野営地にて
神造迷宮内では、紋様の刻まれた石碑のような物体が散見されます。
見かける頻度は大まかに一km四方に一つ程度。
決まった正式名称はありませんが、その性質から『戻り石』や『帰還石』、あるいは単に『石』とか『アレ』などと呼ばれています。
その通称の通りに、迷宮内のどれだけ奥からであっても、石碑に触れた者を瞬時に学都の聖杖にまで引き戻す効力があり、更に魔物避けの効果もあるので安全地帯としても機能します。
ちゃんと性質を理解して利用すれば、これほど便利な物もありません。
ただし、触れたら意思に関係なく強制的に引き戻される上に完全な一方通行なので、次に迷宮に入った際はまた最初から地道に進まねばなりません。
嘘か真か、一ヶ月以上もかけて迷宮内を進んだ冒険者が、安全地帯で休んでいたはずが寝ぼけて石碑に触れてフリダシに戻されてしまった、なんて笑い話もあったりします。
◆◆◆
初心者講習関係者の一行は、出発してから約八時間後、どうにか今夜の野営地にまで辿り着きました。どうにかこうにか、かなりギリギリではありますが、まだ脱落者は出ていません。
本当はもっと早く到着する予定だったのですが、レンリや他にも数名ほど遅れ気味の受講者がいて、彼女らの移動速度に全体の進行ペースを合わせていたので、余計に時間がかかってしまったのです。
ちなみにレンリ以外だと、学者風の老人達や種族柄体力面で劣る小人族などの消耗が激しく、逆にタフなドワーフや巨人、獣人族の参加者はまだまだ余裕がありそうです。
野営地にはここまでの道中でも何度か遠目に見えた石碑がありました。
むしろ、これがあるからこそこの場所が選ばれたのでしょう。
通常の迷宮探索であれば、疲労時に無理をせず帰還を選択するのは勇気ある決断と言えますが、今回は講習なので楽をしてしまっては意味がありません。
うっかり受講者が触れないように(脱走者が出ないように?)石碑は布で覆われた上でロープで何重にも縛られ、触れないようになっています。しかも常に最低一人は教官が石碑を見張っているので、目を盗んで逃げ帰ることはできそうにありません。
「……帰りたい」
「もちろんダメですからね? ここまで頑張ったんですから、あと半分の辛抱ですよ」
布とロープで石碑を封じる作業を眺めるレンリの目はとても恨めしそうですが……その様子を間近で見守るイマ隊長は好みの少女が苦しみに表情を歪める姿を満喫できて、とても嬉しそうです。なんだかお肌がツヤツヤしています。
同じく隊長好みの少年少女であるルグやルカは、それぞれ野外活動の経験に長けていたり、反則気味の身体強化で負担を軽減している為にまだまだ余裕がありそうで、若干の物足りなさも感じているようですが。
「うちの隊長も嗜虐趣味さえなけりゃ引く手数多なんだろうけどな……」
「耐えられるギリギリを見計らってるのが逆に性質悪いよなー……」
隊長からは決して聞こえない声量で、小隊の兵達もそんな愚痴を零しています。
途中からは遅れ気味の受講者に合わせる形になっていましたが、基本的に進行速度や休憩時間の微調整などは全てイマ隊長の胸先三寸で判断されます。
受講者(※ここでは主に十代前半から半ばの少年少女を指す)が物資の不備や体力不足で苦しみつつも、ギリギリのところで脱落はしない。そんな絶妙のラインを異常な正確さで見計らって、全ての工程を決定しているのです。
ある意味天才的で、それ以上に変態的な所業でした。
時折、小隊の副隊長やサポート役である冒険者が、あるいは報告を受けた騎士団長やギルド長が、もう少し手心を加えるようにやんわりと忠告しても、
「痛くなければ覚えませんから」
……という一点張り。
実際に、彼女が責任者を務めた回の講習の受講者は心構えが違うのか、その後に自力で活動し始めてからも大きな怪我や失敗をしたりする割合がかなり低めだったりします。
動機はさておき優秀な教官であることに間違いはないのです。動機はさておき。
◆◆◆
野営地に到着してから約一時間後。
「この先に剣角鹿の群れが来てるぜ」
この後の進行ルートに先行して安全確認をしていた冒険者の一人が、剣角鹿の群れが近くにいるという報告をしました。
剣角鹿とは、文字通りに角の部分がまるで剣のように鋭い鹿系の魔物です。
金属と骨を掛け合わせたような不思議な質感の角は頑強で、武具の素材として加工されることもあります。
それなりの大型ですが臆病な気性で、常に群れで行動します。
魔物避けの石碑の存在もありますし、現在のように大勢の人が集まっていれば襲われる心配はまずないでしょう。
「あら、いいですね。じゃあ、眠ってる方を起こして狩りに……」
「隊長、それなら希望者だけでいいでしょう。あまり人数が多いと逃げられますしね」
「希望者だけですか? ……うーん、まあ、いいでしょう」
イマ隊長が全員で狩りに行こうとするのを、副隊長がやんわりと止めて希望者だけに変更させました。人数が多いと獲物に逃げられやすいという理由も嘘ではありませんが、隊長の嗜虐趣味的な教育方針からそれとなく受講者を守ろうとしているのでしょう。
状態の見極めが異様に正確なので受講者の心身が壊れる心配“だけ”はありませんが、放っておくとその壊れるギリギリまで追い詰めかねないのです。
ちなみに受講者の中でも消耗が激しい者たちは、この野営地に着くと治療や水の補給だけはかろうじて済ませてから泥のように眠っていました。
人によって寝袋に入ったり、上着を丸めて枕にしていたり、木を背もたれにして座りながらだったり、寝方に関しても十人十色。
出発は野営地に着いてから六時間後(現在から五時間後)を予定していますが、起こさなければこのまま丸一日二日寝ていてもおかしくありません。
一方でまだまだ余力がありそうな面々は、なんと焚き火の周りで酒を飲んでいました。
ドワーフの酒好きは他種族の間でも有名ですが、一人のドワーフが野営地に着くや否や、水の補給より先に酒瓶を取り出して晩酌を始めたのです。
すると、他の受講者の中からも飲兵衛が集まってきて、肴の提供と引き換えに酒を分けてもらい、すっかり酒盛りの様相を呈していました。
そんな酔っ払い達が教官から剣角鹿の話を聞くと、
「そりゃあいい!」
「ちょうどツマミが足りなかったところだ!」
「がははははっ!」
などと、武器を手に手に立ち上がりました。
ここまで歩みの遅い面々に合わせていたので体力が有り余っている上に、酒精が入って気が大きくなっているようです。
「俺も行ってこようかな。ルカはどうする?」
「えっと、わ、わたしは……待ってる、ね」
そして、まだ起きてはいたけれど酒盛りの輪から離れていたルグも、狩りと聞いて立ち上がりました。一緒に起きていたルカは気乗りしないのか、傍らで寝こけているレンリを眺めながら留守番です。
ルグは慣れた様子で持ってきた弓の弦の具合を検めると、矢筒を背負いナイフを腰に差しました。話を聞く限りでは獲物はこの近くにいるようなので、他の荷物は置いていくつもりのようです。
「じゃ、行ってくるよ」
そうして手早く準備を整えたルグは、他の希望者や教官と共に森の奥へと向かいました。