そして誤解は加速する
「おお、領主殿。急に邪魔して済まぬな」
「いえいえ、殿下。邪魔だなど思うはずがございません」
伯爵自身は悪事を働くような人物ではないとシモンにも断言できます。
先程、謎の男達に追われていたラック達を実際に見ていなければ、伯爵や一座関係者が怪しいという彼らの推測を聞いても一笑に付していたことでしょう。
されど、万が一にも彼が何者かに騙されており、そうと知らぬまま良からぬ企みに加担させられているならば、可及的速やかに対処せねばなりません。確認は急務でした。
しかし、直接的に尋ねるのも憚られます。
単純に「お前は悪いことをしているのか?」というような意味合いの問いを投げかけられたら誰だっていい気はしないでしょうし、本当にそうだった場合は無用の警戒心を抱かれるリスクもあります。そもそも、そんな事を問うている時点で手札がほとんど無いことを晒しているも同然です。
騎士団の長として豊富な人員による組織力を行使できるのなら、あるいはそういう風に大胆に探りを入れて姿の見えぬ推定敵にプレッシャーをかける手もあるかもしれませんが、今のシモンは指揮権を失っている身。あくまで一個人として動いている現在では愚策でしかありません。騎士団の力を借りようにも、確たる証拠なり証言なりが無ければ難しいでしょう。
慎重に、慎重に、疑いを抱いていることなど全く悟られないように、会話の中から真実を探らねばなりません。シモンは当然の嗜みとして社交術や会話術の心得もありますが、それらとはまた違った心配りが求められる状況でした。
「それで、今日はわざわざ貴重な食材を土産にお持ちいただいたとか。ありがたき幸せにございまする」
一方で、伯爵の側には、なるべく早く会話を終わらせたいという思惑がありました。
劇場のオーナーとしては是が非でも此度の公演は成功させねばならず、行方不明の歌姫を一刻も早く発見・保護する必要があるのです。そういった利益面を抜きにしても純粋に一個人として心配しています。
本来なら昨夜思い付いたように騎士団や冒険者の協力を求めたいところですが、そうは出来ない理由、発見した後の風聞について考えると、更に事態が切羽詰らない限りそれを避けたいのもまた確かです。
その折衷案としての新聞案でしたが、現状では成果らしい成果も挙がっていません。
それに、確実に信の置ける部下達に事情を伝えて、街の各所を探させてはいますが、別に彼らは人探しの専門家というワケではないのです。
また、ある意味でベストを尽くせない、尽くしてはいけないという事情もあります。
いくつもの班を作ってそれぞれに連絡要員を配置し、捜査本部である領主館と各班での連携が取れるように努めてはいますが、どうしても漏れは出てしまいます。例えば、如何に伯爵直属の配下であると明かしても、正当な理由なく一般家屋の捜査をすることは出来ません。そこで家捜しを強行すれば騎士団に通報されてしまうでしょうし、そもそも学都中の家屋を探索できるほどの人数を動員するのは不可能です。
焦りばかりが募るこんな状況で、部下達を指揮する伯爵がシモンの応対で足止めされてしまったら、更に捜査効率が落ちてしまいます。先程まで一緒に捜査の指揮をしていたオルテシア女史は有能な人物ではありますが、地元の事情や土地勘に通じていない彼女だけでは、十全な指揮判断をするのは難しいと言わざるを得ません。女史自身もそれが分かっていたから、伯爵に早く戻るよう頼んでいたのでしょう。
王弟という身分のシモンを無下に追い返すことはできませんが、一刻も早く穏便に話をまとめて帰ってもらう必要がありました。
お互い、相手にそんな思惑があるなどとは露ほども考えず、しかし何も話さないワケにもいきません。
「友人が迷宮で海の魚を獲ってきたのだ。しかし、味そのものは美味なのだが、身内だけでは多すぎるし、余らせてダメにするのも勿体ないからな。まあ、いわゆるお裾分けというやつだ」
先攻。もとい、先に話題を振ったのはシモン。
内容としては、本来の主用件であった土産について。
探りを入れるという意味からすると弱いですが、無難な話題で気を緩めさせるのは悪い手ではないでしょう。
「ほう、海の魚! それは楽しみですな」
対する伯爵の反応は、別に演技というワケでもありません。
巨漢の伯爵は見た目の印象通りの健啖家で、肉でも野菜でも何でも好き嫌いなく食べます。珍しい海の魚という土産には、純粋に好奇心と食欲をそそられるのでしょう。
「うむ、個人的には頬肉と、少し見た目が悪いが目の周りの柔らかい部分がオススメだ」
マグロは全身のほとんどが可食部。脂の乗った大トロや引き締まった尾の身などもそれぞれに違った良さがありますが、頭を食べるなら頬肉や、外観はグロテスクですが目の周りのトロリとした部分が特に美味な箇所とされています。
「そうそう、抵抗があるなら無理にとは言わぬが、新鮮なやつは生で食べるのもイケるぞ」
「ほほう、漁師や通人がそういった食べ方を好むと聞きますが」
「俺も最初は面食らったが、一度慣れたら病み付きだな。食べ方についてだが、まず山葵を摩り下ろした物を薬味として――――」
生魚を食す文化は、特に海から離れた内陸部にあるこの地域ではメジャーとは言えませんが、それでも鉄道による高速輸送などで少しずつ広がりを見せているようです。
シモンは知る限りの調理法や相性の良い薬味などについて、解説を始めました。
「それに、魚は滋養が豊富で病気の予防や強い身体を作るにも役立ってだな――――」
「ほうほうほう、殿下は博識であらせられる」
マグロの赤身の部分は低カロリー高たんぱく、新陳代謝を活発化させるタウリンや豊富なビタミン、ミネラル類を含んでおり、貧血の予防や免疫力向上の効果があるとされています。また、トロの部分は赤身の約三倍ものカロリーを含んでいますが、その脂肪は身体の負担となりにくい良質な種類のそれであり、適切な量を食べるならばむしろ更なる健康増進効果も見込めるでしょう。
まあ、言うまでも無く、ここまでの情報は本題には全く関係ありませんが。
「ああ、そうだ。硬い皮の部分もじっくり時間をかけて煮れば食べられるとか……」
「はあ……捨てる部分が少ないのは大変結構ですな」
シモンも話を引き伸ばそうと知る限りのマグロ豆知識を次々繰り出してはいますが、それも次第に弾切れが見えてきました。
いえ、別に雑談のネタをマグロ関係に限る必要はないのですが、中途半端に話が進んでしまったが為に、今更急に方向転換するのが不自然になってしまう、なおかつ話の落とし所が見当たらないぐだぐだな状態に陥っているのでしょう。シモンだけが話して伯爵がほぼ聞き役に徹しているというのも、目的からすればあまりよろしくありません。
(ううむ、これは話題の選択を誤ったか?)
無難なところから話を切り出そうとして、まあ実際無難ではあったのですが、そこから一歩も出られなくなっています。
伯爵もマメに相槌を打ってマグロ雑学に付き合ってくれてはいますが、どことなく上の空のようにも感じられます。彼は昨夜からずっと起き続けているので、こうして興味のない話を続けられたせいで緊張が途切れ、忘れていた眠気が一気に押し寄せてきたのかもしれません。ぼんやりした頭でも流石に居眠りは不味いと分かっているのか、必死に自身の太腿を抓って意識を保ってはいましたが。
(いや、これは意外と悪くないかもしれぬ……?)
まあ、好意的に見ればシモンの話術で相手の油断を引き出したと言えなくもありません。仕掛けた側に、そんな意図が無かったとしても。
伯爵の注意が散漫になっているのはシモンのみならず誰が見ても明らかですし、過程はともかく、核心を突くなら思考力が落ちている今は悪いタイミングではなさそうです。
しかし、いったい何から尋ねるべきか?
記憶喪失のフレイヤと、彼女を連れて逃げていたラック。
二人を追いかけていた謎の武装集団。
一座の疑惑。新聞記事と現実との乖離。
記事の情報提供者として名が載っていた伯爵。
これらの中でシモンが突然話題に出しても比較的不審に思われず、聞き出しやすい内容は、
「ああ、そうそう。話は変わるが、最近、この街の治安が少し悪くなっているようでな」
「はて、街の治安が? 我輩の下にはそういう報告は来ておりませぬが」
「うむ。実は先程ここに来る途中でも知り合いがおかしな連中に追われていたのだ」
「なんと、そんな輩がこの街に!」
選んだ話題は謎の武装集団について。まさか、そのおかしな連中が目の前の人物の指令を受けていた忠実なる部下だとは夢にも思わず告げました。
念の為、「知り合い」の詳細についてはボカしましたが。
「まあ、それに関しては大事になる前に無事助けられたので問題はない。ただ、未確認情報なので俺もまだ確かなことは言えぬのだが、なんらかの犯罪組織が水面下で動いているのではという噂もあってな」
「な、な、何と、犯罪組織であるか!?」
「犯罪組織」や「噂」というのは、ほとんどシモンのブラフです。
複数人いた追っ手を組織と言えなくもありませんし、先程助けた二人から聞いた話が元になっているので、全部が全部、嘘ばかりというワケではありませんが。
もし伯爵の近くにそれらしき組織がいて彼を唆しているのなら、このハッタリで何らかの有意な反応が得られるのではないかという狙いがありました。
「ま、まさか……」
それに、そんな刺激的な話題のお陰か、伯爵の思考力も急激に覚醒しました。変な方向に。この場合は思考力ではなく想像力か妄想力というほうが、より適切かもしれません。
伯爵達が一つの疑惑として抱いていた、歌姫が何者かに誘拐されたのではという考え。不審な青年と一緒にいたところを昨日の時点で何度も目撃されたのがその根拠ですが、それだけでは誘拐犯と決め付けるには薄弱でしょう。
ですが、今日になってからはその二人は全く目撃されなくなりました。
街中のファンが追っている状況で一件の目撃情報もないというのは明らかに異常です。動機は一切不明ですが、気付かぬ間に街の外まで出てしまったのではという疑いも濃厚になってきました。
しかしそれが、裏稼業のプロによる組織的な行動の結果であるならば、あるいは、これほど完璧に足跡を隠蔽することも可能かもしれません。
シモンの言う犯罪組織がこの状況を作り出しているのだとしたら、完全に辻褄が合う……とまで断言できるかは微妙ですが、合わなくもないような気はしてきます。
万全の冷静な状態だったならもっと落ち着いて判断したのでしょうが、伯爵はこの思い付きが正しいものと、ほとんど信じ込んでしまいました。
◆◆◆
更に、タイミングが良いのか悪いのか。
そんな思い込みを補強する材料が、彼らのいる応接室に飛び込んできました。
追い返されそうになったのを無理矢理突破してきたのか、門番や館の使用人が背後から追ってきていますが、タイムはそれらの妨害を軽やかに振り切って、ここまで辿り着いたようです。そして……、
「おい、大変だ! キミのところの部下が言ってたんだけどかくかくしかじか」
「な、なんですと――――っ!?」
謎の誘拐犯、それも武装した複数人を反応する間もなく打ち倒すような手練れが、人質を連れて逃走中らしい……と、事情はほとんど分かっていないながらも、タイムは預かった伝言をほとんどそのまま伯爵に伝えてしまったのです。
闇鍋的な状況もそろそろ最終局面が近付いて参りました。
鍋の〆に入るのは、果たしてうどんか雑炊か?(そういう話ではない)




