二人と一匹
『あ』
ウルの視線の先には、通りをのしのしと歩いてくる鷲獅子ロノの姿がありました。大きな翼を周囲の邪魔にならないよう折りたたんではいるのですが、それでもかなりの巨体です。街中で見る動物といえば犬や猫、大きくても馬くらいですが、それらとは比べ物にもなりません。
鋼鉄をも引き裂く爪で石畳の舗装路を歩いたら、道がズタズタに壊れてしまいそうですが、前脚の鉤爪には何重にも革と金属を重ねた頑丈な歩行用カバーが装着されており――脚を覆うモノなので靴と称すべきかもしれません――後ろ脚は元々ライオンのような猫科の特徴として、任意で爪を引っ込めることができます。これならば、うっかり道路を壊してしまう心配はないでしょう。
道行く人々は当然そんなロノに注目しますが、それでも恐怖を覚える者はほとんどいないようです。どちらかというと、視線に混じる感情は好奇心や親愛が主となるでしょうか。
ロノや飼い主達は(ほとんどシモンのおまけみたいな扱いですが)新聞で大々的に紹介されたことがあり、それなり以上に顔が売れて“しまって”いるのです。本人達にとってみれば不本意極まりないことに。
しかも、その記事の内容がやたらと好意的だったせいか、普通は忌避感を抱かれてもおかしくない元犯罪者でありながら、特に暮らしにくいということもありません。魔獣であるロノの存在が受け入れられているのは、そんな下地があってのことでしょう。今の屋敷に住み始めてからは、こうしてちょくちょく街中を歩いているので、住民達が見慣れたからかもしれませんが。
好奇心旺盛な子供達なんかは、度胸試しでロノに触ろうとしたり、飼い主が目を離した隙に背中によじ登ろうとする事もしばしば。ロノが怖い存在ではないと分かってからは、度胸試しでなくとも触りたがる人は少なくありません。
毎日レイルがブラッシングをしているおかげで、ロノの毛並みは綺麗に整っていて、とても触り心地が良いのです。夏毛に生え変わってからしばらく経ちますが、涼しくなるにつれて段々と毛が伸びてきています。もう一、二ヶ月もして完全に冬になればモコモコの温かい毛並みになっているはずです。
「あ、久しぶり。ウルの姉ちゃん」
『うん、お久しぶりなの!』
そんなロノの背に跨っていたレイルも、前から歩いてくるウルに気が付きました。
一見すると人間の子供のように見えるウルですが、頭から本物の花や葉っぱが生えているので(植物の種類はウルの気分次第で時々変わります。ちなみに今日は真っ赤なハイビスカス)近付いて見ればすぐに彼女だと分かるのです。
ちなみにレイルは現在五歳。
迷宮が生まれたのが四年前。
なので、ウルの年齢は現在四歳ということになるのでしょうが、彼女の外見年齢は十歳相当なので、レイルはウルを年上扱いしています。普段、周囲から子供扱いを受けることの多いウルにとっても、「お姉さん」として見られるのは気分が良いようです。
『くるるるる』
『うんうん、ロノも久しぶりね』
ウルが彼らと知り合ったのは、以前に学都で起こったとある事件でのこと。その時に保護という名目で騎士団の本部で共に寝泊りした縁で、今ではこうして顔を合わせれば挨拶をするくらいの間柄になっていました。親友とまでは行かずとも、まあ友達同士と称しても差し支えはないでしょう。
『今日はお散歩なの?』
「うん、まあ、そんなとこ。そっちは?」
『我もそんな感じなのよ』
どうやら、レイル達もウルと同じく暇を持て余してブラついていたようです。
聞けば、上の姉は屋敷で洗濯、下の姉は(さっきまでウルと一緒だったので知っていますが)件の有名人探し、タイムとシモンはライムの家を訪ねているのだとか。
誰も相手をしてくれないので暇だったのでしょう。
普段は誰かしら予定が空いているので一緒に過ごすのですが、こういう日も全く無いではありません。まあ、それならそれで臨機応変に過ごすだけ。今がちょうどその状態だったようです。
『きゅるる?』
「うん、そうだなー。じゃあ、姉ちゃんも一緒に散歩する?」
『ロノがそう言ってるの? うん、いいのよ。我も背中に乗せて欲しいの』
ロノの提案(?)によって、暇人同士ウルも散歩に付き合うことになりました。
ウルも鳴き声のニュアンスから動物の意思みたいなモノを多少読み取ることはできますが、レイルはロノの言いたいことの詳細まで理解できているようです。
他の動物の言葉までは分かりませんが、お互い生まれたばかりの頃から兄弟のように育っているので、ロノの言いたいことだけは何となく分かるのだとか。
他の兄姉は鳴き声を聞いてもそこまでの詳細な意は読み取れないので、これは彼特有の才能とも言えるかもしれません。
『おお、高くて面白いの!』
『キュルウッ』
ウルはお姉さんとしての威厳を保つのも忘れて大いにはしゃぎ、道行く人々に手を振っています。この喜びようを見るに、案外、苦労して遊覧飛行の許可を取り付けなくとも、こうして人を乗せて歩くだけでも商売として成立したかもしれません。
二人のお子様を乗せたロノは、そのままのっしのっしと道を行きます。
今日は歩きなので飛行用の鞍は着けていませんが、それでもフカフカの毛は座り心地が良く、またロノ自身が気を遣ってゆっくり歩いてくれるので振り落とされる心配はありません。
『くるる?』
「んー? たしかに、なんか道が混んでるなー」
いえ、ゆっくり歩いていたのはロノが気を遣っていたおかげもありますが、それ以上に道が混んでいたからのようです。劇場近くから商業区へと向けて進んでいたのですが、道端に大勢の若者がたむろして人の流れが滞っているようです。
徒歩ならばともかく、馬車や荷車、そしてロノ達みたいに体積が大きいと、なかなか前に進めません。いざとなれば翼を広げて空に飛び出すこともできますが、これだけの混雑だと助走を付けることもできませんし、羽や身体が人に当たったら怪我をさせてしまうかもしれません。よっぽど差し迫った危険でも無い限り、飛ぶのは止めておいたほうが無難でしょう。
「そこの人達、この先で何かやってるのー?」
『道を塞ぐのはよくないのよ?』
仕方がないので、道を塞いでいた人々に事情を聞いてみることにしました。
「ああ、ごめんよ。そこの店にフレイヤちゃんが来たって聞いて集まったんだよ」
「髪が赤いだけで、全然別の人だったけどね」
「まったくもう、人騒がせな」
よくよく見れば、彼らの多くは今朝の新聞を手にしています。
恐らくは、新聞を見て歌姫探しをしていた人々が、誰かの早とちりによる誤報を聞いて集まっていたようです。まあ、大勢が探していればこういう間違いもあるでしょう。
集団はまだ集まって間がないようでしたが、ただの見間違いだったという話はすぐに広がり、人騒がせな人々はすぐに解散していきました。きっと、また別の場所を探すつもりなのでしょう。
『……あの子、ホントに人気なのね』
ウル自身、フレイヤには複雑な想いを抱いていますが、実際に会ったことは多くありません。というか、出会って意気投合したと思ったら、直後に丸一日戦って以来です。その時間は普通の人間関係の何年分にも相当するほど濃密でしたが、彼女のことを詳しく知っているとは到底言えないでしょう。
人伝に聞いた知識として彼女が多くのファンに慕われる有名人だとはウルも知っていましたが、それでも実際にこうして大勢に求められるのを目の当たりにすると、友人として、あるいは宿敵として、何か感じ入るものがあったのかもしれません。
さっきまでの混雑は嘘のように消えてなくなり、数分もすればスイスイ進めるくらいに交通状況が改善されました。足を止めていたロノも再び歩き出そうとして……その前に、クチバシで地面に落ちていた何かを拾い上げました。
「新聞?」
『どうしたの?』
ロノが拾い上げたのは一束の新聞。
先程の混雑の中で誰かが落としたモノでしょう。
『キュウキュウ、クルル』
「ふむふむ?」
『なんて言ってるの?』
ロノは落ちていた新聞について、何か訴えたいことがあるようです。
鳴き声をレイルが翻訳したところによると、
「なんかさー、この記事の姉ちゃんが昨日空から落っこちてきて? で、うちの兄ちゃんと一緒にどっか行っちゃったんだって?」
……という、諸々の問題の核心に限りなく近い内容でした。




