的外れのハドル
根本的な疑問として、彼女はいったいどうして飛空艇から逃げようとしたのだろう?
夜明け前に目を覚ましたラックとフレイヤは、本格的に動き出す前にその謎について一度じっくりと考えてみることにしました。
芸能関係にはさほど興味がないラックですが、それでも学都で暮らしていれば劇場艇や一座に関する情報は嫌でも耳に入ってきますし、それ以前に空を見上げれば自然と目にも入ります。
よって、あくまで最低限ではありますが、かの一座に関連する知識を有していました。ちなみに最大の情報源は最近妙に浮かれている下の妹で、食卓の席などで楽しそうに話しています。
残念ながら、ラックは話の大部分を忘れてしまっていましたが。
もし彼が最初からフレイヤの容姿や名前を知っていたら、これほど事態が拗れたりはしなかったかもしれません。もっとも、今更言っても詮無きことですが。
それに、これはラックの落ち度とまでは言えないでしょう。
別に記憶喪失でなくとも、趣味人がいくら熱弁しようとも、聞き手に興味が無ければ大抵そんなものです。ましてや、こんな逃避行に巻き込まれるなんて、事前に分かるはずがありません。
まあ、ロクに興味がなくとも、ラックも件の艇が人気の芸人集団の本拠であることは流石に知っていました。最近は街を歩いていると、広場などでその所属らしき者達がよく芸を披露してもいます。その最低限の知識すらも、現在のフレイヤにとっては初めて知ることばかりでしたが。
「キミも舞台に立つヒトだったんじゃないの?」
「うーん、全然実感ないけど……」
まあ、それらはあくまで話の枕。
思考を先に進めるための前提でしかありません。
問題は、どうしてそんな所から飛び降りるようなことになったのか?
普通に考えれば事故という線が濃厚なのですが、何かとても怖いことがあった。そして、もし追っ手に捕まれば恐ろしい責め苦を受けるであろう……と、記憶を失ったフレイヤは強く予感しています。本人にも根拠は分からないながら、確信と言えるほどに強く感じているようです。
彼女の言をそのままに信じるならば事故による転落ではなく、能動的に飛び降りたということになるのでしょう。
なんらかの魔法かそれに類する道具があれば、飛び降りても無事でいられるかもしれませんが、だからといって生半可な覚悟でできることではありません。一歩間違えば転落死です。
しかし、こう言ってはなんですが所詮はただの芸人集団。恐ろしい事件や陰謀など全くイメージに合いません。そこまでして逃げようとする程に恐ろしいことなどあり得るのだろうか?
その不可思議な疑問を読み解くべく、ラックは彼なりに推測を組み立てていきました。
「そうだねぇ、例えばこんなのはどうだろう?」
陸路より遥かに速く、なおかつ大量の人員や物資を輸送できる飛空艇。
それも世界でもまだ数少ない私有船。その特権的な移動力・輸送力を悪用すれば多大な利益を挙げられるはず。人気の芸人一座とは世を欺く仮の姿、その正体は密貿易で荒稼ぎをする犯罪組織だった……という根拠のない妄想をラックは口にしました。
例えば、ある国では法で所持や売買、製造が禁じられている物資――――薬物、毒物、希少生物、呪いの魔法道具、エトセトラエトセトラ――――を別の国から持ち込んで密かに売り捌けば莫大な利益になるのは間違いありません。
たかが芸人集団とはいえ、王侯貴族から賓客として招待されるようなスターが何人もいる(らしい)のです。出入国時の荷物検査も必要最低限の形式上のものだけで済ませられるでしょう。上流階級に彼らのファンが多いのも、実はその取引相手だからともこじつけられます。
記憶喪失の彼女が艇から飛び降りてまで逃げようとしたのは、そんな犯罪行為からの足抜けでも企てたか、あるいはヘマをして消されそうになったか……などと、陰謀論染みた想像にまで話を広げていきました。
「ねえ、ラック。想像の割には、やけに話が具体的じゃない?」
「だって、僕があんな飛空艇持ってたら、絶対そんな風に有効活用するからねぇ」
もちろん、一から十まで間違いだらけの、一座の関係者が聞いたら「お前と一緒にするな!」と憤慨しそうな邪推なのですが、今はその間違いを指摘できる者がいないのです。
それどころか、今のフレイヤはそんな出来の悪い妄想に対する否定材料すら持ち合わせていませんでした。現在唯一の協力者であるラックには、もうかなりの部分まで警戒を解いていましたが、その信頼がおかしな方向に作用してしまったのかもしれません。もしかしたらそういう可能性もあり得るのでは……と、深刻に考えてしまい、無駄に警戒を強める結果になりました。
しかし、その警戒を踏まえた上で、事態を解決に導くためには外に出なければなりません。延長料金を払って宿の一室に篭城していれば確かに安全かもしれませんが、記憶の手がかりを探すためには危険を冒すことも必要になってくるでしょう。
そのリスク配分には慎重にならねばなりません。例えば、これから目指す場所や、避けるべき場所。誰かに話を聞くとしたら相手の選別や接触方法。考えるべきことはいくらでもあります。
「僕がワルモノでキミを追う立場だったとしたら、とりあえず駅と港と街の外に通じる門にはヒトを置いて見張らせておくかなぁ。ああ、それから迷宮の入り口も。この街の外に逃がしたくはないだろうし、その辺りには迂闊に近寄らないほうがいいかもねぇ」
「見張りがいたら、そいつらを逆に捕まえて話を聞くのは?」
「ははっ、無理無理。僕ぁケンカの腕はからっきしだからねぇ。それに一人二人を相手にしてる間に仲間を呼ばれたらどうしようもないし」
一度外に出てしまったら、こうしてじっくりと方針を練る余裕はもう無いかもしれません。それに、フレイヤの思考そのものは明晰なのですが、学都の地理や作戦を立てる上で前提となる知識については逐一ラックが説明する必要があります。話し合いは自然と長引き、ひとまずの指針が定まる頃にはもうすっかり日が昇りきっていました。
兎にも角にも、まず第一に探るべきは彼女の正体。
なにしろ、未だに自分の名前すら思い出せないのです。仕方がないのでラックも未だに「キミ」としか呼べません。一晩眠れば記憶が回復するのではという淡い望みもありましたが、まるで進展がありませんでした。
加えて、安全対策も必要です。昨日の変装を続けていれば早々見つかることはないでしょうが、用心するに越したことはない……と二人は、少なくともフレイヤは考えています。
本当はさっさと見つかって捕まってしまうのが一番の解決の近道なのかもしれませんが、フレイヤにとって、自分を追う者達は恐るべき悪の組織の構成員に思えているのです。警戒の手を抜くことは決してしないでしょう。
◆◆◆
しかし、宿を出て数分後。
適当な店で朝食を調達しようと歓楽街の道を歩いていた二人は、まるで予期していなかった事態に直面しました。
今朝方刷り上ったばかりの新聞を抱えている新聞売り。学都のみならず大きな街なら珍しい光景ではありません。大きな布鞄の中に新聞の束を入れ、道行く人々に声をかけながら売り歩く商売です。
問題は、売られている新聞記事の内容でした。
「これ、アタシ……だよね?」
「キミって、結構な有名人だったみたいだねぇ。フレイヤちゃん?」
ラックに初めて名前で呼ばれたことにも気付かぬほど、フレイヤは動揺していました。それもそのはず、なにしろ新聞の一面に彼女の顔写真がデカデカと載っていたのです。しかも、その記事の内容は――――。
◆【ハドル】元々は「作戦会議」を意味するアメフト用語。近年ではビジネスなどの場において使われる事もあるそうです。語感がいいのでサブタイに採用しました。




