どうしてここに?
タイムとシモンの二人が――ライムも含めれば三人が――別れてから実際にはまだ一時間も経っていなかったけれど、その短時間の間に二人の事情、立場は少なからず変化を遂げていました。
悪漢に追われる(ように見えた)ラックを助けに向かったシモン達と違い、タイムは追いかける意思はあったものの、自分が焦ったところで意味がないということを知っていました。薄情だったり怠惰だったりする風にも思える振る舞いですが、その余裕はむしろ同行者への信頼の顕れでしょう。
それに全速力ではなくとも追いかけはした、ベストは尽くさなかったけれど、ベターではあったのですから問題行動というほどではありません。
ただし、そのベターな選択が、関係者の誰も彼もがベストを尽くそうとする中で、俯瞰した視点から見た場合に異質であったのは否めません。偶然に偶然が重なって保たれていたバランスが、安定を欠く一因になるくらいには。
その別行動が二人とはぐれる原因になると知っていたらタイムとてもう少しくらい急ぐ気になったかもしれませんが、そして彼らが現場を離れるより前に辿り着いたのでしょうが、それは今更言っても仕方がありません。
二百年以上を生きる彼女は、若い外見や気さくな態度と裏腹に、年の功、培った人生経験に拠る先見性みたいなものも全くないではないのですが、また人並み以上に勘が鋭いほうではあるのですが、そういった予想・予測能力の精度云々で語れるような状況では、当然のことながらないのです。そんなことができるとしたら、それはもう予知の領域でしょう。
だから、今回の一件においてタイムのそういった予想、予測能力が発揮されたのは、その後。領主館への不法侵入に際してのことになるでしょう。
学都を訪れてからまだ日が浅いとはいえ、肖像画を描く仕事を請け負った彼女は頻繁に領主館を訪れては伯爵と顔を会わせており、また館の使用人達とも顔馴染みになりつつありますが、顔パスが許されるほどではありません。この日の午前中も、対応こそ丁寧なものでしたが一度理由を付けて追い返されていますし、許可なく館の敷地内に踏み込もうとしたら、それは当然不法侵入になってしまいます。
行方不明の歌姫捜索に人手が割かれていたおかげで館の警備が通常よりも少なからず手薄になっており、だからこそ正面から強行突破とも言えるような強引なやり方が通用したのでしょう。顔馴染みになりつつあったが故に、警備側にも幾らか対応の迷いというか、油断みたいなものがあったのもまた確かです。
それらの隙を突く形で、勘の良さを最大限に発揮する形で、タイムは見事伯爵の下へと、ほとんど最短ルートで辿り着きました。広い屋敷のどこにいるかも分からなかったことを思えば、驚異的なまでの勘の良さと幸運です。
旅慣れている身であり、それなりに腕が立つとはいっても、妹やその親友と違ってあくまで常人の範囲内でしかないタイムでは完全に警備を振り切れず、背後には門衛や使用人や他多数の追跡者をぞろぞろと引き連れながらではありましたが。
これがもし悪意敵意のある侵入者であれば大事ですし、そうでなくとも十分に大事です。下手をしなくとも、これだけで事件扱いされても文句は言えません。
この時のタイムがそこまで考えていたかというと、そういった影響についてはほとんど考慮していませんでした。まあ顔見知りなのだし、事情が事情であるし、いざという時のコネもある。後できちんと説明すれば多分分かってもらえるだろうという、かなり楽観的な甘い推測に拠る行動だったのですが、それでもしっかりと目的を達成できたのは大したものでしょう。
それに、後になっても彼女がこの不法侵入に関しての咎を受けることはありませんでした。彼女を止められなかった警備員、使用人諸氏についても同様です。個人的な縁故によって見逃されたという要素も完全にゼロではないしろ、それはむしろ、彼女の齎した情報が、他のことが取るに足らない些事に思えるほどにショッキングな内容だったからでしょう。
タイムも別に無意味に一か八かの不法侵入を試みたわけではなく、志半ばで倒れた(というと、まるで死んだようですが、実際には怪我一つなく、痛みも感じずに気絶しただけ。物理的に地面に倒れていただけです)伯爵の部下からの伝言を預かったメッセンジャーとしてやってきたのです。
これほどまでに強引な行動を取らせるほどのモチベーションが湧いたのは、タイム当人にとっても意外なことではありました。
実際、何も聞かなかったことにして面倒事の気配から遠ざかるという選択肢もそれなり以上に、無視できない程度にはあったはずなのです。
しかし、そうしようと思わず、らしくもなく頑張ってしまったのは伝言を預かった彼らへの、否、正確には伯爵家への義理によるものでしょうか。意外……と言ってしまったらタイム自身は気を悪くしそうですが、彼女はあんな適当で気分屋なキャラクターでありながら、一方では親しい相手に対する恩義を重んじるような義理堅い面もあるのです。
実際に直接関わった時間とイコールではないにしても、もうかれこれ百年近くにも上るお得意様の一族は、彼女にとってはその義理堅さが適用される範囲内だったということなのでしょう。その範囲は彼女自身にもイマイチ判然としない曖昧なものではありますが。
しかし、せっかくリスクを承知で伝えに来たわけだけれど、残念ながらタイムの預かった情報は、それだけで事件の全貌に迫れるほどのものではありません。
そもそも彼女自身はほとんど何も事情を把握しておらず、また彼女にそれを伝えた伯爵配下の某氏も朦朧とする意識の中では理路整然とした説明など不可能で、付け加えるなら相手が誰かも分からず兎に角必死に伝えたに過ぎませんでした。
彼が伯爵の部下であるということ、彼の言う「旦那様」が伯爵であることを理解できる人物に情報を伝えられたのは、単なる幸運に過ぎません。あの時、あのタイミングで、あの場所を訪れた人物がタイムではなかったら、流石に異常事態であることを察して騎士団なりへの通報はしたでしょうが、これほどの短時間で伯爵当人に情報が伝わることはなかったはずです。
まあ、情報は断片的かつ推測混じりの確度の低いそれになってしまいましたが、その件に関しては直後に再び意識を喪失した彼を責めるべきではないでしょう。自身や仲間の安全を二の次にしてまで主人への忠を優先した姿勢は賞賛にも値します。
たとえ、その献身的な姿勢が、仕えるべき主人に本来無用の、多大なる心労を抱かせる結果になったという点を差し引いたとしても、彼にその責を問うことはできません。
もしもの話をするならば、彼は辛うじて取り戻した意識でタイムに伝令を頼むのではなく、自分達の救助を要請すべきだったのでしょう。滅多に人が通らないような裏路地に倒れていた彼らは、現在においてもまだ同じ位置に倒れたままになっています。
他の捜索班と伝令を通じて連携を取ってはいましたが、捜索対象と思しき少女と他一名を追いかける過程で予定していたルートを外れてしまったので、他の仲間に見つけてもらえるかは怪しいところです。時期が冬ではなく秋だったのはまだしもの救いですが、このまま自然に目覚めるまで気絶していたら身体が冷えて風邪を引いてしまうかもしれません。
まあ、既に舞台から降りた彼らのことは置いておきましょう。むしろ、これから混迷の一途を辿る舞台から早い段階で退場できたのは、望外の幸運だったかもしれないのですから。
◆◆◆
終わりの始まり。
最終幕の開幕。
これから先どんどんと、見方によっては安定を保って均衡していた状況が崩れて急激に動き出す中で、最初のキッカケがどこであったかを問うことに然程の意味はないけれど、それでもあえて一つを挙げるなら、領主館の応接室で彼らが再会したことが明確な起点となるでしょうか。
詳しい事情は分からないけれど、分からないなりに伯爵へ伝言を告げて、話しながらも気になることはあったけれどひとまず義理を果たすことを優先したタイムは一通り話し終えてから、ようやく気になること、すなわちシモンへと向き直り――。
「やあ、さっきぶり。ところで、どうしてキミがここにいるんだい?」
「いや、それはこちらが聞きたいのだが……」
タイムとシモンは、お互い相手がどうしてこの場にいるのかは全く分からないけれど、ともあれ領主館の応接室にて、伯爵の前で再会を果たしました。




