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平和な朝


 正体の分からない少女の逃避行に巻き込まれた長兄(ラック)が、意図の分からない新聞記事に目を通して、ワケが分からないまま無駄に事情を深読みし、分からない尽くしの三重苦に陥っていたちょうどその頃。



「ふぁ……おはよう、お姉ちゃん」


「おはよう、ルカ。朝ご飯にするから、レイル起こしてきてくれる?」



 そんな事情など全く知らない彼の弟妹は、いつも通りの平和な朝を迎えていました。食堂には配達されたばかりの、焼き立てパンの香ばしい匂いが漂っています。


 

「あれ……お兄ちゃん、帰って、ないの?」


「どうせ、またどこかで飲み明かしたんでしょ」



 当然、彼女達もラックが一晩帰っていないことに気付いてはいるのですが、悲しいかな、それが異常事態だとは誰にも認識されていませんでした。彼がどこぞの酒場で飲み明かして朝帰りをするのは時折あることですし、場合によっては二、三日帰らずに遊び歩くことも全くないではありません。

 本人の行状の結果ゆえ全く同情はできないのですが、異常事態を察した身内が彼を助けるべく駆けつける……などという希望はまず無いでしょう。信頼とは常日頃から振る舞いの結果として顕れるものなのです。良くも悪くも。



「おお、ルカ嬢。今朝も早いな」


「あ……おはよう、ござい、ます」



 姉妹二人が話していると、食堂の扉を開けてシモンが入ってきました。

 彼は毎朝の習慣通りに、ランニングや筋力トレーニング、剣術の訓練などのメニューを日の出頃からこなしてきたのでしょう。

 最近は別の訓練、苦手な芝居鑑賞に耐える精神力を養う特訓のストレスの影響で体調も決して良いとは言えない状態が続いていましたが、それでも毎日の鍛錬は欠かさず続けていました。


 地面を踏み砕かないギリギリの加重をかけながら何十kmも走ったり、逆立ち片手腕立てのような曲芸染みた筋トレに励んだり、一日一万回の素振りをしたり、鮮明に想像した師匠を仮想敵として組み手を行いイメージの中でボコボコにされたり……他にも色々な修行メニューがありますが、どれもこれもかなりハードな内容です。

 腕に覚えのある武芸者でも三日と続かないような厳しい訓練ばかりですが、シモンにしてみれば単純な肉体疲労で済む分だけまだ気楽なのでしょう。



「ちょっと、シモン。汗臭いからそのまま食堂入らないでよ」


「おっと、すまぬ。では、また後でな」



 それだけの運動をしてきたのですから、相応に汗や土埃で汚れています。食事の前に朝風呂を浴びて着替えをすべく、一旦その場を離れました。







 ◆◆◆







 この屋敷の住人は現在、家主であるシモン、アルバトロス一家の四人、最近居候を始めたタイムの合計六人。今朝はラックがいませんが、朝食の席にはそれ以外の五人が揃っています。

 まあ、ラックに関しては普段から昼まで惰眠を貪り朝食を食べないことが多いので、人数に関してはいつも通り。誰一人として違和感を抱いていません。


 今朝の献立は肉多めのベーコンエッグ、昨夜の残りの野菜マリネ、同じく残り物のトマトスープ、チーズと果物。それから焼き立てのパン。

 ベーコンエッグのベーコンは、シモンがライムから貰ったという自家製です。元が何の肉かは不明ですが、少なくとも味は異様に美味しいので皆深く考えずに食べています。


 残り物の流用に関しては、夕食の量を読み誤ったというよりは、元々朝食に回すことを考慮して毎晩多めに作っているのです。夏場は腐敗が怖いので注意する必要がありますが、この屋敷には大型の魔力式冷蔵庫がありますし、近頃は涼しくなってきたのでモノによっては一晩くらいなら常温でも大丈夫でしょう。

 昨晩はラックが予告なしで夕食時不在だったので朝食に回す分が多くなっていますが、食べ盛りの若者がこれだけ揃っているのですから、余らせる心配は全くありません。 タイムに関しては若者と言っていいのか判断に迷いますが。


 ちなみに、ペットのロノも現在朝食中。いくら大きい屋敷でもロノには狭すぎるので食堂には入れませんが、庭の厩舎――――鷲獅子(グリフォン)用に改装済み――――で、生の羊肉やベーコンやチーズの塊を朝食として食べています。

 

 

「ふぅ……ごちそうさま、でした」


「はい、お粗末さま。あ、悪いけど新聞取ってきてくれる?」


「うん、わたし……行ってくる、ね」



 一番に食後のお茶を飲み終えたルカは、玄関先にある郵便受けに向かいました。


 これほどの規模の屋敷なら本来は少なくない数の使用人を雇っているはずで、家人が自ら雑用をする必要はないのでしょうが「自分で出来るのに人を雇うのが勿体無い」というリンの意向によって、この家では住人が自ら家事をするローカルルールが適用されています。

 そのルールは何故か家主のシモンにも適用され、彼は彼でそれを不満に思うこともなく素直に従って、トイレ掃除やら日用品の買出しに従事していたりするのですが。



 それはさておき、玄関に向かったルカは郵便物を取り出しました。



「あった、新聞……あ」



 郵便物は新聞以外にも手紙が何通か。

 手紙は全部シモン宛で、中には学都内のどこかの貴族家からのモノらしい立派な封蝋付きの手紙もあります。別にそういう手紙が来るのは珍しいことではなく、何らかの挨拶状か招待状か、大抵はそんなところです。

 挨拶状はともかく、妙齢の令嬢がいる家からの招待状の割合が多めなのは、まあ、そういうことなのでしょう。わざわざ気を遣わせるのも悪いからと、シモンが見当違いの心遣いを発揮して断り状を送るまでがいつもの流れです。



「わぁ……」



 ルカの関心は手にした新聞記事のほうにありました。一面には、かの有名な歌姫がこの街でお忍び休暇を過ごしているらしい、と大きく書かれています。どこからどう見ても全く不審な点などない、実に平和的な内容です。

 ルカが気になったのは、単純に一ファンとしての立場ゆえ。



「わたしも、会ってみたい……な」



 お喋り……は、緊張して上手く話せるか分からないけれど、もし会えたらサインを貰ったり握手をしたりできるかもしれない。この広い街で探し出せる可能性が低いのは分かっているけれど、もしかしたら?



「探して……みよう、かな?」



 だから、そんなミーハーな動機の思い付きが魅力的なアイデアに思えてしまったのも、仕方のないことだったのかもしれません。

 


今回からしばらくは追う側視点になります。

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