったオルテシア女史。いかにもクールビューティーという称号が似合いそう“だった”彼女は年甲斐もなく本気で泣いて、真っ先に助けに訪れたシモンに縋り付くようにしてしまいましたが……前述のようにそれは仕方のないことであり、だから、決して恥ずかしいことではないのです。我に返った後で本人がどう思うかはさて置いて。
そういえば最近は特に予告もなく一日おきの更新にペースダウンしてましたが、別にネタがないとか体調が悪いとかじゃなくて、何故か二日に一日のペースでめちゃくちゃ眠くなってやる気がなくなるというだけなので、たぶん一足早い五月病か何かだと思います。春眠暁を覚えず的な




